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多摩丘陵から 〜日記のようなもの      

 

2011年8月 1日 5日 11日

 

●8月1日(月)

 八月になると、楊篤生のさいごの日々について考えてしまう。きっとぐちゃぐちゃだったのだろう。呉弱男を怯えさせ章行厳を泣かせたのがいつだったのか。そしてその場にいたはずの昌済先生は何をしていたのか。何もできなかったから、なるようになったのだろうけれど、先生もさぞ辛かっただろう。翌々年、捕えられた徳鄰の救出のため、一緒に処刑されたとデマが生じたほど懸命に奔走したのは、そのためでもあったのではないかと、わたしは勝手に推測している。

 

いつからか分からないが覚悟を決めて、静かにきっかけを待っていただけではないかと思われる星台先生とは違い、篤生は状況が悪すぎて、切羽詰まってのことではないかと思われる。

どうしたというんだろう。あれほどの人が。もったいない。

もうちょっと、あと二カ月我慢できれば、世界は変わっていたのに。

 

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ヒグラシが鳴いている。

 だいぶ日が短くなった。

 

 

 

 

●8月5日(金)

 ついにこの日が来てしまった。

 2011年8月5日。楊篤生没後100年。

 

 100年前の昨日アバディーンを発った彼は、夜汽車に揺られ、リヴァプールへ。

 彼の踏海の周辺については、以前ごちゃごちゃ書いたので、ここでは繰り返さない。

 

 100年なのだけれど、どこかで催しでもないだろうか。リヴァプールの華僑の方々は、まだお祀りしてくれているのだろうか。子孫の方はいらっしゃるのではないかと思うので、長沙かどこかでお祀りしてくれるだろうか。

 こんなに異常に優れた人なのに、世に知られていないのは何故だ。あまりに不当だ。もったいない。誰か、研究者はいないのか。

 

 ともかく、わたしは例年どおり、一人で勝手に追悼する。異族だからお祀りするわけにはいかないが、追悼なら問題ないでしょう。

 と言っても、墓所のあるリヴァプールにも、「晩年」を過ごしたアバディーンにも、

青春の地である長沙にも、故郷高橋にも、行けるわけがない。それどころか、今日は勤めが休みなので、神田区駿河台鈴木町の清国留学生会館にも行けない。体調が悪くて電車に乗れないから、多摩の奥地で偲ぶだけだ。

 

 楊昌済先生によれば、篤生は仏徒だったとのことだが、宗旨はなんだろう。

学問仏教なら華厳か法相だろう。英人との議論で「私が私を造った」と言い放った辺り、法相っぽいか。けれど、いずれにしろ哲学で、供養云々という感じとは遠い。

星台先生なんかは観音ぽいけど、篤生はそんな感じもない。菩薩なら文殊か勢至か。

文殊はかっこいい。切れ味鋭く、ばっさばっさと斬ってくれる。でも文殊は優しいよ。善財童子を導き、維摩の受け太刀を務めて花を持たせる。

篤生の剣も鋭い。その見識、その思想は、ほとんどオーパーツじゃないかと言いたくなるほど、時代から突出している。

でも私人としてはなかなか困ったちゃんで、妻子から見たらどうだったのだろうと思わざるを得ない。黄興さんが称えた緻密さや粘り強さは、家庭内で発揮されると、やたら細かくねちねちと小言を言う、厄介な夫であり父であったようだ。それでも、孝子としての型を崩さない母への手紙より、感情の見える妻子への手紙がわたしを泣かせる。

 もちろん、愛情もちゃんと籠もっている。大丈夫、息子さんにも伝わっていたはずだよ。きっと分かっていたと思うよ。

 

 

とりとめのない文になってしまって申し訳ない。11年8月5日は今日だけなのに、わたしの力が乏しすぎる。あまりに大きなあなたに、到底おっつかない。

ごめんなさい、本当に。

 

 

 

 

8月11日(木)

 公園のボス猫の茶トラが、暑くなる前に使っていた茂みに、仔猫がいた。ほんの小さな赤ちゃんで、ふるふると震え、わたしがのぞき込むと奥へ逃げてしまった。附近にはごはんが色々と置いてあったから、既に猫おばさんたちには知られているようだ。

 ボスのトラちゃんは、フェンス一つ隔てた駐車場の車の下で、ぺちゃんこになって寝ていた。陽の当たらないコンクリは冷たいのだろう。

 

 ここに越してきてまる二年。新参者のつもりだったが、今までに既に5カ所、草ぼうぼうの原っぱが消えた。かわって出現したのは、巨大量販店が2つ、戸建ての団地が2つ、巨大マンションが1つ。団地1つと巨大マンションは建設中だ。

 この辺りは多摩ニュータウンの中でも開発の最も遅いほうで、まだまだ原っぱは残っている。けれど、どれも時間の問題だろう。計画的に公園や緑地として残されたところ以外は、早晩きえるのだろうな。

 わたしが今いるここだって、十数年前までは「山」としか言いようのない狐狸の世界だったのだから、何とか言えた義理ではないが。

 

 今朝、クーラーが壊れた。泡喰って手配したら、明日来てもらえることになった。それまで、扇風機が頼りだ。

 集合住宅の悲しさで、窓を開けるとベランダ伝いに音が隣戸に丸聞こえになる。一人でいるなら、窓を開けていられるが、話をしたりTV点けたりするなら、閉めきるしかない。

 もともと扇風機さんは大好きで、よいお友達なのだけれど、命綱になるとは。

 

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 野音、参戦決定! 

 クジ運悪く、ひどく後ろの席だが、聞くところによると、とれただけでも幸運らしい。ツアーの入りが今ひとつ(八王子は当日券が出た!)だったから、バブルは弾けただろうと思っていたが、そうでもなかったか。あるいはツアーがよかったから、真のロックファンが新規参入してきたか?

 ともあれ、今年も行ける。97年からだから、ちょうど15回目の野音だ。そして、50回目のライヴでもある。ファン歴の割りに少ないか? 体力上の問題で、「フェス禁止、1ツアー1公演」を原則としてきたから、年に2〜3回しか行けないのさ。

 

 ということで、わたしたちにとって記念すべきライヴになるのか?

 待ってろ、宮本!

 

 

 

 

 

 

 

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