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記英国工党與社会党之関係 (楊守仁)      

(英国労働党と社会党との関係について)

 

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英人が無政府弘道会の開いた演説会の様子について記したところによると、その集会・言論・出版、この三つの事についての自由には、驚くべきものがある。以下にその大略をかいつまんで訳出してみる。

 

 

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一九〇九年から一九一〇年まで、グラスゴーでは、無政府党員が六月、七月の毎日曜日に演説会を開いた。聴衆は甚だ多数で、販売されたパンフレットも少なくなかった。

 その小冊子の中には、バーネット氏の無政府主義及び共産主義についての解説があり、その論旨は、極めて分かりやすいものである。

 

 リバプールでは、無政府党員が、五月の日曜日に三回、夜間に数回、演説会を開いた。その無政府党新聞の名は『自由』で、パンフレットと併せて、完売することも少なからずあった。

 突庁では、無政府党員バーネット氏が、十月に演説会を開催した。

 斯窟老では、無政府党員ケン氏が、十一月に失業している労働者を集めて演説会を開催した。その演説の中で氏は、失業者たちを激励すると同時に、具体的な方法があることを示唆した。ピストルや爆弾は無政府党員の方策のほんの一手段に過ぎないとも言ったが、さらなる詳細を聞くことはできなかった。

 内遂特爾では、無政府党員が七月に演説会を開き、聴衆は青年や女性が特に多かった。

 牛街沙では、無政府党員が十一月に、独立労働党支部と社会民主政治党支部と合同でデモ行進を二回した。

 洼散們斯托では、党員が十二月に無政府弘道会を開き、その会期は二カ月に及んだ。会場には独立労働党の倶楽部を借りた。

 某国無政府党の指導者であるマラテスタ氏は、英語で無政府及び無政府主義について述べた。氏は、『ロンドンタイムス』紙が最も凶暴だと指摘している、最も危険な無政府党の指導者である。

 ペイズリーでは無政府党員が十月に四回演説会を開き、小冊子数百部を販売した。

 エジンバラでは無政府党員が十月に演説会を開いた。

 マンチェスターでは無政府党人が八月の毎週、計八回演説会を開いて野外で演説し、無政府主義と無神論とを明白に宣言し、パンフレット多数を販売した。

 ロンドンのハイドパークでは、無政府党員が一九〇九年五月に演説会を開き、パンフレット二千部以上を配布した。また、一九一〇年五月にも演説会を開き、ビラ八千部以上を配布した。バーミンガムでは無政府党員が一九一〇年四月に演説会を開き、パンフレットを少なからず販売した。その後、グラスゴーでは、無政府党員の退勒爾氏が、一九一〇年三月に演説会を開き、さらに党員として遊説に出て、ペイズリーから気日馬拉克までの各地で演説会を開いた。

 キャンバーウェルでは無政府党員カーライル氏が、独立労働党の支部で演説し、同支部で歓迎を受け、用意したビラはたちまちなくなった。

 卜頼卯斯では十一月に、社会党協会が無政府党員を招いて、野外演説会を二回開いた。

 リーズでは無政府党員沙利得氏が九月に、職工聯合会が改革せねばならぬ理由、無政府主義の理想、無政府党のとるべき具体的な方策について演説した。

 ロンドンのリージェンツパークでは、ロンドン北部の無政府党支部が演説会を開き、パンフレットを販売した。

 拉畏治では、六月に退勒爾氏がプロレタリア革命について演説し、同時に各労働組合を集めて茶話会を開いた。

 リーズでは無政府党のケン氏が十月にイングランドとスコットランドとでの遊説を敢行した。

 

 以上はただ、この二年間の無政府党のイングランド・スコットランドでの運動情況を記したに過ぎない。今年の分は、まだ引用できる資料がない。

 

 

 

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