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論道徳

一.

二.

論道徳   楊守仁

 

 三、女子の男子に対する偽道徳。

 

 男女の不平等は、中国ほどひどいところはない。その元凶を追求するなら、扶陽抑陰こそが女子の男子に対する偽道徳の由来である。試みにその証拠を挙げてみよう。

 

 男子は妻が死ねば再び娶るが、女子は夫が死んでも再嫁できない(再嫁は法的に禁じられているわけではないが、社会的には大変恥ずべきことみなされる。きちんとした家柄の士族なら、節を守るという名声のために、死んでもこれを許さない。労働階級では再嫁する者もあるが、郷里の無頼の徒がこれにかこつけて金品を強要し、その要求には際限がない。このように、ややもすれば様々な障害が起きてくる。無頼の頭目は自ら賤しい行為をすることに飽き足ることがなく、これを敢えて止めようとする者は誰もいない。これによって、連中がどこまでも深く悪事に溺れていく様が見てとれる)。また、男子は妾をもつが、女子が男を囲うことはない。これが婚姻の不平等である。

 男子は娶った後も自分の屋敷を変えることはないが、女子は嫁げば自分の家を捨てて他人の家を我が家としなければならず、まるで無国籍者が大国に帰化するかのようである。これが居所の不平等である。

 男子の志は四方にあるといい、やたらと交友関係を広げて王公とも下男ともつきあい、さらには芸者遊びや女郎買いを風流だと自慢して悪徳とはみなさない。しかし女子は家を空けないのが礼だとされ、気ままに振る舞えばすぐに非難されて、悪評は死んでも消えない。これが交際の不平等である。

 男子が妻を喪えば、服喪期間はわずかに一年で、父母が子女を亡くした際と同じである。しかし女子が夫を喪うと三年の喪に服すことになり、これは子女が父母を亡くした際と同じであり、そればかりか終身にわたって喪の解けぬ者もある。これが服喪制の不平等である。(既婚女性は、父母の喪は一年だけで、夫の喪は三年である。これでは夫のほうが父母よりも、かえって重いことになってしまうが、これは理にかなっているだろうか? 祭仲の妻は礼を知るものとして讃えるべきだろう。)

 男子が妻を殺しても、その罪は死刑には至らない。しかし女子が夫を殺せば、なぶり殺しの刑になる。また、男子が妻を正式に離縁せぬまま新たに娶っても、笞打ちの刑以上にはならないが、女子が夫に背いて嫁ぎ直せば、罪は絞首刑に至る。(同じ行為でも、一方は妻を出すといい、一方は夫に背くという。その軽重に留意すべきである。)これが刑法の不平等である。

 

 以上のように数え上げたもののうち、どれが女子の男子に対する偽道徳でないといえるだろうか?

 故に世間には女子について軽侮する言葉がたくさんある。曰く、「恭しく慎み深くして、夫に違うことなく、従順を以て正しいとなす」と。曰く、「非なく儀なく、ただ酒食をこれはからしめ」と。

 まるで女子は女子という生き物であって、尋常の人類の外にあるかのようだ。そして、普通の道徳では守らせるに足りないというのか、一種特別の道徳があって、女子にはこれを履行する義務がある。それが、女徳や婦道といわれるものである。いわゆる女徳や婦道は、女子に権利を放棄させ、その人格を傷つけ損ない、男子の万重の圧制の下に組み伏せちぢこまらせ、すこしでもそれを越えようとすればすぐに刑罰で従わせようとするものだ。

 これは別に高尚な空論ではなく、読者諸氏もひとしく見るところであろう。

 夫が妻を制することはあっても、妻が夫を制することはない。裁判官もまた、必ず夫が正しく妻が間違っているとみなし、婦道を守らないものだと簡単に決めつけ、懲罰する。

 女子が婦道を守らねばならないのなら、なぜ男子は夫道を守るべきだと言われないのか。女子が婦道を守らねば懲罰を受けるのなら、なぜ男子が夫道を守らぬために咎められたという話を聞かないのか。これは至って奇妙なことである。

 

 女子が自分より劣ったつまらぬ男に嫁がされたり夫の態度が悪かったり、あるいは夫が家を捨てて顧みなかったり、辱められたり罵られたりした場合には、忍耐の限界を超えてしまい、やむを得ず家を出てほかの男のもとへ走ったとしても、無理もないことではないだろうか。しかし官吏は必ず、この罪のない女を捕らえて、笞でさんざん打ち懲らし、笞が折れるまでやめない。おまけにそれがすむと、あろうことか元の夫の手に彼女を引き渡してしまう。その後で彼女は、どんなに惨い悲惨な目に遭うだろうか!

