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論道徳

論道徳   楊守仁

 

  まとめ

 この三者をまとめると、いわゆる綱常名教、永遠不変の大道とされるものの実体は、この程度のものである。中国を数千年来支配してきた道徳とは、今まで挙げた範疇を出るものではほとんどないのである。そしてそれは、世を惑わし人々を欺くもので、洪水や猛獣の如きものである。

 昔の人は言った。建前ばかりの空理空論は申不害・韓非子よりも有害だと。これはまったく言いすぎではない。

 そもそも私はこう聞いている。道徳と法律とは混ぜこぜにしてはならない。道徳は道徳であり、法律は法律である。故に、平和で安定した世においては、法律は廃止することができるが、道徳は終になくなることはない。

 道徳が良しとするところのものは、自由平等博愛の真理である。良知良能はもとより人に生まれながらに備わっているものである。だから、外からメッキして飾ったり、刑罰や権力によって無理強いする必要のないものなのである。

 しかし中国だけはそうではない。道徳と法律とが区別がなくなってしまっているため、礼に反すればすぐに刑せられてしまう。だから、礼教と刑法とは表裏一体であるといわれている。壁に向かって虚妄の道徳をでっち上げ判決文としてにこじつける。もし偽道徳によって非とされたならば、すぐに厳しい法と重い刑罰がその後にやって来るのである。しかし、(真の)道徳とは(本来)社会の権力の走狗ではないと、みなしたほうがよいのではないか。だからまさに(偽道徳は)人の唾棄するところなのである。

 (最近、司法省が新しい刑法を定めた。これを非難する者は、新法は礼教を妨害するものだと言って斥けている。しかし法律とは元もと愚民の手かせ足かせではないのか。ましてやこの新法は官吏の手になるものであるから、その善し悪しは深く論じるまでもなかろう。ただ、礼教を妨害すると言ってそしる者があるからには、新法は旧法よりはいくらかましなのかもしれない。おそらく旧法の最も真道徳から乖離しているところは、まさに道理の通じぬ礼教を頑固に墨守している点である。前に述べたとおり、これが最も民を害するところである。今日になってもまだこの礼教を保存したいと思う人が、頑迷無知の輩であることは、言うまでもないことだ。《私には別に『非礼教』という文章もあり、そこでこの旨を解き明かしている。》)

 道徳が法律(刑罰)の保障によらねば機能しないのであれば、この道徳とはどんな道徳であろうか。その価値は推して知るべしだ。このために私はこれを偽道徳だとして断然排斥するのである。

 ああ、今後自由平等博愛の真道徳を輝かせていかなければ、強者は弱者の腕をねじって食べ物を奪い取り、弱者は尻尾を振って憐れみを乞うしかなくなるであろう。世界はまた終に本来あるべき姿に還ることはない。しかし真道徳を輝かせようと願うなら、偽道徳を排斥しないわけにはいかない。偽道徳と真道徳とは、到底両立し得ない道理だからである。ことわざに言う。「その賊たるを明らかにすれば、敵すなわち服すべし」と。これがこの文章で述べた鄙見の存するところである。

 私は別に議論好きで言っているのではない。言わずにいられなかったのだ。

 

 

 

道徳 偽道徳のことである。

 

申不害・韓非子 ともに戦国時代の人。法律と刑罰とをもって国家を治めようとする法家の祖。

 

道徳と法律とは混ぜこぜにしてはならない 道徳は慣習法、すなわち自然法であり、法律は実定法であると解釈することができる。実定法とは主権者によって刑罰により実際に定められた法のこと。

 

良知良能 『孟子』「尽心上」。人が誰でも生まれながらに備えていて、経験や学習によらない、知力と能力。つまりは天与の善性のことで、理学における重要な考え方である。

 

外からメッキして飾る 原文は「非由外鑠」。『孟子』「告子上」にある。「鑠」はメッキ、飾り。仁義礼智は外からつけたものではなく、もともと心に備わっているものだということ。

 

壁に向かって虚妄の道徳をでっち上げ 原文は「向壁虚造之道徳」。「向壁虚造」は、漢代に孔子の家を取り壊したときに壁の中から出てきたという古文書を、捏造された偽書だと疑ったという故事により、でっち上げ、捏造すること。

 

判決文 原文は「司空旦城之書」。『史記』儒林列伝の轅固生伝の項に見える。司空は司法官、城旦は城壁を掃除する刑徒。司空が人を城旦にすべく発する命令書のこと。なお、『諸橋大漢和辞典』では、道教的な立場から儒教の経典を罵る称としていて、『史記』とは意味が若干ずれる。後代に意味が変化したのかもしれないが、ここは『史記』に即して解した。

 

社会の権力 実定法とは元来、慣習法としての自然法を仮に明文化したものにすぎないはずである。道徳が主であり、実定法は従でなければならないはずだ。しかるに楊守仁の見た清末の社会では、清朝という国家体制を護持するために法律があり、その法律の走狗として慣習法すなわち彼が言うところの偽道徳=礼教があった。 以上のような訳者の仮説によって、この部分を解釈した。

 

司法省 原文は「法部」。清末の司法改革として一九〇六年に設立された。民事、刑事、監獄その他一切の司法関係を管理監督する。近代司法制度の第一歩だった。一一年五月には長官の名を尚書から司法大臣に改めている。(『中国近代官制詞典』北京図書館出版社を参考にした)

 

愚民 この語の意味としては二つある。一つは愚かな民、無知な民。いま一つは、民を愚にする、愚とみなして何も知らせない、すなわち「愚民政策」という場合の「愚民」である。ここでは楊がアナキスティックな発想から、後者の意味に用いたと解釈した。民の自由を奪うことで民を弱く愚かな状態におき、為政者が安泰になるのである。楊自身の愚民観を表しているわけではない。厳復「韓愈を駁す」(『原典中国近代思想史第二冊』に近藤邦康氏の訳がある)を参照。

 

この道徳とはどんな道徳であろうか 実定法の強制力によらねば機能し得ない自然法というのは存在矛盾であると、楊は言っているのである。自然法なのだから自ずとそうせざるを得ないものであり、それはつまり、孟子の四端説に代表される儒教的な性善説と相通ずるものであると、訳者には思われる。

 

腕をねじって食べ物を奪い 『孟子』「告子下」。兄の腕をねじるという非道をせねば食べ物を得られぬという極限的な状況。

 

「その賊たるを明らかにすれば、敵すなわち服すべし」 原文は「明其為賊、敵乃可服」。「それ(偽道徳=礼教)が悪いもの(賊)だということをはっきりさせれば、(みなで力を合わせて)その敵を倒すことができる」ということ。このことわざは、『漢書』「高帝紀」にも出てくる古いもの。『漢書』では、項羽が主君たる楚王を殺したことを項羽を討つ大義名分にするようにという、劉邦への建言での中で使われている。この建言を容れて、劉邦は項羽の非を天下に明らかにした(宣伝した)のである。(小竹武夫訳『漢書1』ちくま文庫を参照した)

 

私は議論好きなのではなく…… 『孟子』「滕文公下」。「予豈好辯哉、予不得已也」、議論好きだという評判に対する孟子のこたえ。議論好きなわけではないが、こういう時勢では黙っているわけにはいかないので、やむなく論じているのだと。

 

 

2004年8月24日ゆり子