『民約訳解』を読む
★『民約訳解』には兆民による長い「敍」(=序文)があり、たいへんな問題を含むが、今は略す。
目次
巻の一 ●
第一章 第一篇の主旨/本巻旨趣
第二章 最初の社会について/家族
第三章 強者の権利なるものについて/強者之権
第四章 奴隷制について/奴隷
第五章 最初の約束にいつもさかのぼらなければならないこと/終不可不以約為国本
第六章 社会契約について/民約
第七章 主権者について/君
第八章 社会状態(エタ・シヴィル)について/人世
第九章 土地所有権について/土地
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『社会契約論』J・J・ルソー (訳:平岡昇、根岸国孝)[ ]は訳注 |
『民約訳解』中江篤介(訳:ゆり子) 【解】は中江が附した解説。 |
景介、ゆり子による附記 |
者 は し が き |
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この小論文は、わたしが以前に自分の能力をよく考えてもみないで計画はしたものの、とっくに棄ててしまった、もっと大部な作品の抜き書きである。すでに書きあげたものから抜粋しようと思えばできたいくつかの断章の中で、これはもっとも重要なものであり、わたしからみて公衆の閲覧に供してもっとも恥ずかしくないものと思われたのである。残りの部分はもうなくなってしまった。 |
わたしはかつて自らの力のほどを考えずに、一書を著して、すべての世の中の制度風俗と人倫の大道、及び一切の政治の道に関することを論じて、その道理を究明したいと思い、何年も勉め励んできたが、自らの精力がその志をかなえるのにはとても足らないとわかったので、中途でやめてしまった。本書はその企てのほんの一節に過ぎない。ただ、本書で論ずるところは、その他の部分に比して少しは見るべきものがあるように思われ、取り集めると数巻の分量にもなったので、棄てるにしのびず、断簡を取捨編集して世に問うことにした。その他の部分は既に放置したので、今は一片も残っていない。 |
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巻 の 一 |
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わたしは、人間というものをあるがままの姿にとらえ、法律をありうる姿にとらえた場合に、社会の秩序[一般的構造]の中で正当で確実ななんらかの統治[国家構成]上の原則がありうるかどうかを、調べてみたいと思う。この研究において、わたしは、正義と効用がけっして分離しないように、法[=権利]が許すことと、利害の命ずることをたえず結びつけるべく、努めるであろう。 |
民約 別名 原政(そもそも政治とは何か) 政は果たして正しくなることができないだろうか。義(正義)と利(利益)とは、はたして合致することができないだろうか。思うに、すべての人が君子となることはできず、といってすべての人が小人となることもないのだから、官を置き、制度を設けるのにも、また必ず道がある。わたしはなんとしてもこの道に到達したいと願う。そうなってはじめて、政治が民と合い、義と利とが合致することを、望むことができるのである。 |
【契約論】まず人間をその本来あるべき姿からとらえる。次に、互いの自由を縛りあうものである法律を、可能な限り妥当なものとして考える。こうしたときに、われわれ一人一人が寄り集まって作る社会というものを、誰に対しても正当で、秩序立ててしっかりと運営していくための法則が、ありうるかどうか調べてみたいと思う。この研究において私は、自然法としての正義と、実定法としての法律とが、決して分離しないように勉めるであろう。法が許すところの個人の権利追求と、相互の利害が命ずるその限界とを、たえず首尾一貫させていかねばならない。(景) 【訳解】まず、人間本来の姿への洞察が欠落している。法とは政治であろうか。「法」を「政」と訳したときに、それは支配の原理原則ということになるだろう。義と利との合致と訳したとき、私の解釈とは裏返ってしまう。義は建前で利が本音、といったところになってしまう。私の解釈では義とは個人の利益追求を含んでいる。つまりこれは、論語的な相反する義利観に基づくと思われる。つまり中江ら儒者にとっては、義とはすなわち公義であり、利とはすなわち我利として認識されたのであろう。 「すべての人が君子云々、小人云々」というのが人間についての洞察であるとするならば、まことに寂しい限りである。ここで中江に訊きたいのだが、これは支配する層と支配される層との存在の自明性、あるいは固定性を前提にしているのだろうか。革命(レヴォリューション)を中江は肯定するのだろうか。 その答の予測は次節に隠されているように思う。「そうなって初めて、政治が民と合い義と利とが合致する」というのは、春秋期の国人や民に対する態度と変わるところがないのではないか。民とはすなわち羊であり、支配されるべき対象に過ぎないという認識を出ていないことが、この時点で予測される。(景) |