 嘉偶を配といい、怨偶を仇というが、夫婦仲の悪いのを無理によいと繕うことができないのは、仲のよい夫婦を仇同士にできないのと同じだ。か弱い一人の女性が、よほどの事情がなければ、どうして死後も操を守り通すことを願わないだろうか。離縁されて憔悴し、極限まで追い込まれ、痛々しいことこの上ない。びくびくと怯えたまま長い長い時を経て、やっと再会を許されれば、新しい夫は罪せられ、旧夫のもとへ戻されることになる。旧夫は皇帝の如く威儀めかし、揺るがしようのない鉄壁の道理と正義とは我にありとして、離縁を許さず、無理やり覆水を盆に返す。彼女が忍ばねばならない恥辱は、死んだほうがましなくらいだ。

(これは世間でいうところの誘拐とか、和姦すなわち両性の合意による婚外の姦通だが、誘拐とは男が詐術や力尽くで女をそういう目に遭わせる場合のみをいうべきで、もしも両人の合意があったならば、なぜ誘拐などといえるだろう。パリの某紙が和姦のことを報じて言うには、男女の真の愛情がかえって姦とされてしまっていると。これは全くその通りだ。旧法では強姦は斬首刑、和姦は杖打ちの刑だった。新法では強姦の刑罰は軽くなって死罪ではなくなったが、和姦は変わっていない。これは実に大きな誤りである。)

 

 さらに奇妙なのは、夫が既に死亡した際、再嫁を法は禁じていず、女子の自由に任されているはずなのに、彼女が誰かと交際すれば、亡夫の父母兄弟が必ずしゃしゃり出てきて干渉する。そして官府に訴えて裁判になれば、夫のある妻の場合と同じ結果になる。これはどういう道理だろうか!

(また、亡夫の父母兄弟が、賄賂を貪り寡婦を強迫して再嫁させることもあるが、その罪もこれと同様で、いずれも女子の神聖な自由を剥奪するものである。)

 故に常に言われることだが、中国では嫁入り前の娘にとっては婚姻は至って軽いものである。生涯の伴侶になるのに、父母の片言によるだけで本人には何の相談も口出しする権利もなく、今日は見知らぬ路傍の人が、明日には褥を共にすることになる。人なら誰でも夫たり得、愛情は薄弱、否も応もない。そして嫁してしまえば、婚姻関係はなによりも重要になる。生死も栄誉も恥辱も全て一人の人の手にかかっていて、この人を父母のように尊重し、主人と称し、もしその意に違うことがあれば、何をされても仕方がない。その夫を亡くした後も、亡父の父母兄弟が体面のために名誉や道義を振りかざして彼女の死命を制する。こういうことから、女子にとって婚姻の問題は実に第二の生命であり、第一の生命以上に重大である。酷い境涯に陥っても、自力で抜け出すことは終生できないのだから。

 (男女の婚約が調ってしまえば、嫁す前に女子が破談にしたいと思っても、婿の家は必ず極力反対する。男女の縁の赤い糸一本だけで、同衾共枕するまでもなく既に男子の勢力範囲に組み込まれてしまうからだ。

 欧米各国では婚姻は自由であるが、指輪を交換して純粋な愛情から結ばれたのであっても、その舌の根も乾かぬうちに、急に誓いを破って反故にしてしまうことがある。彼らは男女を問わず自尊心が強いので、別れ話に対しても、人として納得がいけば快く承諾して異存はないが、恐れたり憐れみを請うたりは決してしないし、暴力で言うことを聞かせることもできない。

 中国の婚姻制度は外国とは全く違う。中国では父母の言が全てで、くだくだしい六礼の儀式をもって婚礼を挙げるが、女子自身にはもとより毫も責任がない。愛情は関係ないから破談は不実な行為ではなく、男子は必ず破談を受け入れはするが、これを恥辱に思って穏便に解決しようとはしない。だから破談は夫の側から持ち出されることになり、女子にとっては死んでも洗い流すことのできない大変な恥辱となる。そんなはめになったら、もはやその不名誉な境涯から抜け出すことは不可能である。正直な話、これらはみな女子の幸福を奪うことである。)

