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ミシュレ『革命の女たち』

 

 

11 ダントンの二度目の夫人(93年の恋)

 

 

 ジロンド党の没落に次いだのは、限りない失意落胆であった。勝利者も敗者と同様にそれに襲われた。マラは病気にかかり、ヴェルニヨは進んで逃亡しようとさえもしなかった。ダントンは政治上の事件の一種の「不在証明(アリバイ)」として再婚を求めていた。

 恋はヴェルニヨの死にも、ダントンの死にも与かって力があったのである。

 

 ジロンド党の大雄弁家で、当時は淋しい庭ばかりの町クリシー街に囚われの身であり、公会にというよりは寧ろカンデーユ嬢にとらわれたヴェルニヨは、愛と疑念との間にさまよっていた。何もかも無に帰してしまうような時に、劇場の華やかな女性への愛が果して彼に残されているのだろうか? 彼が中に蔵しているものは、山岳党に対して投げつけた烈しい書簡の中にぶちまけてしまった。宿命が彼の行動を封じてしまったが何の心残りもなかった。彼はかく死に着くのを心地よく思い、一人の女がかくも心やすく流してくれる美しい涙を味わい、自分が愛されているのだと信じたかった。

 

 同じ頃、ダントンも同様な自殺的行為を整えていたのである。

 当時、大多数の人たちの場合が悲しいかなかくの如き状態であった。公けの問題が自己の問題となり、生と死との問題になる時になって、彼等は言った、「そんな事件はまた明日にしよう。」と。彼等は家に閉じこもってしまい、家庭に、愛に、自然に、逃れてしまった。まことに自然はよき母である、彼等をやがて迎え、その胸に同化してくれるであろう。

 

 ダントンは喪の明けぬうちに再婚した。あんなに愛していた最初の夫人は、二月十日に死んだばかりである。今一度、彼女の姿に見えんとて、同月十七日地中から彼女を掘り出した。四ヵ月たった日も同じ六月十七日に結婚したのである。嘗ての十七日には、気もそぞろに、苦痛に面を赤らめて彼は、地面を掘りかえし、恐怖にみちた柩を覆う黒布の中の、彼の青春であり、幸福であり、財産であった者を抱きしめたのだった。彼は何を見たか? 彼の腕に抱きしめたものは何であったか? (七日もたっているのだ!)確かなことは、明らかに彼女が彼に対して勝ちを占めたということである。

 

 死に臨んで最初の夫人は再婚を望み、準備してやっていたが、彼の失墜は大部分再婚に帰し得る。彼を激しく心から愛している彼女は、彼が恋をしているのだと見てとって彼を幸福にしてやりたかった。二人の子供を残して行くが、子供達にまだ少女のような母親を与えることを望んでいた。年も僅かに十七ではあるが、魅惑的な心にみちており、ダントン夫人のように敬虔で、王様びいきの家に属している。九月の反乱と夫の恐ろしいような名声とで、息もたえだえのこの惨めな女性は、こうやって再婚させてやれば、夫は革命から手を引いて改心を準備し、王妃や、タンプルに幽閉されていた皇太子や、一切の嫌疑をかけられている者の、秘かな弁護人と多分なるだろうと信じていたようだ。

 

 ダントンは、廷丁をしていたその少女の父親を高等法院で識っていた。大臣になった時、海軍の方によい口を見つけてやった。家族はダントンに義理を感じていたものの、結婚したいという彼の考えをそう易々と受入れる態度はとらなかった。母親は彼の恐ろしい名前などにちっとも臆せずに、彼が実際やった訳でもない「九月事件」や、彼が救えば救い得た王の死について冷やかに非難した。

 

 ダントンは弁解がましいことは差し控えた。その諍いには勝ちたいし、心は恋に燃え、追いつめられてしまった時、このようなはめに陥ちこんだ人のよくやるようなことを彼はやった。即ち彼は後悔してみせた。実際のところ、この極端な無政府状態が自分には支え切れぬような状態になってきていて、自分自身ももう革命には疲れ果ててしまったということを告白したのである。

 

 母親には嫌われているし、娘にもそんなに気に入られてはいなかった。華車で綺麗なルイズ・ジェリ嬢は昔気質で平々凡々たる正直な人たちの平民の家族の間で育てられ、旧制度の伝統の中にすっかり浸っていた。彼女はダントンの傍にいると、驚きを覚え、愛を感ずるよりはむしろ恐ろしかった。獅子と人間とが一緒になったようなこの一風変った男は、彼女にはどうも解せない人であった。鋭い牙を隠して爪をひっこめてみせたが、無駄である。この選りぬきの怪物の前では彼女の心はどうにも落着かなかった。

