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字・号・別名など |
生没年月日 |
出身地 |
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陳天華 |
星台・思黄・過庭 |
1875・3・6 |
湖南省 |
『猛回頭』・『警世鐘』・「獅子吼」などの作者。激情の革命宣伝家? 東京は大森海岸に踏海。 |
楊毓麟 |
篤生・守仁 |
1872・11・14 |
湖南省 |
『新湖南』作者。華興会の理論的指導者。中国のナロードニキ? 謎のテロリスト。英国留学中にリヴァプールで踏海。 |
楊昌済 |
懐中・華生 |
1871・6・8 |
湖南省 |
「教育救国」を志す教育家。楊毓麟の同族で親友。人格者として知られる、セルフコントロールの権化のような人。毛沢東の最大の恩師にして岳父。 |
宋教仁 |
遯初・漁父 |
1882・4・5 |
湖南省 |
議院内閣制を目指し孫文と対立。実現目前で袁世凱の凶弾に倒れる。 |
禹之謨 |
稽亭 |
1866・8・27 |
湖南省 |
教育と実業とによる救国を目指す民族資本家。陳天華を敬愛し、岳麓山事件を起こす。 |
黄興 |
慶午・克強 |
1874・10・25 |
湖南省 |
辛亥革命三尊のひとり。華興会会長。「中国の西郷隆盛」といわれる。 |
楊徳麟 |
性恂・杏生 |
1870 |
湖南省 |
楊毓麟の兄。国民党湖南支部長、湖南省財政司長を務め、第二革命時に袁世凱派に処刑される。 |
章士サ |
行厳・孤桐 |
1881・3・20 |
湖南省 |
『蘇報』主筆。華興会員。英国留学。英国型の議会制民主主義を主張。「宋教仁の霊魂」と呼ぶ人も。 |
焦達峰 |
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1887・1・16 |
湖南省 |
早くから会党と深く交わり、アニキと慕われるまでになる。共進会を組織。三民主義の「平均地権」ではなく「平均人権」を掲げたことに対しては、土地問題への無理解と難ずる向きもあるが、むしろ被差別民を視野に入れた人権意識の表れの可能性がある。要検証。 |
劉揆一 |
霖生 |
1878・12・3 |
湖南省 |
華興会副会長。分裂状態の同盟会を東京で守る。 |
劉道一 |
秉生 |
1884・7・22 |
湖南省 |
劉揆一の弟。華興会の長沙起義では会党(秘密結社)の馬福益との交渉にあたる。 |
寧調元 |
仙霞・太一 |
1883 |
湖南省 |
革命人士の詩の結社、南社の代表的詩人。杜甫を深く愛する。 |
章炳麟 |
枚叔・太炎 |
1869 |
浙江省 |
辛亥革命三尊のひとり。魯迅も師事した大学者。『蘇報』案の主役。出獄後、『民報』を主宰。 |
孫文 |
逸仙・中山 |
1866 |
広東省 |
辛亥革命三尊のひとり。「中国革命の父」とされるが、わたしはそうは思わない。 |