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記英国工党與社会党之関係 (楊守仁)      

(英国労働党と社会党との関係について)

 

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無政府党員はいつも言う。我々は、現在の世界にはびこる一切の強権を排斥する。その地位の高低・勢力の大小にかかわらず、権力を握る者たちはみな、人道の認めるところではないと。

 

 無政府主義の理想は、絶対自由・絶対平等であり、わずかでも「権力」という存在を認めるならば、即座に平等自由を損なうと見なされるのである。

 

 無政府党には『強権という名のドリル』という冊子があり、詳しくこの道理について解説している。

 

 また、マラテスタ氏の著書では爆薬の用途について説明している。その書名は『無政府共産主義一席談』であり、一切の強権を排斥する実行手段として爆弾を紹介している。

 これらの二書はいずれも一ペニーの安価で英国で発行されている。マラテスタの書は重版すること第七版。無政府弘道会の演説会で、この二書を紹介しない回はない。いわゆる事業活動で国民に寄与しようとする者、いわゆる野外演説会でパンフレットを即売しようとする者は、必ずこの二書に言及する。

 

 独立労働党は既に無政府党員への賛同を表明しているので、この種の激烈な印刷物に反対することはできない。そのため、この党の議論は、世界の暗殺事件に対して、時により論調がどっちつかずではっきりしないものになる。あるときは同情的であり、また別のときにはそうでもなかったりする。そして社会民主政治党は、非常に悲憤慷慨し、テロリストの傲岸独善を非難することがある。

 

 イギリス人の治めるインドでは、近年、青年たちの間で急進派が勢力を強めており、しばしば暗殺事件が発生する。インド革命党員サーヴァルカルは、無政府党が爆弾や爆発物を準備する種々の方法について説明した本を発売した罪で、去年ボンベイの高等裁判所から重罪を宣告された。英国社会民主政治党の機関紙『公道』は、この事件について「インドの思想高尚な学生」という記事を掲載し、そして宣言した。「我が英国のインド統治はもちろん比類なく優れたものだが(ゆり子註:皮肉ではないか?)、しかしこの温和でおとなしい人種を、より過激な無政府弘道会に助けを求めて駆け込むよう、日々せき立てているように思われる」と。

 

 私(篤生)は思うのだが、どこの国であれ、どの人種であれ、異民族に奴隷扱いを受けたならば、秘密結社を作って独立闘争を謀るか、公然とテロルを実行する以外に、何ができようか。

 ある人の話では、英国社会民主政治党はすでに、以下の決定をしたという。この宣言書をインドの言語に翻訳して、現地で発行すると。それが本当かどうかは、定かではないが。

 つまり、イギリス人が世界の暗殺事件や革命運動に対して明白な同情を示すのは、ひとり社会民主政治党のみならず、各種の労働党および社会党に共通する姿勢なのである。

 各種労働党・社会党と、無政府弘道会とは、公然と協力関係にあるのだ。

 

 まさに去年、日本の幸徳秋水の爆弾事件(★)が露見したとき、英国無政府弘道会機関紙『自由』によれば、彼等(無政府弘道会)は抗議集会を開いて、幸徳秋水のテロルの正当性を宣言し、英国労働党および社会党を驚かせて、幸徳等を援助する策を講じさせた。彼等は主張する。「我々は、座視してはならない。日本国が、このすぐれた無政府主義活動家を処刑しようとするのを!」と。

 この方策を練る会議には、有名な英国社会党人も参加していて、抗議書に名を連ねている。

 また、英国社会党紙『クラリオン(角笛=進軍ラッパ)』は、無政府弘道会の「日本の暴政」(Tyranny in Japan)と題する広告を掲載した。そして、日本の無政府党に対し、速やかに共同一致の行動をとるよう呼びかけた。

 社会民主政治党機関紙『公道』もまた宣言した。「我々は日本の同志を死刑にさせない。彼等を援助し、資本家に勝利を得さしめてはならない」と。

 また、十二月十日には独立労働党が国際デモンストレーションを発起し、アルバートホールで開会した。英国国会議員労働党喀道・老徳(人名)氏およびその他の労働党の指導者たちが、これに列席した。

