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論道徳

一.

三.

論道徳   楊守仁

 

二、卑者の尊者に対する偽道徳。

 

 天によって地上に人間が生じて以来、すべての人々は平等で、真道徳からいえば尊卑の分というものは存在しない。これが生じたのは、中国で偽道徳が始まってからのことである。この、いわゆる卑者の尊者に対する偽道徳は、大別すると二つある。

 国家においては、尊卑貴賤の分がある。尊貴はすなわち官吏で、卑賤はつまり人民である。官吏の威厳は君主ほどのものではないが、しかし君主の信任によるものなので、君主の命令を奉じて人民を治めているからには、人民は抵抗することができない。官吏に抵抗することは、そのまま君主の代表への抵抗を意味すると、みなされるからである。

 ことわざに「投鼠忌器」、「城狐社鼠」というとおり、虎の威を借る狐である君側の奸というものは、まことに厄介なものである。このため、官吏は犯すべからずといわれ、人民の生殺与奪の権は、ことごとく官吏が掌中に握っているのである。好き勝手に民を傷つけ、誰彼かまうこともない。際限もなく人民を搾取するため、大金持ちの猗頓でも貧困のうちに死んだ黔婁になってしまう。善悪が顛倒していて、孔子の高弟の顔回だとて大盗賊の盗跖になりかねない。無辜の民を法網や刑罰でがんじがらめに縛り、流血は川を成す。これを称して「屠伯」すなわち人殺しの酷吏というのだ。昔の人は言った。「破家県令」、「滅門知府」と。

 民がその命に堪えられずに、追い詰められてやむにやまれず役人を殺し、獄を破って囚人を逃がせば、叛逆不道の名を着せられる。そしておふれに曰く、天子の威光は無限であり、ここに悪党を殲滅するに武器を以て臨み、天子の軍勢はあまねく及ぶと。

 あるいは平和を望む士人が、暴動を避け、声を張り上げ号泣して下役人どもに訴え、或いは高くそびえる宮廷の門を叩いて述べたて訴えかけても、君主や官吏は必ず自分たちを守ろうとし、民衆を集めてお上に反抗したという罪名を被せて、たちまち大獄事件をでっち上げ、主だったものは腰斬の刑に処し、ほかの者は鎖や鉄のロープで縛られ牢獄へ。さらに親類縁者まで芋づる式に検挙して、厳しく責めたてる。かくして官吏は以前と変わらず富み栄える。(康熙帝、雍正帝の時代の大獄事件は、いずれもみなこのような性質のものだった)

 また、罷免になったり退職した官吏は、帰郷して地域社会に巣くっている。ムカデは死んでも倒れない。しぶとい連中はどこまでもしぶとく、まだなお民衆を虐げ踏みつけにする。世の人はいたずらに官権の横暴を咎めるが、それがみな偽道徳によるものだということを知らないのだ。卑尊貴賤の名分の説は、かくして人心深く入り込んでいるが、官というものは、そもそも何によってそんな権利を持っているというのか。

 

 家庭にあっては、尊長卑幼の分がある。子女の父母に対するものに始まって、その他もろもろ。親族内の目上の者、年長者(尊長)の命令を、下の者(卑幼)は違えることはできず、たとえ尊長者が卑幼者を殺しても死罪にはならない。

 また、子女が父母に孝を尽くさねばならないのは、この世に自分を生んでくれた恩によるものであるが、既にこの世に生まれてしまった以上、同じく世界の公民ではないか。父母に対する報恩の責は認めよう。しかし父母が子女を抑圧し虐待するなどということは、人類の普遍的な法則からいって、不当なことであり許されない。いわんや殺すなど。

 祖父母や伯叔父などの親戚一族に対しては、父母との関係から押し広げたものであって、もとより父母ほどの愛情に根ざしていない、形ばかりの薄い関係である。

 それ以上に理屈に合わないのは、舅姑の嫁に対する、継母の先妻の子に対する、正妻の妾に対する、主人の下男下女に対するものである。これらの関係においては、血のつながりは全くなく、本来は完全に平等な個人同士の交際のはずである。しかし端無くもこの赤の他人に支配され、叱られても怒ることなく、鞭打たれても逃げることなく、生きている限りその命令に服して、死んでもなお復仇できないとは、世の中にこんな惨いことがあってもよいだろうか。

