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論道徳

論道徳   楊守仁

 

一.人民の君主に対する偽道徳。

 

原人時代、酋長政体が未だ建てられていなかったころは、君臣の分というものはなかった。大同時代になり、無政府学説が行われていたころも、君民の分はなかった。すなわち、君主という代物は、たかだか数千年の歴史しかもたない、無意味で不当なおできのようなものである。一人の人間が民の上に厳めしげに君臨し、権力をほしいままにしているのは、みな力尽くで強欲に奪い取ったものである。このため彼は常に恐れ、汲々として自らを顧みなければならない。そこで、君を尊び長上を敬う誤った道徳を創り上げて、天子の位を強固なものにせざるを得なかった。これが人民の君主に対する偽道徳の由来である。

 おそらくこれは専制国家のみならず、立憲国でも同様なことはあり、中国のみならず、東西の列国でもまた同じであるが(例えばドイツと日本では大権政治が行われ、実質は専制なのに立憲の名で飾り立て、その尊君の観念は少しも削られてはいない。日本人は自ら皇統の万世一系を誇っているが、恥知らずなことこの上ない。また英国は立憲の祖国として議会政治の名声を得ていて、君主に依頼するところはないかのようであるが、依然としてこの虚弱な王を存続させて、皇室の尊栄を享受している。君主の迷信を駆逐しきることができないのである)、中国は特にその罪がはなはだしい。中国人民の君主に対する偽道徳を称揚する者というと、唐代の儒者、韓愈にしくはない。

 その言に曰く、「天王は聖明にして、臣は罪すれば当に誅さるべし。」殷の紂王は暴君で、周の文王は聖人である。暴君であっても聖明であるし、聖人であっても罪人として誅せられる。ほかでもない。暴君であっても君主であるだけで既に尊い天王であり、聖明だなどと追従されねばならない。聖賢であっても、人民だというだけで賤しい臣民庶人であり、誅せられねばならない。

 また曰く、「君は、命令を出す者なり。臣は君の令を行い民に致す者なり。民は、穀物や麻、生糸などを出して上位者に仕える者なり。君が令を出さねば、すなわちその君たる意義を失い、臣が君の令を行って民に致さなければ、すなわちその臣たる意義を失い、民が穀物や麻、生糸を出して上位者に仕えなければ、すなわち誅せられる。」

君はどうして令を出す権利を有しているのだろうか? 民はなぜ、穀物や麻、糸を出す責を負い、出さねば誅罰せられるのか? そしてなぜ、このように厳酷武断をきわめるのだろうか? これもまた、ほかでもない。君民間の関係性によるのだ。

愈が喚き散らしていることばをみると、乱暴で心がひねくれていて、到底正気の沙汰ではない。そして後世の学者はこれを飽きもせずに述べ立て、尼山にお供えをし、永年にわたってお祀りしてきた。さらに蘇軾の如き無分別な輩は、韓愈を称えて言う。「身分のない生まれでありながら天下の教師となり、たった一言で永遠の指針となる」と。そして聖人だと称えている。

これによってわかるのは、韓愈の言が古人から伝えられた習慣に適合したものであり、愈個人の個人的な意見ではないということである。

滔々とした狂流は往きて復らず。きちがい沙汰はとどまるところを知らない。ついには、異民族が我が国土を制圧して天子となると、征服簒奪の事実が忘れられ、ここでまた君民の分という道徳が持ち出され、中華の民を束縛し、民はそろって平伏し忠誠を誓う。

(弱肉強食の社会進化論は虚偽の法則である。弱い民族が強い民族に征服されれば、その統治者を排斥することを考えるのが当然である。すなわち強者の権利の排斥である。強者の権利の排斥とはすなわち自由平等博愛の真道徳である。故に強者の権利を行使せんとする強国の民は、愛国の名でもって己の帝国主義の殖民政略を飾らねばならない。しかしどう言い繕おうとも、これは正に孟氏がいうところの「善く戦う者は上刑に服せしめ、土地を率いて人肉を食わせ、罪は死も容れられず」ということで、その「愛国」はけだものの愛国として責められるべきものだ。このような民族の民は、もとより不当であり、その愛国心は有罪とせねばなるまい。)

