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ミシュレ『革命の女たち』

 

 

12 ロベスピエールに対する女性の崇拝

 

 

 人が意外に思うかもしれないのは、ロベスピエールのように、一目見ても厳つい男が、好んで清貧に甘んじ、身嗜みよく、端正ではあるものの、型にはまって映えず、故らに簡素を衒うこの男が、女性たちからあれほど愛され、ちやほやされたということだ。

 

 これには一つの答えしかなく、しかもこれこそこの男が崇拝の的となった秘密のすべてなのだが、つまり人に頼もしい感じを起こさせていたのだ。

 女たちは厳しくて勿体ぶった様子が少しも嫌いではない。男の軽薄さの犠牲になることがあれほどよくあるので、安心させてくれる男に喜んで近づく。厳しい男こそ、概ね、愛する一人のために最もよく心を捧げ続けるものだと、女の人たちは本能から推して考えているのだ。

 

 女性にとっては、心の情こそすべてである。世間で、女は楽しませてもらいたがると考えているのはまちがいだ。ロベスピエールの感傷をさそう美文口調が時折いくら退屈に聞えても、「美しい行いの魅力、母の情の優しい訓え、浄らかで優しい内輪の親しみ、もののあわれを知るわたしの心、」そのほかこれに似た文句を言うだけで、女たちは感動してしまった。こういう一般的な問題にまじって、ふつう自分の身の上や辛い経歴の苦労や、個人としての悩みについて、いつもある独特な、もっと感傷をそそる部分もあったことを附け加えてごらんなさい。これはみな、どの演説にも、おきまりなので、聞くほうでも、そのさわりを待ちうけてハンカチを用意していたくらいだ。それから、感動がはじまると、自分の蒙っている危険や、敵の憎しみや、いつの日にか自由に殉じた人々の灰に注がるべき涙について、一つ二つ違う箇所を除けば、解りきった條りがやって来るのだった。しかし、そこまで来れば、十二分で、心の情は堰を切ったように溢れ出、女たちはもう自分を抑えかねて泣きくずれてしまった。

 

 ロベスピエールはこの場合に蒼白い沈んだ顔付にひどく助けられて、それだけでも感じやすい心の持ち主の同情をそそった。『エミール』や『社会契約論』の片言隻句を引きながら、壇上に起つとルソーの哀れな私生児のような趣きがあった。眼は気ぜわしくまばたき動きながら、絶えず場内を馳せめぐり、仄暗い隅にまで見入っては、しばしば婦人の桟敷の方を見あげた。そのために、二組の眼鏡を、一つは近くを見たり読んだりするために、もう一つは遠くを見極め、まるで誰かを探すかのように、真剣に、巧みに操った。みんなめいめいに「わたくしだわ」と独りごちた。

 

 女たちの依怙贔屓が殊に目立ったのは、九二年の末ごろ、ジロンド派と戦うにあたり、陰謀家どもが姿を消せば、自分も公生活を棄て、演壇を去って「浄らかな優しい内輪の親しみの楽しさにひたって日を送る」ことよりほかに何ひとつ望まないだろうとジャコバン党の者に言い放ったときだった。多勢の女たちの声が桟敷から発せられた、「わたくしたちもお伴いたしましょう! わたくしたちもお伴いたしましょう!」

 

 こういう熱のあげ方には人柄と時勢とのおかしさを除いてみて、大いに敬意を払わなければならない一つのことが含まれていた。品行が一番立派で、廉直ぶりが誰よりもよく裏書きされ、理想が最も高い男、腹に劣らぬ腕をもち、そういう時期に自ら宗教思想の擁護者を以て任じ、敢えて、九二年十二月に、祖国の救済を摂理に感謝することを辞さなかった男に、女たちは心から附いて行ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

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