まずもって主題の重要性を証明しないで、いきなり本題にはいる。政治について筆をとるからには、おまえは君主かそれとも立法者かとたずねる人があれば、わたしは答えよう。いや、そうでないからこそ政治を論ずるのだ、と。もしわたしが君主や立法者だとしたら、なすべきことをしゃべるために時間を空費したりはしないであろう。なすべきことを実行するか、さもなければ、[実行しないで]口をふさいでいるであろう。 |
人はあるいはわたしにこう訊くだろう。「あなたが政治を論ずるのは、民に臨む者(君臨する者=為政者)だからですか、それとも一国のために政治制度を創り出す人だからですか」と。わたしは答えよう。「わたしは民の上に立つ者ではないし、一国のために政治制度を創る者でもない。だからこそこの書を著すのだ」と。もし民の上に立ち一国のために制度を創るのなら、わたしはこれから言おうとするところを実行するだけだ。なぜわざわざ空言にそれを託する必要があるだろうか。 |
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自由な国家の市民として生まれ、主権者の構成員であるわたしは、公共のことがらに関する発言力がいかにわずかであろうとも、投票権を持っていることだけでも、公共のことがらに関する研究の義務を感じさせられる。もろもろの政体について考察をめぐらすたびごとに、いつもわが祖国の政体を愛すべき新たな理由を自分の研究に見いだすのはよろこばしいかぎりである。 |
けれども、わたしもまた民主国の民に生まれて、「議政之権」に与ることができた。ただわたしは陋劣なため、この権利を持ちながら国家に貢献することができない。けれども既に「議政之権」を持っているからには、書物を著して政治を論ずるのもまたわたしの本分の内であり、空言だからといって排斥されるべきではない。ああ、わたしが政治を論ずる際、解ったこと一つひとつをわが国に設けられた制度に照らしてみると、ますますわが国の制度が他国の制度に卓越し、最も尊重すべきものだという理由を、改めて思い知ることになる。何と幸福なことだろうか。 |
【訳解】「議政之権」を河野氏は「政治を議論する権利」と訳しているが、たいへん問題のある語なので、原文のままにした。(ゆ) |
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【解】民主国というものは、民があいともに政治を行い、国の主となって、別に尊者を置かないことをいう。「議政之権」というものは、すなわち第七章にいう「君権」のことである。ルソーはもともとスイスの人であり、その「わが国」というのはすなわちスイスのことで、フランスをいうのではない。スイスはつとに民主の制度に従い、この書の主旨に合致するところがある。ゆえに、ルソーはこのようにスイスを貴び推奨するのである。 |
【訳解】「議政之権」とは第七章の「君権」のことだと兆民はいう。その第七章は、平岡らの訳によれば「主権者について」となっている。これはどういうことか? わたしは残念ながらフランス語を知らないので、英和辞典を引いてみた。すると「主権」すなわち「sovereign」の訳として、「主権者」のほかに「元首、君主、国王」ともあった。もとはラテン語で、「above=上の」という意味らしい。つまり、お上、上様、あるいは神か。主権在民は日が浅い。早い話が日本にしても、旧憲法では主権者は天皇だった。まだ60年も経っていない。それ以前は主権者はすなわち君主、国王だったわけだ。 こうなると、民主政治の歴史、英国の「権利章典」(1689年)やアメリカ独立宣言(1776年)、フランス人権宣言(1789年)などの原文を見てみたくなる。 それはともかく、はたして主権というのは「政治を議論する権利」のことなのだろうか。それについては、第七章を見ねばならないだろう。(ゆ) |
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一 章 |
