●5月9日(火)
連休の間、千歳村からほとんど出なかった。朝食前に公園を歩き、昼食後に午睡、という日が多かったような。
散歩途中の家々の庭で、鉄線が咲いている。
連休明けたら、さいかち坂のベニバナトチノキが満開になっていた。この坂を上りきったところに、清国留学生会館がある。
数日前の『朝日新聞』に、中国の日本留学110周年についての記事があった。編集委員氏の署名記事。なるほど清朝が日本に留学生を初めて派遣したのは1896年だった。
以来110年の間には「盛んな時期と衰退期があったが」などとあったけれども、朝日に言われたくないなあ。
●5月14日(日)
昨夜NHKで放映した『アジア留学生が見た日本』という番組はすごかった。「日露戦争勝利で希望を与えた明治日本▼なぜアジアの若者達は数年で失望したのか」がテーマ。
日清戦争から説き起こし、敗戦の反省から変法運動が起き、その一環として日本へ留学生が派遣されたと。
星台先生の写真が、留学生の代表みたいに、いきなり大きく出されたので驚いた。
番組はそれから日露戦争の衝撃や、ベトナムの潘佩珠の東遊運動にふれ、その後、留学生等の「希望」を日本が裏切っていく過程を説いていた。
あたりまえだ。「希望」はそもそも勘違いだったのだから。日本はアジアを欧米列強から解放しようとしたわけではない。自分も列強になり、その位置をとってかわろうとしただけだ。
驚いたのは、留学生取締規則を取り上げたばかりでなく、陳星台の踏海を単なる取締規則への抗議としてではなく、東京朝日新聞の12月7日の記事と関連づけていたこと。ちゃんと新聞の実物も見せてくれた。「放縦卑劣」を当時のルビどおり「ほうじゅう」と読んでいた。
ただ、一つだけ気持ちの悪いことがある。
礫川小学校の明治42年度(1909年)の卒業生名簿に、東遊運動で来日したベトナム人の名があるとして、その名簿を見せてくれた。
「黄一欧」とあるので思わず叫んだら、これは中国人を装った偽名で本名は黄文紀(ホアン・バン・キ)だと。なんだ、別人の偶然か? と思ったら、保護者欄に「父 黄興」! これはベトナムから同行したホアン・フンだと説明され、さらに「宮崎寅蔵方」と寄宿先が!
黄一欧は黄興さんの長子で、宮崎家に預けられ、そこから小学校に通っていたはずだ。
名簿の「黄一欧」君は明治29年(1896年)6月16日生まれのとのこと。黄興さんの一欧君は、わたしの手元の資料では明治25年生まれだから、ちょっとずれる。
これは何だ? 何かの間違いか、宮崎が黄興親子の名をそっくりもらったのか?
黄興さんは大学入試にも出てくる(たぶん)くらい知名度の高い大物なのだから、ひとこと説明が欲しかった。
改めて思ったのは、漢文は東アジアの国際語だったのだなと。潘佩珠が大隈等と漢文で交渉していた。何千年も、それが当たり前だったのだ。おもしろいのは、いま日本に留学中の中国人学生が、ベトナムが漢文を使っていたとは知らなかったと言っていたこと。そんなものなのか。わたしも漢文読めないし、どこかで切れてしまったのだろう。世界が変わってしまったのだ。
ということで、生まれ年年表に潘佩珠を追加した。こんな大物を落としていたとは。
●5月28日(日)
今日はエレカシのライヴなのだけれど、行けるかどうか不明。夫の具合が悪すぎる。一人でも行けと言ってくれてはいるが、どうするか。
35越えるとスタンディングはきついと、宮本自身も言っていた。同世代のファンを気遣っての発言だ。
どうせ立ちっぱなしでも、席があると立ち位置を気にしなくていいから楽なのだ。わたしは元気だが、夫は年二回、野音ともう一回くらいでたくさんだと言う。若いファンが増えて、空気も変わってきたし。
神保町に1万円で出ていた『宋教仁の日記』はいつの間にかなくなっていた。買う人、いるんだねえ。
その遯初君は『神経衰弱の予防法』なる書物の広告を見てすぐに取り寄せ、一読して著者の考えに共感を覚えてその病院で受診し、確かに神経衰弱であると診断されている。
予防法って……そんな本を読もうと考えるのは「予防」なんて段階の人ではなかろう。と思っていたのだが、1905年の東京朝日新聞に同じ題名の連載記事を発見。なるほど新聞記事ならば、「まだ」問題ない人が何の気なしに読んで「予防」に務めることもあり得るか。
我が家の居間には数年前から鬱病の本が転がっている。誰も読んでいないけれど、これは何だ?