人々の災難はここに極まる。これが人民の君主に対する偽道徳がたれ流す害毒である。

 

 

 

*大同時代 『礼記』「礼運篇」にある。伝説上の時代で、夏殷周の三代よりももっと前の超古代に想定されている。天下は万民のもので、私有財産という概念はなく、助け合ってみながみなのために働く、親睦融和の黄金時代。

 

*ドイツと日本、英国 清朝はその延命策として立憲を打ち出したが、それは君権の強いドイツ、日本を範とするものであった。その大綱は大日本帝国憲法の翻案に近い。一方、立憲派が望んだのは君主の力が弱い英国式であった。いずれにせよ、君主政打倒を目指す革命派にとって容れられるものではなかった。

 

*韓愈 かんゆ。中唐の人。当時はやっていた仏教や道家に対して、儒教の復興を図った。貴族政治から科挙を土台とする官僚制への移行期であり、それを根本から支える理論が儒教であった。

 

罪人として誅せられる 文王はその徳ゆえに人望があったため紂王に捕らえられ、献上品によって辛くも赦された。文王の死後、息子の武王が兵を起こし、紂王を伐ち殷を亡ぼして周を立てた。文王、武王ともに聖人とされる。

 

*君は、命令を出す者なり こういう社会分業論はつとに孟子に見られるものであるが、素朴な社会有機体説を思わせる。社会有機体説は十九世紀に流行した学説で、後進の日本や中国では二十世紀に入っても盛んだった。楊がこの流行の学説を早くも克服しているのは、注目に値する。引用は韓愈「原道」から(清水茂『唐宋八家文』朝日新聞社を参考にした)。

 

*尼山 じざん。この山に祈った結果、孔子が生まれたといわれる。孔子の字の仲尼は、ここからきている。

 

*蘇軾 そしょく。北宋の人。王安石の改革に反対した。号は東坡。引用は「潮州韓文公廟碑」の冒頭。韓愈の廟のための碑文である。なお、原文とは若干の異同があるが、訳は引用文による(清水茂『唐宋八家文』朝日新聞社を参考にした)。

 

*天子となる 原文は「黄屋左纛こうおくさとう」 『史記』「項羽本紀」「高祖本紀」にある。「黄屋」は車蓋が黄色い天子の車。「纛」は旗。これを車の左側に立てている。なお、『史記』「南越列伝」では、帝を僭称する様を表している。

 

*忘れられ 原文は「久仮不返」 『孟子』尽心上に「不仮而不帰」とある。借り物の仁義でも返さないで持ち続ければ、借り物だということが忘れられてしまうということで、覇者が不当に天下を得たのに、正当なものであるかのようになってしまうことを言っている。

 

*民はそろって平伏 原文は「民亦若崩厥角稽首」 『孟子』尽心下にある。「けっかくけいしゅ」は額を地につけて静止する、最も重い礼。要するに、一斉にひれ伏して帰順する様を表す。

 

*虚偽の法則 原文は「似非公理」。このあたりはアナキズムの影響が強いかに見える。それは否めないが、楊はつとに『新湖南』において、社会進化論の侵略主義を恥知らずな強権として批判している。アナキズムを受容する素地は、もともと有していたといえよう。

 

*強者の権利 J・J・ルソーは『社会契約論』で、強者の権利などというものはそもそも論理矛盾であり、あるはずのないものだと言う。そんなものは権利でも何でもない単なる横暴であるから、排斥せねばならないのである。

 原文の「排斥強権」はアナキズムの本旨(「アナキズム」の直訳は「無強権主義」)だが、ここはあえてルソーにまでさかのぼって訳してみた。

 

*孟氏のいうところ 孟氏は孟軻、孟子のこと。『孟子』離婁上「率土地而食人肉、罪不容於死、故善戦者服上刑」 土地に人肉を食わせる、つまり土地の争奪戦で人を殺す。その罪は死刑でも足りないくらいだ。故に、戦争の上手な兵法家は、最上の重刑、つまり極刑に処すべきである。

 

 

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