第一篇の主旨 人間は自由なものとして生まれている。しかも、いたるところで鉄鎖につながれている。他の人々の主人であると自分を考えている者も、やはりその人々以上に奴隷なのである。このような変化はどうして生じたかといわれると、わたしは答えられない。だが、それを正当なものとなしうるものは何かという問題になると、解答を与えうると思う。 |
第一章 本巻の主旨 むかし、人類が初めて生じたとき、その取捨はみな自分自身で決め、他人にその処分を仰がなかった。これを「自由之権」という。今や天下の人は、ことごとく囚人のように捕縛され、苦しめられている。王公大人のように高い身分と人の上に立つ地位をもっている人たちも、詳細に見れば、縛られていることは、庶民よりもかえって甚だしいものである。思うに我々は天によって「自由権」を与えられたため、自立できるのである。しかし現状はこんなことになっている。これは一体どうしてだろうか。わたしにはわからない。ただ、その「自由権」を棄てることについては、おのずから正当なところと不当なところとがある。わたしがこれから論じようと思うのは、そのことについてである。 |
【契約論】私たちは自由な存在として生まれついているだろうか。 そのいたるところで束縛され、いろいろな力の不足に苦しみ、自由を制限されている。 ほかの人々を支配して、王者のように自分をみなしている人々も、その実、支配されている人々以上に、束縛や制限や力の奴隷なのである。 にもかかわらず、人間は本来自由な存在として生まれついている。 自由と束縛、自然と現実との、このずれがどうして生じたのかと問われれば、私にはとても答えることができない。だが、その束縛をより妥当でましなものにするためには、どうすればいいかという問題にならば、答えうると思う。(景) |
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【解】この一段落は、本篇全体の最も肝要なところである。 「上古の時、国家というものがまだなく、制度もまだ設けられていなかったころ、人々は思いのままに生き、人から拘束されたり制御されたりすることはなかった。これが自由権が最も盛んだった時代である。 国家というものができ、制度が既に設けられてからは、身分の上下、貧富の差が生じ、上古の人のように思うままに生きることができなくなった。帝王のように身分が高く、人々を威圧するも恩恵をたれるも意のままであっても、往々にして、外からは強力な臣下に脅かされ、内からはお気に入りの側近に左右されて、必ずしも思うようにできない。庶民が自分の家で思うように振る舞えるのと比べると、劣っていることもある。 いわゆる『自由権』というものは、天によって人に与えられたもので、意のままに振る舞って生きられるということだから、よく尊重して大切にし、失くしてしまわないように気をつけねばならない。ところが今では、天下の人はみな、これを喪失してしまっている。これは天下の一大変事である。この変事が起きたのには、原因があるはずだが、わたしにはまだそれがわからない」と。 作者はその『不平等論(イネガリテー)』と題する著作の中で、この変事のよって来るところを極めて詳細に論じている。ここで「わからない」と言っているのは、この問題がこの書の主題から外れているからである。 とはいえ、「自由権」には二種類ある。上古の人が思うままに生きて束縛を受けることがなかったのは、天において純なのである(「自然」ということ?=ゆり子)。故にこれを「天命之自由」という。本章のいうところは、すなわちこれである。 民があいともに契約を結んで、国家を建てて制度を設け、自治の制度を興し、そうして各人がその生を全うし、その利を増すことができるのは、人為によるものである。よってこれを「人義之自由」という。第六章以下にいうのが、すなわちこれである。 「天命之自由」はもともと限りのないもので、その弊害として、お互いに侵しあい奪いあうことを避けられない。このため、人々は自分のもつ「天命之自由」を自発的に放棄して、あい契約して国家を建て制度を作り、これによって自ら治め、そうして「人義之自由」が生まれた。これがいわゆる「自由権」を棄てるについての、正しいありかた(正道)である。その理由はほかでもない。一つ(天命之自由)を棄てて他の一つ(人義之自由)を取るのだから、結局のところ、喪うものは何もないからである。 もしそうでなければ、強くて悪賢い者の争いが絶えないため、人は安心してその生を遂げることができず、謀略と暴力とによって脅かされ、しかたなくその者に従って君として立て、その命令を聴くようになる。こんなものは、「自由権」を棄てるについての正道ではない。その理由はほかでもない。「天命之自由」も「人義之自由」も二つとも喪ってしまうからである。 この二つの得失を論じて究明するのが、まさに本巻の主旨である。 |
