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千歳村から 〜日記のようなもの      

 

2008年3月  2日 4日 6日 9日 15日 19日 20日 22日 28日

 

3月1日(土)

 何だか知らないが忙しがっていたら、三月になってしまった。

 三月は、星台先生の生まれた月。そして宋教仁事件の起きた月。

 

 世は梅の盛り。でもあまり香りを追っていると、杉花粉にやられる。

 今年は去年の三倍量と聞くが、去年はずいぶん少なかったはずだし、本当のところ今年はどんなものなのか。症状が出て薬を飲み始めたのは今週になってからだし、それでもう来週がピークということは、期間が短いのか? 

 

 なんでもいいや。なんとかなるでしょ。

 

 久しぶりに公園へ行くと、雑木林の外れで何かが空から降ってきた。四十雀が二羽、組み合ったまま地面に落ちると、パッと分かれて別方向に飛び去った。羽毛が数枚舞い散った。

 驚いた。雀のけんかは何度か見ている。首筋に食いついたまま、地べたでぐるぐる回ったり。相手の背中に執拗に跳び蹴りをくれたり。

お茶の水の丸善の前で、ヒヨが取っ組み合ったまま地面に落ち、なおも離れずもみあっているので、通りかかったおばさんが二羽を分けるのも見たことがある。

四十雀もやるのか。あんな小さい鳥が。彼らのご飯は虫だから、厳しい季節なのかもしれないけれど、ちょっと興ざめ。仲よくやろうよ。

 

 

3月2日(日)

公園でエナガを発見? 雑木林で聞き慣れぬ声を聞き、小さい姿を見つけた。双眼鏡など持っていないから、見えるところに出て来てほしいのに、表に現れるのはシジュウカラばかり。あなたじゃなくて、そっちの人。と言いながら追っていき、何とか確認できた。シジュウカラより小さく、ネクタイしていないし、ピンクっぽいし、尾が長いからエナガか? 帰ってから図鑑を見たけれど、コガラのような気もする。でもピンクの印象があるし。よく分からないから、もう一度会って確認したい。

どちらにしても、初めて見る鳥だ。

 

千歳村で見たことのある鳥。

すずめ、からす、ドバト、デデポポ(キジバト)、オナガ、ひよ、椋鳥、シジュウカラ、ハクセキレイ、セグロセキレイ。ここまでは、ごく普通の鳥。

つぐみ、やまがら、こげら。これらは見つけると相当うれしい鳥。

キセキレイやカワラヒワは、もう何年も見ていない。千歳村では見ていないかも。

一度だけだが、カラス大の猛禽らしき鳥も見たことがある。あれは何だったのだろう。雑木林を高速で飛び、カラスが逃げ惑っていた。

 

 忘れてた。緑の怪鳥ワカケホンセイインコも、もうすっかりおなじみの鳥。十羽ほどの群れをなして、奇声を発して飛んでいる。

 

 

3月4日(火)

 エレカシの新曲「桜の花、舞い上がる道を」

 ライヴで聴いたときに驚いたのが、まず、宮本が桜を歌ったということ。彼は桜は嫌いだと公言していて、その昔、「上野の桜は八分咲き そこらでみんな大騒ぎ 花見なんぞのどこがいい 笑い顔さえ引きつった」と歌っていたくらいだ。その宮本が、桜を歌った。まだ熟していないのか、とりとめのない曲に聞こえたが、「桜の花舞い上がる」という、舞い落ちるではなく、舞い上がるというイメージが鮮明だったのが印象に残っている。

 

 さて、改めてレコードとして聴いてみて。

 かつてはわざと世間様に背を向けていたが、ぐるっと回ってど真ん中。もう遠回りはせず真正面からぶつかっていく……感じの詞世界は、四十路を迎えたここのところの宮本の感じで、それはもちろんいいのだけれど。

 何より歌がすごい。大地の端に手をかけて、根こそぎぐわーっとひっくり返すような、途方もなく暴力的なまでに力強い歌。桜の花が舞い上がるのではなく、「桜の花。舞い上がる道を」。道の方が舞い上がってしまいそう。