 

 世界上にこれほど恐ろしく驚くべき現象が、ほかにあるだろうか。これが女子の男子に対する偽道徳がたれ流す害毒である。

 

 

 

 

*扶陽抑陰 『易』による。陽は男、陰は女を示す。

 

*労働階級 原文のまま。

 

*男を囲う 原文は「面首之奉」。「面首」は貴婦人の男めかけ。ここは『孟子』「告子上」の「妻妾の奉(奉は俸禄。妻妾を養うこと)」をもじったのだろう。

 

*男子の志は四方にあり 「男子は天下を活躍の場とする」ということ。なお、男児が生まれると天地四方に矢を射る習があり、本来は魔除けのためらしいが、「男子は天地四方に志を行うものだから」と説明されていた。

 

*交友関係を広げる 原文は「太邱道広」。太丘という土地の長が、交際が広すぎて友情が行き届かなかったという故事(『後漢書』「許邵伝」)。

 

*祭仲の妻 祭仲は春秋時代の鄭の権臣。祭仲の女婿が君命により祭仲の暗殺を企てた。祭仲の娘はそれを知って、父と夫とはどちらが大事か母親に問うた。すると祭仲の妻が「人は誰でも夫たり得ますが、父は一人だけです」と答えたため、娘は父に告げ、祭仲は婿を殺した(『左伝』桓公十五年)。なお、これには春秋期と後代との貞操観の違いという問題が関連している。春秋期においては、離別、死別による女性の再嫁は当然で、祭仲の妻の言うごとく夫婦関係はとりかえのきくものだった。「二夫にまみえず」的な貞操観は、むしろ周囲の都合によって夫を取り替えられることへの、女性の側からの抵抗手段として持ち出されたふしがある。後代になって、貞操が女性抑圧の具とされたのは、皮肉なことである。(陳筱芳『春秋婚姻礼俗與社会倫理』を参照)

 

*なぶり殺しの刑 原文は「凌遅之刑」。四肢を切断してから喉を絶つという、極めて残酷な死刑。

 

*正式に離縁せぬまま新たに娶っても 原文は「停妻再娶」。「停妻」は妻とすることを停止する、つまり妻を出す、離縁すること。

 

恭しく慎み深くして 原文は「必敬必戒」。『詩経』「大雅・常武」に、「既敬既戒」とある。この詩は周王の親征を讃えるもので婦徳とは無関係だが、この句を流用した言い回しでもあったのかもしれない。

 

*非なく儀なく 『詩経』「小雅・斯干」の「無非無儀 唯酒食是議」による。女児が生まれたら、逆らったり威儀つくったりせずに、ただ酒食のことだけに心を配るような女に育てようということ。白川静氏によれば詩の本来の意味は少々ずれるようだが、長くこのように解釈されてきたので、楊のいうところもこちらの意味である。

 

*つまらぬ男に嫁ぐ 原文は「彩鳳随鴉」。美しい鳳が醜い鴉に随うということで、自分より劣る者に嫁いだ女性の不満を表す語。

 

*夫の態度が悪かったり 原文は「遇人不淑」で、『詩経』「王風・中谷有蓷」にある。詩句の解釈は諸説あるが、ここでは夫がよくないという鄭箋の解釈によるのだろう。

 

*嘉偶を配といい、怨偶を仇という 『左伝』桓公二年に「嘉耦曰妃、怨耦曰仇(仲のよい相手を妃といい、仲の悪い相手を仇という)」とある。妃、配、仇はいずれも配偶者のこと。偶、耦も通じる。普通、夫婦仲の良いことを嘉偶、悪いことを怨偶という。

 

*人なら誰でも夫たり得る 前述の『左伝』にある祭仲の妻のことば。

 

*極力反対する 宋教仁は十六歳のとき、幼時より決められた相手と結婚した。その際に先方から、新婦の容貌の優れぬのを理由に破談を申し入れてきたが、聡明で気だてがよい女性だとの評判だったため、教仁自身が「宋家は色より徳をとる」と主張して強行した。これは宋教仁の賢を表す逸話とされるが、嫁側からの破談に対する宋家の意向が、若い教仁に意識的無意識的に働いていたとも考えられる。

 

*六礼 納采、問名、納吉、納徴、請期、親迎。結婚申し入れの仮結納から、婚礼当日に婿が嫁を迎えに行くまでの諸儀式。

 

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