【訳解】これは兆民が、「社会契約論」のこの後の展開をよく理解もせずに、先走って自分なりの謬見をたれ流してしまっているように思われるので、個別の論駁はしない。私はあくまで「社会契約論」の解釈をもって、兆民への論駁にかえていく。(景) |
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もしも力と力から生ずる結果とだけしか考えに入れないとすれば、わたしは次のようにいうだろう。「ある人民が服従を強制されて、実際に服従しているかぎり、かれのしていることは正しい。しかし、くびきを振りほどくことができるようになって、振りほどくことに成功するやいなや、かれのやったことはいっそう正しいことになる。なぜならば、人民から自由を奪ったその同じ権利によって、人民が自分の自由を回復したのであるから、人民がそれを取り戻すのは当然であるか、それとも、[人民の自由を奪った者に]もともとそんな資格がなかったか、どちらかであるからだ」と。 |
人はあるいは言うかもしれない。「人が自由権を失うようになったのは、極めて強い力をもつ者がいて、これを強制したからで、これが国家の生まれたそもそもである」と。 ああ、どうしてそんなことがあるだろうか。 民が強者に支配され、やむを得ずこれに従うのは、もとよりしかたのないことだ。しかし、いったん自らこれを振りほどき、蹶起そのくびきを打ち破ったならば、誰がこれを妨害することができようか。なぜなら、そもそも彼がわたしの「自由権」を奪ったものは、威力だけで行ったことだ。だから、わたしが威力をもってそれを覆したところで、彼がわたしに何の文句を言うことができようか。 |
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このようであるならば、すなわち国家というものは、世の中の集団の類の中で、最も危険で安定しないものだということになる。どうしてそんなことがあろうか。 国家というものは、およそ集団の類が決まりを設けるときに範とするものだから、おそらく別に基づくところがあるに相違ない。国家がこんなふうに不安定なものであろうはずがないのである。 |
【訳解】この一段落は意味がとれなかったので、河野氏の解釈に従っておく。(ゆ) |
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しかし社会秩序は神聖な権利[=法]であって、他のすべての権利の基礎となるものである。とはいえ、この権利はけっして自然から由来するものではなく、したがって若干の約束に基づくものである。 そのような約束とはどんなものであるかを知ることが問題なのである。この目的に達する前に、いままで述べたことを立証しなくてはならない。 |
それならば、国家というものは、一体何に基づいているのだろうか。 それは、「天理之自然」に基づくのではなく、民があいともに契約することに基づくのである。 民があいともに契約するとはどういうことか。 それはひとまず措いておこう。その前に、まず、国家が「天理」に基づくのではないという理由を明らかにしようと思う。 |
【契約論】しかし社会を平和で安定した秩序ある状態に保っておくことは、誰もが第一に求めることであり、すなわちそれは神聖な権利(=法)であって、他のすべての権利(=各人の自由幸福の追求)の基礎になるものである。 しかし秩序ある平和な社会というものは、決してひとりでに自ずとできあがってくるものではないだろう。個々人の若干の約束事に基づかなければ、本来あるべきよりよい社会秩序を得ることはできないだろう。 そのようなより妥当で全ての人々により公正な社会秩序を打ち立てるためには、どのような約束がありうるだろうか。 それを検証する前に、いままで述べたことを立証しなくてはならない。(景) 【訳解】「天理之自然」とは何だろうか。ひとりでになること、という程度の意味だろうか。兆民の目から見て、国家とはひとりでになるものではなかったわけだ。また、力によって浮沈興亡するような国家というものも否定しているように思われる。明治維新をくぐりぬけた土佐の最下級士族の目をもって読まなければ、とても理解し得ない不思議な解釈だ。 うがった見方かもしれないが、きわめて危険な尊皇思想への近接を嗅ぎとってしまう。力ではなく別に基づくところ、絶対王としての天皇なのか? 君主をいただいた英国型の民主主義を目指していたかのように、この箇所からは見える。(景) 【訳解】兆民のいう「天理之自然」とは、武力によって建てられた政権のことで、それは武力を基盤とするがゆえに、また別の武力によって倒される可能性があり、不安定であると。そうではない安定した国家が基盤とするのが、社会契約であると。 ということは、兆民の自然状態観はジャン・ジャックのものではなく、ロックのそれであろう。(ゆ) |
