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野歌

題帰夢

出城 寄権・楊敬之

示弟

 

 

李賀について少々

野 歌 他  李賀

 

 

野歌 

 

 鴉箭山桑弓

 仰天射落銜蘆鴻

 麻衣黒肥衝北風

 帯酒日晩歌田中

 男児屈窮心不窮

 枯栄不等嗔天公

 寒風又変為春柳

 條條看即煙濛濛

 

 

万年浪人生の若者が、酔っぱらって野っ原で歌う歌。

 

 鴉の羽の矢に山桑の強弓

 天を仰いで射落とす蘆をくわえた雁

 黒く垢じみた受験生の制服は北風を衝き

 酒気を帯びて日暮れどき野っ原に歌う

 男児は屈窮すれども心は窮せず

 枯栄の等しからざるを天帝に怒る

 見ていろ、寒風はまた変じて春の柳となり

 そうなりゃ枝枝は見る間に芽吹いて、けぶるようじゃないか

 

 

  

題帰夢

 

長安風雨夜

書客夢昌谷

怡怡中堂笑

小弟裁澗菉

家門厚重意

望我飽飢腹

労労一寸心

灯花照魚目

 

 

帰郷の夢

 

長安 風雨の夜

書生は故郷の昌谷の夢を見た

座敷は朗らかな笑いに満ち

弟は手ずから菜を摘んで

みな心をこめて歓迎してくれた

俺が出世しさえすれば食うに困ることもなくなると

都でひとり夜更けに目醒め 思いは千々に

眠れぬ目を魚の如く見張っている

 

 

 

出城 寄権・楊敬之

 

草暖雲昏万里春

宮花払面送行人

自言漢剣当飛去

何事還車載病身

 

都を出るに際して友人たちに贈る詩

 

草は暖かに雲は暗い万里の春

皇宮の花ははらはらと散って旅人の顔をなでる

俺は魔法の剣のように空高く飛び上がるはずだったのに

どういうことだ 病身を車に積んで帰るとは

 

 

 

示弟

 

別弟三年後

還家十日余

醁醽今夕酒

帙去時書

病骨独能在

人間底事無

何須問牛馬

抛擲任梟盧

 

弟に贈る詩

 

おまえと別れて家を出たのは三年前

家に帰って十日あまり

今宵の酒は緑の名酒

書物の山は出かけたときのまま

なのにこんなに病み衰えているとはどういうことだ

世の中ぐちゃぐちゃでなんでもあるから

ひと様に牛と言われようと馬と言われようと知ったことではない

人生サイコロまかせの出たとこ勝負だ

 

 

 

 「野歌」から続けてこの三首を並べると、一篇の物語のようになる。詩集にはばらばらに載っていて、わたしが勝手に集めて並べただけなのだが。

 

 

李賀(り・が)、字は長吉(ちょうきつ)。中唐の人。791〜817。十代で父を亡くし、母や弟の暮らしが長男たる彼の肩にかかるが、後に「鬼才」と呼ばれるほどの特異な才を持ちながら(あるいは、才ゆえに?)、反対する者があって進士にはなれず、小役人の地位に甘んじなければならなかった。生来病弱で枯れ木のように瘠せていたといい、禄を求めての上京と病気帰郷とを繰り返し、郷里で母や姉に看取られて白玉楼中の人となった。行年二十七。なお、中国では「鬼才」の称は彼独りのみに用いられる。

 

 ここにはこんな詩のみを集めたが、もちろん長吉とておのれの不遇のみを詠っていたわけではない。

 それは稿を改めて紹介できればと思う。

 

 

2004年9月7日

 

 

 

★白玉楼中の人

 長吉が臨終のとき、緋色の衣の人が赤い虬(みずち=龍の一種)に乗って現れ、「天帝が白玉楼を完成したから、お祝いの文を書くように」と長吉を天に召そうとした。長吉が「おかあちゃまが老いているし病弱だから行けない」と断ると、緋衣の人は笑って、「天上は地上と違って苦しいことがなく、楽しいところだ」と。長吉は独りで泣いていたが、ややあって息を引き取った。

 魯迅はこの話を、老母を悲しませないために長吉がついた嘘だという。そんなことをいうのなら、魯迅には長吉好きの看板を下ろしてもらいたいと思う。

 この逸話を記した李商隠は長吉の姉と姻戚関係があり、彼女から直接これを聞いたのだといい、彼女は嘘のつけるような人ではないとわざわざ断っている。

 恐らくその場にいた人がみな、緋衣の人を見たのであり、そういう意味でこれは確かに事実なのだ。「天上は苦しくなく楽しいところだ」ということばに、不遇のまま早世する長吉を不憫に思う人たちの気持ちがよく表れている。

 なお、「おかあちゃま」というのは、長吉が幼時に母を呼んだ語を仮に訳してみたもの。実の姉ならではの証言だ。

 この語を「おかあちゃん」と訳しておられる先生もいるが、長吉には気位の高いところがあり(元をたどれば唐の皇室につながる家系だと)、それはお母様のお仕込みではないかと思われるので、「名家」らしい語を選んでみた。

 

 2006年5月30日

 

 

 

★参考図書はこちらをご覧ください

 

 

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