 あのきゃしゃな体から、どうしてこんな声が出るものか。

 今さらながら、呆れるばかり。

 

 持って行かれてしまう。

 

 

3月6日(木

陳星台先生生誕133年。

 彼は1875年3月6日、湖南省新化県下楽村に生まれた。父の陳善、号して宝卿は、母子家庭で苦労して育った人で、貧しい秀才だった。塾教師として糊口をしのいでいたが、村の知識人として人望があった。温厚で慈愛に満ちた好人物だ。

 星台先生は宝卿公45歳のときの子で、ほかに兄が一人。この兄とは20歳以上離れているから、あるいは異母かもしれない。わかっているのは兄だけだが、星台が「子女」と書いているから、姉妹もいたかもしれない。

文章のよしあしなんて分からぬわたしが言うのもなんだが、星台先生が生涯の最後に書いた文章を見ると、彼が本当にお父さんを大好きだったのがよくわかる。父を語る文章自体が、とても温かく優しいものに思えてならない。激烈な革命宣伝家とは思えぬくらい。

 宮崎寅蔵が彼の謙譲優美の徳を讃えているけれど、本当の話、志士の皆さんのうちの誰かと人としておつきあいするとしたら、彼が一番いいだろうと思う。コンプレックスの塊のような人で、寡黙で且つ激しやすいという、難儀な面もあるけれど、一緒にいて気持ちのよいのは彼だろうな。

 

 きれいな晴天。富士がきれいに見えた。手前の山々の青と白の模様までくっきりとしていた。

 市ヶ谷のお濠も空を映して真っ青。鵜が二羽、潜水艦みたいに首だけ出して泳いでいた。

 

 お昼には東新訳社へ。妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈を心をこめて読んだ。

 あまり幸せな生ではなかったかもしれないが、彼の貴い魂は同時代の多くの人に影響を与え、世界史を動かし名を刻んだことは、やはり彼のために嘉すべきだ。

 彼を生んでくれた宝卿公、お母さんの羅氏に、心から感謝したい。

 

 

3月8日(土)

 花粉が恐かったけれど、夫が行くというので公園へ。先週も先々週も行ったが、そのときは一人だったので。やはり二人のほうが楽しい。

 途中で知らないおじさんに声をかけられた。「それ、フィルムカメラ?」「そうです」「かっこいいね」

 フィルムカメラはかっこいいのか。既に希少価値になっているのだろう。

 やはり途中の道で、脇の路地の先に赤い花を見つけ、紅梅かなと思い行ってみると、桜だった。椿を撮っていた夫のところへ戻り、「桜、桜」と引っぱってきて、二人で撮っていると、後ろから「まだ、咲いとらんだろ」と。畑で作業をしていたおじいさんだ。「それ、河津桜だ。伊豆からもらってきて植えたんだ。伊豆はもう満開だそうだが、これはまだこれからだ」と。

 花を撮っていて、そこの家の人から声をかけられるのことはよくある。みな、丹精した自慢の花を愛でられるのはうれしいのだろう。こちらもきれいな花を見せてもらうのはうれしいし、こういうささやかな交流は楽しい。

 

 公園では梅が盛りだった。

 雑木林でコゲラを見た。すぐ近くの木で、幹をこつこつ叩きながら回っていた。

 開放公園では、猫の狩りを目撃。白い猫がドバトの群れへ向かって匍匐前進していた。そろそろと近づき、ぴたっととまって、突進する。途端に鳩は一斉に飛び去る。

 失礼ながら、思わず笑ってしまった。遮るものの何もない原っぱで、鳩が気づいていないわけはない。なめきって、十分ひきつけてから、逃げ去るのだ。鳩も人が悪い。

 同じ光景は何度も見ている。決まって猫はお座りして、しばし呆然とする。

 でも考えてみれば、わたしたちが笑って見ていられるのも、狩りの失敗を確信しているからで、万万が一成功してしまえば、見たくない惨劇が待っているのだ。猫をなめているという点ではわたしたちも鳩と同じなので、やはり人が悪いといえるだろう。

 

