人物紹介

       

字・号・別名など

生没年月日

出身地

                          

陳天華
ちんてんか

星台・思黄・過庭

1875・3・6
1905・12・8

湖南省
新化県

猛回頭』・『警世鐘』・「獅子吼」などの作者。激情の革命宣伝家? 東京は大森海岸に踏海。

楊毓麟
よういくりん

篤生・守仁

1872・11・14
1911・8・5

湖南省
長沙県

『新湖南』作者。華興会の理論的指導者。中国のナロードニキ? 謎のテロリスト。英国留学中にリヴァプールで踏海。

楊昌済
ようしょうさい

懐中・華生

1871・6・8
1920・1・17

湖南省
長沙県

「教育救国」を志す教育家。楊毓麟の同族で親友。人格者として知られる、セルフコントロールの権化のような人。毛沢東の最大の恩師にして岳父。

宋教仁
そうきょうじん

遯初・漁父

1882・4・5
1913・3・22

湖南省
桃源県

議院内閣制を目指し孫文と対立。実現目前で袁世凱の凶弾に倒れる。

禹之謨
うしぼ

稽亭

1866・8・27
1907・2・6

湖南省
湘郷県

教育と実業とによる救国を目指す民族資本家。陳天華を敬愛し、岳麓山事件を起こす。

黄興
こうこう

慶午・克強

1874・10・25
1916・10・31

湖南省
善化県

辛亥革命三尊のひとり。華興会会長。「中国の西郷隆盛」といわれる。
詳しいことはこちらをご覧下さい。

楊徳麟
ようとくりん

性恂・杏生

1870
1913・10・13

湖南省
長沙県

楊毓麟の兄。国民党湖南支部長、湖南省財政司長を務め、第二革命時に袁世凱派に処刑される。

章士サ
しょうししょう

行厳・孤桐

1881・3・20
1973・7・1

湖南省
長沙県

『蘇報』主筆。華興会員。英国留学。英国型の議会制民主主義を主張。「宋教仁の霊魂」と呼ぶ人も。
のちに教育総長として魯迅に目の敵にされる。

焦達峰
しょうたつほう

   

1887・1・16
1911・10・31

湖南省
瀏陽県

早くから会党と深く交わり、アニキと慕われるまでになる。共進会を組織。三民主義の「平均地権」ではなく「平均人権」を掲げたことに対しては、土地問題への無理解と難ずる向きもあるが、むしろ被差別民を視野に入れた人権意識の表れの可能性がある。要検証。
武昌起義に呼応して独立した湖南省の都督となるが、間もなく立憲派に殺害される。

劉揆一
りゅうきいつ

霖生

1878・12・3
1950・11・1

湖南省
湘潭県

華興会副会長。分裂状態の同盟会を東京で守る。

劉道一
りゅうどういつ

秉生

1884・7・22
1906・12・31

湖南省
湘潭県

劉揆一の弟。華興会の長沙起義では会党(秘密結社)の馬福益との交渉にあたる。
・萍瀏醴起義の際に捕らえられ処刑される。

寧調元
ねいちょうげん

仙霞・太一

1883
1913・9・25

湖南省
醴陵県

革命人士の詩の結社、南社の代表的詩人。杜甫を深く愛する。
禹之謨とともに岳麓山事件を起こした。
反袁世凱活動をしていて、第二革命時に処刑される。

章炳麟
しょうへいりん

枚叔・太炎

1869
1936

浙江省

辛亥革命三尊のひとり。魯迅も師事した大学者。『蘇報』案の主役。出獄後、『民報』を主宰。

孫文
そんぶん

逸仙・中山

1866
1925

広東省

辛亥革命三尊のひとり。「中国革命の父」とされるが、わたしはそうは思わない。


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