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多摩丘陵から 〜日記のようなもの
2014年8月 3日 4日 5日
●8月3日(日)
先週、不忍池に蓮を見に行った。大好きな仏様の花。なぜあんなに清らかに光っているのだろう。
芙蓉国(湖南省)の人の命日が近い。ゆかりの場所が分からないので、例年は清国留学生会館(のあった場所)へ行っているが、今年は蓮を見に行こうか。お経代わりに楚辞でも持って。
夜、雲間に月を見た。八日の月。昨日は七夕だった。なるほど、このあたりの月は舟のようだ。銀河を渡る舟。やはり七夕は陰暦ですべきだ。
●8月4日(月)
1911年の今夜、彼は汽車でアバディーンを発ち、リヴァプールに向かう。
●8月5日(火)
楊篤生先生、没後103年。
踏海時の模様については、前に記した。
「英国工党」と格闘している今、彼がどんなに優れた思想家だったかを、改めて感じている。
今日、改めて『新湖南』をはじめとする彼の文章の幾つかをながめた。
やはり、この人はすごい。ルソー理解なんかも、しっかりしたものだ。
リヴァプールには、まだお墓はあるのだろうか。
あるといいな。
昼、猛暑にあえぎながらも不忍池まで行ってきた。「離騒」の一部を、日傘に隠れてもごもごと読む。「芰荷をたちて以て衣と為し、芙蓉を集めて以て裳と為す」
「大きな蓮の葉を裂いて上衣を編み、ピンクの美しい花びらを縫ってズボンにする」というところだろうか。
緑の衣にピンクのズボンで立つ姿を思い浮かべると、まるで人が蓮の精に化したようだ。やはり仏法以前から、蓮は高潔さを意味してきたのだろうか。
上が葉で下が花ということは、入水をイメージしているのかもしれない。
戦国時代とは民族に異同もあり、湖南人=楚人とは言い難いだろうが、やはり彼らも長江の精に呼ばれたのだろうか。
陳星台も姚剣生も、そして楊篤生も、最期は屈原同様、その身を水に沈めている。
もう、蓮の花に生まれ変わっているだろうか。