 今日は暖かな日。モンシロチョウを見た。

 農家の無人スタンドで立派なネギを買った。二本で100円。なんとなく幸せな日。

 

 でもやはり、目がかゆくて苦しい日でもあった。

 

 

3月15日(土)

 チベットがえらいことになっているそうで、気になる。なにしろ胡錦涛はチベット弾圧の「功績」で出世した人だ。

 

 十月十日の武昌起義後、各省が相継いで清朝からの独立を宣言し、清朝が崩壊した。このときモンゴルも独立している。牧民たちは清朝下でずっと反清闘争を続けてきていたが、1901年からの対蒙新政策により清朝がモンゴルへの支配を強めると、聖俗の支配層も反清に回り、ロシアに援助を求める密使を送るなど、独立運動を進めていた。そして1911年12月1日、モンゴルは清朝からの独立を宣言する。

 モンゴルは清朝に服していただけであって、漢族とは関係ない。漢族が清朝から独立したのと同様に、モンゴルも清朝から独立するだけというだけのこと。清朝が滅びた以上、モンゴルは中国とは別個の国となるのは理の当然である。

 というのが、モンゴルの考え方だった。民国は慌てて「五族共和」を打ち出したが、後からそんなこと言われても、そんなものには何の理もあったものではない。

 

 そして1913年。同様に独立を宣していたチベットとモンゴルとは、条約を結んでお互いの独立を承認し合った。

 そういう仲なんだわ。

 

 モンゴルは漠北だけでも独立できたけれど、チベットは未だに苦しんでいる。これからどうなっていくのだろう。

 (大モンゴル主義というのもある。漠北だけでなく漠南〈=「内蒙古」〉もブリヤート〈=ロシア連邦のブリヤート共和国〉も一緒に一国を成そうというもの。実際には真ん中だけが独立を成し得たわけだ) 

 

 

3月9日(日)

 毎年3月10日が近づくと、新聞TVの地方版で大空襲関係の報道が出てくる。夫が恐がるので、できるだけ目に触れさせたくないが、TVで不意に始まったらチャンネルを変えるというのが精一杯だ。

 彼は自分ではそれを避けているが、報道の少ない年には「今年は少ない」と怒っているから、世間が語り継いでいくことには賛同しているのだろう。

 今年はドラマを二本もやるそうだ。あえて残酷な映像も入れると新聞で紹介していたが、どんなものだろう。想像力の乏しい人のためには、それも必要なのだろうか。

 わたしは、そこに転がっている「物」が、大事な人の大切な人かもしれないと思うと、とてもたえられない。

 

 二時間半で十万人。意味が分からない。十万人というのは概数で、本当のところ、確かな数は未だに分かっていない。夫の身内にしたって、現に「いない」から十万人の中に入っているのだろうというだけで、どこでどのようにどうなったのか、一つも分からない。

 それをどう考えればいいのか、わたしなどには分からない。分かるわけがない。

 夫がそれを受けとめるのを拒否しているのも、一つのあり方だと思っている。

 

 

3月19日(水)

 仏様は美術品じゃないっていうのに!

 

 運慶作とされる大日如来像を三越が落札したとか。

 何億になってもいいから絶対に確保せよということだったのだろうけれど、ともかく美術品としか思わない蛮夷の手に落ちなくてよかった。

運慶だからとか何とかではなく、きれいな仏様だ。本来、値段をつけること自体が不遜なこと。

三越が誰の命で買ったのか知らないが、できることなら高野山にでも納めてほしい。美術品としか思っていないコレクターでないなら、それができるだろう。

 

湯島にある真言宗の大寺に、よい大日如来様がいらっしゃるそうだ。わたしは密教とは距離をおいているが、夫が好きなので一度お詣りしてみたいと思っている。拝ませていただけるのだろうか。

 

仏様は美術品じゃないよ。長い間たくさんの人に拝まれて、念が入っているから。

ほんとのはなし、動くし。

 

 

3月20日(木)

