千歳村から〜日記のようなもの      

 

2004年8月3日〜

 

 4日 5日 12日 24日 27日 30日

 

月3日(火)

 野歌 李長吉

 

 鴉箭山桑弓

 仰天射落銜蘆鴻

 麻衣黒肥衝北風

 帯酒日晩歌田中

 男児屈窮心不窮

 枯栄不等嗔天公

 寒風又変為春柳

 條條看即煙濛濛

 

 万年浪人生の若者が、酔っぱらって野っ原で歌う歌。

 

 鴉の羽の矢に山桑の強弓

 天を仰いで射落とす蘆をくわえた雁

 黒く垢じみた受験生の制服は北風を衝き

 酒気を帯びて日暮れどき田中に歌う

 男児は屈窮すれども心は窮せず

 枯栄等しからざるを天帝に怒る

 寒風また変じて春の柳となり

 枝枝は見る間に芽吹いてけぶるよう

  

 

月4日(水)

 93年前の今夜、楊篤生はアバディーンを汽車で発った。

 リヴァプールに着くのは翌朝になる。

 

 

月5日(木)

 駐英中国大使館によれば、「中国踏海烈士楊先生守仁墓」はリヴァプールのAnfield公墓にあり、毎年現地の華僑たちが掃除をし献花して偲んでいるとのこと(1982年4月現在)。その碑に英文で曰く、「中国人烈士楊守仁、是因政治思想而死的。死時40歳。1911年8月5日」と。

 

 

8月12日(木)

題帰夢

長安風雨夜

書客夢昌谷

怡怡中堂笑

小弟裁澗菉

家門厚重意

望我飽飢腹

労労一寸心

灯花照魚目

 

帰郷の夢

長安 風雨の夜

書生は故郷の昌谷の夢を見た

座敷は朗らかな笑いに満ち

弟は手ずから菜を摘んで

みな心をこめて歓迎してくれた

俺が出世しさえすれば食うに困ることもなくなると……

都でひとり夜更けに目醒め 思いは千々に

眠れぬ目を魚の如く見張っている

 

 

出城 寄権・楊敬之

草暖雲昏万里春

宮花払面送行人

自言漢剣当飛去

何事還車載病身

 

都を出るに際して友人たちに贈る詩

草は暖かに雲は暗い万里の春

皇宮の花ははらはらと散って旅人の顔をなでる

俺は魔法の剣のように空高く飛び上がるはずだったのに

なんてことだ こんなふうに病身を車に積んで帰るとは

 

 

示弟

別弟三年後

還家十日余

醁醽今夕酒

帙去時書

病骨独能在

人間底事無

何須問牛馬

抛擲任梟盧

 

弟に贈る詩

弟と別れて三年経って

家に帰って十日あまり

今宵の酒は緑の名酒

書物の山は出かけたときのまま

なのにこんなに病み衰えているとはどういうことだ

世の中ぐちゃぐちゃでなんでもあるから

ひと様に牛と言われようと馬と言われようと知ったことではない

人生サイコロまかせの出たとこ勝負だ

 

 「野歌」から続けてこの三首を並べると、一篇の物語のようになる。詩集にはばらばらに載っていて、わたしが勝手に集めて並べただけなのだが。

 李長吉(791〜817)。

 

 

8月24日(火)

 楊篤生は結局のところアナキストにはならなかったのだろう。本人はそう言うはずだ。彼はさいごまで孝子であったし。

 けれども、アナキズムの影響は思いのほか強かったように思える。呉稚暉が絶命書の宛先のひとりになっているというだけでない。その思想のはしばしからうかがわれる。

 改めて考えてみると、儒教とアナキズムとは、実は通じるところが大きい。法律や刑罰による支配に反対し、徳を重んじること。そして、人の天与の善性を信じる、祈りに近い底抜けの性善説。

 バクーニンもクロポトキンも大貴族だから、士大夫意識を持つ清末の知識人には受け入れやすかったのだろう、などと書いてあるのを見たことがあるが、そんなに意地の悪い見方をしなくてもいいと思う。

 

 スポーツナショナリズムには断固として反対する。

 個々の選手を応援するのはいい。が、がんばれニッポンはないだろう。

 スポーツによる国威発揚か? そんな時代ではあるまい。

 オリンピックを国家の枠から解放すべきだ。国旗国歌の使用は禁止。原則として個人参加。団体競技は一国から複数チーム出てもいいし、数カ国で一チームを編んでも楽しいのではないか。

 ラグビーのワールドカップではJAPANは桜のマークで出ている。それでいいではないか。

 

 

8月27日(金)

都教委というのは一体なんの集まりなのだろうか。

日の丸君が代をめぐる教員の大量処分(馘首を含む)。ジェンダーとセックスとの違いを全く解さぬ意味不明の決定。そして、南京大虐殺、朝鮮人強制連行、従軍慰安婦強制連行などの「嘘」(!!)の一切書かれていない教科書の採択。その教科書については採択反対の署名が3万人もあつまったということで、この3万という数はうれしいものではあるけれど、それが全く何の力をも持ち得ないというのは、どういうことなのだろう。

そも、都教委というのはなんなのか。セックスとジェンダーとの区別もつかぬような程度の人たち。言っちゃなんだが、まともな知性があるとも思えない。それがなぜ、こんなに強大な力をもっているのか。天与で不可侵の人権を、本当のことを、かくもたやすく踏みにじることができるとは。

恐い。本気で恐い。

 

 

8月30日(月

 昨夜はカスタのワンマン。2年ぶりと聞いて驚く。「これが何か分かるかい?」「ムーンパレス」「青と白の日々」あたりがよかった。ぬるい曲で爆裂する元ちゃん。「ムーンパレス」のあまりにささやかな積極性は、わたしの身の丈に合っている。

 

 生まれ年年表に清末アナキストを数名追加。李石曽(81年)、劉師培、師復(ともに84年)。

昔っからどうも彼らには近寄りがたくて、意識的に関心の外に追いやっていたのだが、そうも言っていられなくなった。師復はよいが、ほかの人たちには拭いがたいくもりがある。主張はおもしろいのだが、その後の彼らの経歴を考えると、どうにも釈然としないのだ。けれども、これはよく知りもしない上での漠たる印象にすぎない。まだまだわからない。

 

 

 

 

日記表紙へ