 翌日、伯頼発(地名)の独立労働党支会議長アンダーソン氏が宣言した。「我々の党には日本に二十六人の同志がいる。我々は知っている。日本ではもとより、自由を求める者を殺すことで、自由を抑え込もうとする。しかしそれは、徒労である。どのような人物であれ、いやしくも自由のために生命を捨てる者が現れるならば、必ずや百千の同志が後に続くこととなるであろう[英文:自由の血をどれだけ流させようとも、自由を窒息させることはできない。自由のために犠牲になった殉教者のために、百人もの後継者が現れるであろう]」

 

 (楊篤生の評)これによって分かるのは、「第一因縁(おそらく仏教用語と思われる。発心の種子くらいの意味だろうか)」が既に日本に伝播していることである。しかし、振り返って考えるならば、いわゆる第一因縁とは、はたして労働党の主張(共産主義?)なのだろうか。それとも社会民主政事党の主張(社会主義?)なのだろうか。はたまた無政府党の主張(アナキズム)なのであろうか。

 その境界は曖昧模糊として、弁別するのは至難の技である。

 つまるところ、絶対自由を激しく求める心とインチキ愛国心とは激しく交戦中であり、その勝負の行方は、なかなかに見極め難い。

 

 

 

 

(★)幸徳秋水の爆弾事件

幸徳伝次郎(1871−1911)。つまり、篤生より一歳年長で没年は同じという、全くの同時代人。土佐の人で、中江兆民の高弟だった。日露戦争時に非戦を唱えた自由主義思想家である。著書に『廿世紀之怪物・帝国主義』(1901年。レーニンの『帝国主義論』は1916年)など。訳書にクロポトキン『麺麭(パン)の略取』がある。

 

1910年5月、明治天皇暗殺を企てたとして、首謀者とされる幸徳をはじめ26名が、「大逆罪」で逮捕・起訴された。現在では明治政府によるでっち上げであることが確定している。実際には3、4人による妄想で、爆弾を試作・実験してはいたが、計画自体は具体性のないものであった。幸徳は話を持ちかけられてはいたものの、全く乗り気でなかったという。

翌11年1月18日には、早くも判決が出され確定した(大逆罪は、大審院=最高裁での一審のみ)。26名全員が有罪(英国独立労働党のアンダーソンが言う「26人の同志」とはこのこと)。うち24名が死刑。うち12名は判決翌日に無期懲役に減刑されたが、幸徳ら12名は1月中に処刑された。

朝日新聞社に勤めていた石川啄木は、幸徳が獄中から弁護人に寄せた書簡を入手し、次のように書いている。「初めから終りまで全く秘密の裡に審理され、そうして遂に予期の如き(予期! 然り。帝国外務省さえ既に判決以前において、彼等の有罪を予断したる言辞を含む裁判手続説明書を、在外外交家および国内外字新聞社に配布していたのである)」(「A LETTER FROM PRISON」『時代閉塞の現状 食らうべき詩』岩波文庫所収。仮名遣いは岩波文庫による)

これによって、海外でも早い段階で報じられていたことが分かる。それにしても、判決以前に有罪が分かっているとは、大した「文明国」と言わざるを得ない。

また、在英ジャーナリスト橋本鬼山が、新聞『万朝報(よろずちょうほう)』に「幸徳事件の反響」という一文を寄せている。以下、飛鳥井雅道『幸徳秋水』(中公新書)から引用する。

 

「鬼山は書いている。ためしにイギリス人にむかって、日露戦後、もっとも著名な日本人は誰かときくと、彼らはためらいもなく『そは伊藤(博文)公と幸徳なり』とこたえる、と。そして、イギリスその他に伝えられるところでは、幸徳たちが純粋な社会主義者であること、にもかかわらず検挙や裁判がきわめて隠密におこなわれていることに反感が広がっている、と。鬼山は判決直前の一二月一〇日、『ロンドン第一の大会場』であるアルバート・ホールの二万を集める大抗議集会を見に行ったという。

この会は、イギリス労働党党首ケア・ハーディが主催したのであるが、フランスからはジョーレスが、アメリカからはマイルズが、そして、ドイツ、ベルギーからも演説者が参加していたのである。」

 

まさにこれが、篤生の記している、アルバートホールにおける国際デモンストレーション(万国示威運動会)のことだ。

この事件が当時の英国で大きく報じられ、篤生の関心を引いたことが、よく窺える史料である。

なお幸徳は、章太炎や張継とは交流があったが、楊篤生と接点があったとは思われない。

 

 

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