●5月28日(日)A
到底行けまいと思っていたライヴだが、行けそうだ。
夫は昼過ぎにむくっと起き、お経をあげて、お念仏を唱えているうちに、声に力が出てきて、どうにか復活の模様。
時間ぎりぎりに行って後ろでおとなしくしていよう、ということで、これから仕度をする。
●5月29日(月)
昨日のエレファントカシマシ「今をかきならせ」(リキッドルーム恵比寿)。以下に夫のレポートを。某BBSに書いたものです。
一年ぶりのリキッド。
開演前から異常な熱気。胸苦しさをこらえながら待つ。
ライトが消えて、やがてメンバー登場。いきなり「ディンドン」と「地元のダンナ」。非常に気合いが入っている。
2曲目「理想の朝」。気合い入りすぎのきらいも。途中で延々と、「目を覚ませ」「目を覚ませ」と。「怠けてんじゃねえ、お見とおしだ」などとメンバーにも客席にも食ってかかり、やがてアジり始める。まるで何かの政治集会のよう。嫌いではないけれど。
「甘き絶望」は、ゆったりヴァージョン。ガンガンいくと思ってたんだけど。
「すまねえ魂」をやりかけたところで、「ちょっとやめにしましょう」と、演奏を止める。石くんのギターがまた音が出なくなったよう。古いアンプだと熱気で真空管がダメになるとか何とか、一所懸命説明してくれました。ギターが直って、「雨の日に……」。これが案外のれるんだ。
次が仕切り直しの「すまねえ魂」。それこそのたうち回ってみせてくれました。曲の終わりの方では「どこでもない、ここなんだ」というようなことを言っていたような気もしたんだけど。
「人生の午後に」。ささやいたり、科白を言ったり、ある意味演劇調ではあったのだけれど、すごく説得力があって、浮いていなかったと思う。実感の勝利かな。
「シグナル」。イントロで客席がわきました。キーは少し合わなかったようです。この曲は音域広すぎて、本人でも歌うの難しいんでしょう。最後の「どの道俺は」の前に、「心の花咲かせる人であれ」を繰り返してくれたのは感動でした。
その後「四月の風」をアップテンポにやり出して、途中からまるきり歌詞が変わって、おそらく即興で、聴いていてすごく気持ちよかった。中途で終わった感じはあったけれど、でも気にならなかった。
「今をかきならせ」は言うことありません。最高です。
「たゆまずに」も、やっぱりのれる。不思議。
「祷ってゐた」。最初に音を合わせて、とても大事に始めたのを覚えている。ハンドマイクを握りしめるようにして、それこそ祷るような形で始まった。宮本が歌がうまいのは言うまでもないことで、デビュー当時からめちゃくちゃうまいのだけれど、再デビュー後から10年つき合ってきて、彼の歌のうまさはいやというほど分かっているのだけれど、それでも今度の「祷ってゐた」は、凄まじいほどうまかった。レコードどおりなんてものではなくて、もっと味があり情感が籠もっているのだけれど、少しの声の乱れもなくて、とても人間の歌声とは思われませんでした。去年の野音の「凡人」よりも、個人的にはすばらしかったと思います。
終わった後、本人も照れていたのか、「祷る」という字を脱稿後に不安になって調べ直して、文語版の聖書で確かめてよかった云々というのは、何なんだろうな、この人の行動は。
次が「デーデ」。そして「流れ星のやうな人生」。これ、生で聴くといいですねえ。
アンコール待ちの時も本当に拍手が凄かった。エレカシを支えるファン層というのが本当に厚くなったのだなと感じました。まるで昔、PANTAのライヴに行った時みたいだ、と思った。ロックファンて、時代を越えて不滅なんだね。