(嫁が舅姑に、継子が継母に支配されるのは、家庭専制の罪悪である。妾が本妻に、下男下女が主人に支配されるのは、貧富の不均等によるもので、資本階級が発達したために生じたものであるから、経済大革命は一刻も猶予ならない。)

 戴東原はいみじくも言っている。「宋代の儒者以来、統治者に都合のよい臆見にすぎないものを『理』だとして権威化し、正しいか否かはどうでもよく、従順か反抗的かだけを問題にしている。そして、尊者の『理』をもって卑者を責め、長者の『理』をもって幼者を責めるときは、たとえ不当なことであっても順当な道理にかなったこととされ、卑者や幼者が『理』をもって逆らうと、たとえ正当なことであっても、反逆行為だとみなされる。かくして、立場が下の者は、天下万人に共通な自然の感情を、支配する立場の者に真理として認めさせることができない。人が酷法に触れたために死ぬときには憐れんでくれる者もあるが、『理』のせいで、つまり尊卑長幼の序に逆らったとされて死ぬときには、誰が憐れんでくれるだろうか?」

 戴氏の言うところは、すなわち私のいうところの偽道徳である。これが卑者の尊者に対する偽道徳のたれ流す害毒である。

 

 

 

*投鼠忌器 漢書にも引かれている古い俚諺。祭壇にいる鼠に物を投げつけたくても、祭器を壊すのが恐くてできないということ。君の陰に隠れた奸臣を除くことの困難をいう。

 

*城狐社鼠 城に住む狐や社に住む鼠は、城や社を損なうおそれがあって、除くのが困難である。君権のかげでのうのうとする奸臣、君側の奸をいう。

 

*猗頓、黔婁 猗頓イトンは春秋時代の魯の大富豪。黔婁ケンル(ケンロウとも)は春秋時代の斉(魯とも)の高士で、仕官を拒み、没しても身を覆う衣もないほど貧しかったという、隠士、貧士の典型。

 

顔回、盗跖 顔回は孔門一の高弟。孔子の後継者と目されたが、終生まずしく、早世した。盗跖トウセキは春秋時代の盗の頭目。配下数千人を従え、暴虐をほしいままにし、日々人を殺してその肝を喰ったという。

 

*屠伯 『漢書』酷吏伝にある。

 

*破家県令、滅門知府 破家は家産が尽きること、滅門は一族が亡びること、県令、知府は県の長官と府知事で、要するに横暴な地方長官のこと。

 

*康煕帝、雍正帝の時代 康煕帝(在位1661〜1722)、雍正帝(位1722〜1735)。次の乾隆帝とあわせて、清朝の安定期から最盛期になる。

 

家庭専制 原文のまま。なお譚嗣同も、舅姑の嫁に対する、継母の継子に対する、主人の下男下女に対する抑圧を批判している(『仁学』)。ただし譚は、本妻の妾に対するもののかわりに、妾の本妻の子に対するものをあげている。これは、父親の妾や後妻と折り合いが悪かったという譚自身の経験から敷衍したもののようだ。楊守仁はこれらの抑圧を「家庭専制」という語で捉えることで、それが君権による専制と同根同種であることを明確に認識し、さらに経済的要因にまで達している。これは、楊が譚よりも深化しているところだといえよう。

 

経済大革命 原文のまま。楊がどういうものを考えていたのかは未詳で、訳者の今後の課題とする。今の時点では、彼が英国で労働者運動やクロポトキンの思想を研究しており、英国の農村における貧富の格差にも目を留めていたことだけ、記しておく。

 

戴東原 戴震タイシン のこと。清朝最盛期である十八世紀の大儒者。理を重視する禁欲的な朱子学を批判して、理は臆見に過ぎないとして人の自然な欲望を肯定し、「酷吏は法を以て人を殺し、後儒は理を以て人を殺す」と、儒教の名を借りた統治者の横暴に反対した。近代を準備した思想家とされる。引用は「孟子字義疏證」からだが、原文と若干の異同がある。ここでは原文の文意に即して訳した(安田二郎・近藤光男『戴震集』朝日新聞社、村瀬裕也『戴震の哲学』日中出版を参考にした)。

 

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