宋教仁事件発生から今日で95年。

95年前のこの日、遯初君は上海駅の待合室で、なぜか笑い転げていた。ソファにのけぞって、涙が出るほど笑っていて、于右任や陳其美を呆れさせていた。「笑っている場合じゃないよ、袁世凱が君の命を狙っているらしいよ」と警告しても、それが余計に笑いを誘う始末。一生分笑っておいたのだろうか。

 そして今夜遅く、同駅のホームで、彼は袁の放った刺客により銃撃される。ただちに鉄道病院に運ばれるが、これから長時間苦しむことになる。それがかわいそうだ。いっそ今日3月20日が命日だったらよいのに。

 

 

 ここまで書いて、いやな感じがして去年の日記を見たら、ほぼ同じことが書いてあったので、我ながら呆れてしまった。

まあ、新しい材料もないし、嘘を書くわけにもいかないから、しかたないか。

 

遯初君の評価というのは、今どうなっているのだろう。ひと頃、政党政治関連や政治思想というかたちで、彼を主に扱った本がよく見られたが、その後これといった盛り上がりも見せてはいない。

陳独秀関連の本が急に東方書店の棚にずらっと並んだように、宋教仁関連の本がどどっと出てくる日はくるだろうか。

 

今日は一日氷雨。家から出ずに寝て過ごした。

 

 

3月22日(土)

 宋遯初君没後95年。95年前の今朝4時40分頃、黄興さんに引導を渡され息を引き取る。意識はあるものの、もう口をきくことはできず、集まった友人たちの顔をみやっている様を見かねて、黄興さんが「安心しておゆきよ」とささやいたと、当時の報道にある。

 黄興さんも辛かっただろう。武昌で会ってから約十年。十年は漫然と過ごせばあっという間だが(十年前の自分と今の自分と、老けた以外に何が変わった?)、彼らのこの十年はなんと目まぐるしく重たいものであったことか。

誰か上海の墓所で彼のために泣いてくれただろうか。5年後には百年祭でも開いてくれないだろうか。きっといるよね、熱心な人たち。

 

 台湾の選挙のニュースを見て思った。国民党を作ったのは遯初君なんだ。彼の党なんだ。と思ったら涙が出てきたので、夫に訝られぬよう花粉のせいにした。(実際、今日の花粉は今季最悪。雨上がり、晴天、高温と三拍子揃って、非常に厳しい日となった)

 

 また思った。今の中国は何だろう。この国のどこに、自由平等博愛があるのだろう。こんな国を造るために死んだのだろうか。

 

 まあね。ひとの国のこと、言えないけどね。この国もなかなかリッパな国だ。

 

 今日は花粉症の症状がひどく、近所への買い物のほかは家でスライムになっていた。

 千歳村でも染井吉野が咲いた。同じ並木でも木によって微妙に条件が違うらしく、咲いている木と、まだ固そうな木とがある。眺めていたら通りかかった近所のおばさんが、「毎年この木が一番はやいのよ。明日はみんな咲くわよ」と。

 

 

3月28日(金)

 「見ろよ 大いなる花 町は昨日よりも鮮やか」

 桜より梅が好き、などと言っているが、それでもやはり桜が咲くと、きれいだわ。

 あるいはいつもの市ヶ谷の電車花見。お濠にはキンクロハジロとハシビロガモ。そろそろ北へ帰るかな。もうちょっといてくれるかな。

 あるいは自宅をぐるりと取り巻く団地の桜。

 外堀通りの元町公園もなかなか。

 昨日、秋葉へ行くときに通ったのだが、丸ノ内線が神田川を渡るあたりに輪の大きな桜があり、通行人が幾人も写真を撮っていた。輪の中に入って見上げるかたちで撮る人もいれば、ちょっと離れて全体を撮る人も。

 

 小石川橋のたもとの白モクレンはとっくに終わってしまったが、星台先生んちの近くのサラサモクレンは今が盛り。わたしは生家に紫モクレンがあったので、モクレンは紫色だと思っていたが、この淡い色もきれいだ。もちろん白モクレンも。

 

 新聞見てもTV見ても、人を挽きつぶすような話ばかり。そういう仕組みがいけないのだ。生み出す仕組みを何とかしなければ、なくならないよ。