 しかし怪物とはいえ善人であったのだが、彼の中にひそむ偉大なものが彼のいうことをきかない。神秘的な荒々しい精力や、閃き輝く詩的な醜さ、永遠の思想や言葉の滔々として迸り出る強い男性的な力、こういったものが、この年のいかぬ女の心を怖けさせ、恐らくその心をちぢこまらせてしまったものだろう。

 

 彼女の家の者たちは、これこそどうにもならぬ障害になるだろうと考えて、カトリックの儀式をうけなければならないという事を持ち出し、簡単に厄介払いをしたものと考えていた。ダントンは正にディドロ(啓蒙思想家で、彼は有神論から最後に無神論に達した)の血を受継ぎ、キリスト教などは迷信としか考えず、彼が崇めるのはただ「自然」ばかりであるということは周く人々の知っていたことだ。

 

 ところが、この故にこそ、この「自然」の申し子であり僕である男は、いとも難なくこの事に従ってしまったのである。どんな祭壇であろうと、偶像であろうと、差し出されれば、駈けつけそこで誓いを立ててやる。……かくの如きが彼の盲目的な欲望の専横をきわめた力なのである。自然のたたずまいにしたところがこの罪の一端を負っている。自然はその鬱積した力を一時にすっかり拡げたのだ。春はすこし遅れて、灼けるような夏となって爆発した。バラの花が噴き出る如くに咲き出たのである。華やかな季節と混乱した世情とが、かくも甚しい対象を示したことは嘗てなかった。道義地に墜ちて、燃えるような我武者羅な情熱にみちた気候がますます激しく力を振うのであった。こんな刺戟の下にあってダントンは、祝福を不倶戴天の司祭から受けなければならぬと言われても、大して争うこともしなかった。火の中でもくぐってみせたかも知れない。屋根裏住いの真面目くさった少しいかれているこの坊主は、金を出して買った証文だけではダントンを結局許さなかった。跪いて、懺悔の真似をしなければならないといわれ、彼は同時に二つの宗教――現在の宗教と過去の宗教と――にただ一つの行為で不敬を働いたわけである。

 

 自由意思と「恩寵」の古びた祭壇の残骸の上に、革命の議会が「法」の宗教に捧げてうち建てた祭壇はかくて今いずこに行ったのか? ダントンの友、善良なるカミーユが来るべき世代に率先範を示して、自らのみどり児を連れて行ったというあの革命の祭壇は何処に行ってしまったのか? 

 

 ダントンの肖像、とくにダヴィド(古典派の画家、大革命にはジャコバン党員として活躍)が夜々、国民公会に訪れてとった素描画を識る人々は、百獣の王たる獅子から転落して牡牛の如くとなり、いわば、陰険で品のない、野蛮な肉欲に身悶える典型(タイプ)たる野猪になり下った次第がわからぬことはあるまい。

 

 かくて新しい力が生れた。それは全能の力を以て、次にわれわれが語らねばならぬ血腥い時代に君臨せんとしている。柔軟な力、恐ろしい程の力、大革命の根源を底から覆し破壊する力。共和国的風習の装おえる厳格さの下に「恐怖」と断頭台の悲劇の時代にあって、女性と肉体的恋愛とは正に九三年の王者であった。

 

 荷馬車にのせられ冷然として口に薔薇の花を銜えて立ち去り行く死刑囚が見受けられた。この薔薇こそ時代のまことの姿である。これこそ人を死に導くものである。この血を浴びたような真紅の薔薇こそが。

 

 このように連れ去られ、引き出されたダントンも、そのことを冷笑的に苦痛にみちた率直さで、こんなにまでいわなくてもよいと思われるが、告白した。陰謀の罪(外国との内通のこと)を問われたとき、彼は言った。「俺だって? あり得ぬことだ。……夜間恋に身を燃やす男にどうしろというのだ!」

 

 今なお繰返して歌われる悲しい歌の中に、ファーブル・デグランティーヌ(劇作家、ダントン派のジャコバン党員で、革命歴の月の名を定めた)や他の者たちが残した陰惨な情欲のラ・マルセィエーズがある。幾度となく牢獄や法廷で、又断頭台の足許に於てまでも歌われたものだ。九三年にあって「愛」は「死」の兄弟であるという本来の姿を現わしたのである。

 

 

 

 

 

 

    

 

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