アンコールはなかなか始まらず。曲を本当に決めてなかったみたい。「何やろっか。四月の風はやっちゃったし」みたいなことを客席に。上手の方で「星の降る様な夜に」と女性の声。私の前では「凡人」。どこかで「花男」と言った人がいるらしくて、宮本に「花男は無理です」と言われていた。結局「so many people」。詞がぐちゃぐちゃだったけれど、あのノリはやっぱりうれしい。たまには「コールアンドレスポンス」なんかも聴きたいな。
最後は「果てしなき日々」。圧巻でした。
トミはメンバー紹介の時に声をかけたら、ちょっとスティックを上げて応えてくれたようにも見えた。本当のところは分からないけどね。でも元気になって帰ってきてくれてよかった。
今回は体調不良のため参加を見合わせようと思ったのだけれど、大阪の方の熱いレポを読んで、這ってでも行こうと思い、行ってきました。やっぱりよかったです。ありがとう。
(以上)
これだけ大量に書かれると、つけ加えることはあまりない。
「so many people」は何年もやっていない曲。そのため、演奏はしっかりしていたものの詞はめちゃくちゃで、同じことばを何度も繰り返す感じになっていた。わたしにとっては特別な曲なので、この情況であの二箇所がどうなるか気がかりだった。結果、
「矛盾するようだが激烈な変化を求めるあまり死んでしまう人がいる 無駄死にさやめた方がいい」は、同じ意味のことを違うことばで歌ったと思う。「無駄死にさ……」は「慌てんなよ」とか何とか。
そして「革命も瞬間の積み重ね」は、原詞のまま。宮本にとってもここがこの歌の勘どころなのかなと、勝手に解釈して喜んでいる。
この曲を終えて宮本は、「きれいな曲ですね」みたいなことを言っていた。そうだよ。奇矯さに目が行きがちなエレカシだが、宮本の曲は旋律だけ取り出すと、実はたいへん美しいことが多い。
幸せな夜だった。1曲目からぴょんぴょん跳ねてしまった。アンコール待ちで「宮本ー」と叫んだのは初めて。しかも3回も。みんながすごくがんばっていて、女の子でも盛んに声をかけていたから、わたしも無理なく声を出せた。メンバー紹介では自然に「成ちゃーん」と。トミ、元気そうだった。力強い音がうれしかった。
レコードでぴんとこなかった詞が、ライヴでぐわっと迫ってくることがある。今回は「人生の午後に」の「思ひ描いた日々と今の自分を重ねて」がそうだった。「すまねえ魂」の「今あるこの自分が俺の全てだなんて思ひたくはなかつた 空だけやけに青くて彷徨ふ俺照らしてゐる」も痛いなあ。
今日は左腕がだるい。でも幸せ。
次は6月末。そして野音か。
●5月30日(火)
腕が痛い。脚も張っている。筋肉痛なのだけれど、昨日よりも今日のほうが辛いというのは、つまり歳をとったということか。すごい暴れようだったからと夫は笑うが、宮本があのきゃしゃななりで汗みどろでがんばっているのだから、こちらも精一杯応えねば。
なにしろ宮本は、身長170近いのに目方は50なく、その上ライブのたびに2〜3キロは落ちるという。それなのにあの声だ。宮本のあの強い声があの身体のどこから出ているのか不思議だ。きっと天地と通じてそのエネルギーを取り込み、身体を通じて出しているのだろう。なんでそんなことができるのか不明だが。
だいたいあの人は、10歳の時点で既にパワフル且つうまかった。うまいという点ではこまっしゃくれた小憎らしいものだが、まっすぐなパワーに裏打ちされているから聴かせられるのだろう。
ところで。入浴しながら、ぼうっと長吉さまのことを考えていたら、泣けてしまった。
で、以前書いた小伝に加筆してみた。
いずれ、芥川龍之介が高等学校のノートに落書きしていたという「将進酒」でも訳してみようか。むちゃくちゃ難しいと思うけど。
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