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【解】この一段落は、本篇の批判の眼目である。 このあとの第二章より第五章までは、すべて国家が「天理」に基づくものではないという理由を論じている。また、繰り返し究明して威力を以て国家の基とすることの非を明らかにしている。 その後で第六章からはじめて民約の本論に入るのである。 その言辞や意義はきわめて明瞭なので、今後は解説を附さない。 |
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二 章 |
最初の社会について あらゆる社会の中で最も古く、また唯一の自然的な社会は、家族という社会である。それでさえも、子どもたちが父親に結びつけられているのは、自己保存のためにかれらが父親を必要とする間だけである。この必要がなくなるとたちまち、自然的なきずなは解けてしまう。子どもたちは父親に服従する義務がなくなり、父親もまた子どもたちにつくさなくてはならなかった扶養の義務からまぬがれ、いずれもひとしく独立の状態に戻る。父子が相変わらずいっしょに暮らすとすれば、それはもはや自然的にそうするのではなく、任意的にそうするのである。だから家族でさえも、約束によらなければ、存続させられない。 |
第二章 家族 人が集まって作る団体には、多くの種類がある。その中で最も早くから発生し、最も自然に生じたものは、家族にほかならない。けれども、子が父に従属するのは、幼くて自存することができない時期だけである。その年齢が長じてからは、父に従属する必要はなく、自然による手綱はほどけてしまう。そうなると、父は必ずしも子のために労働せず、子もまた必ずしも父の意に従わずに、それぞれ自分で自分を守るようになる。これが自然の理である。 世の父子が、子が既に長じてもなお父とともにいて、事ごとに必ず父に申し上げて指示を仰いてから行動するのは、子が自分からそれを欲しているからであり、やむを得ずしているからではない。こういうことから考えると、家族もまた契約によって成り立っているものである。 |
【契約論】例えば原始の狩猟採集生活であれば、ジャン・ジャックの想起することは正しい。また現代の産業社会においても正しい。たとえ全体主義社会体制の下においても、本質的には正しい。人間は本質的に何よりもまず自分自身を大切にするべきであり、家族でさえも約束によらねば成立させることはできない。 この章はあまりに自明であるがゆえに、多くの解説は要しない。しかし問題は、なぜ彼がこの普遍的な真理に到達し得たかではないだろうか。 ジャン・ジャックはスイスの時計職人の息子として生まれた。母親は彼を生むと同時に死んだ。若き父は息子を妻の身代わりとして溺愛した。幼少時から小説や、ローマ、アテナイなどの史伝類を、父親とともに読んで育った。 スイスの職工組合の自由な気風を基調として、「ローマ人気取り」で自由な共和国の市民として自分の精神を培っていった。 彼は八歳のときに事情によって父から離されて牧師館に預けられ、さらに十一歳で徒弟奉公に出される。 その後父は再婚して新しい妻を得ると、もう古い息子を必要としなくなった。 こうした個人的な悲しい経験が、しかしジャン・ジャックをして、親子関係のもつ自然的希薄さを認識させる結果となったのだろう。 例えば農村社会においては、集団での作業を常に必要とする。そうした共同体において、個の自立が許される環境はなかった。考えることなく命令に従う労働奴隷こそが最も必要とされたからである。 親子の従属関係は、子どもが成人してもそのまま持ち越され、そのまま氏族社会の秩序へと移行していくことができる。 兆民が説くところは、農村における本家と分家との関係を想起させる。現実的で妥当な理解ではあるが、時代・社会による束縛を出て普遍的認識を得るまでには至っていないと思う。(景) |
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この双方に共通な自由は、人間の本性に基づく。人間の第一の法は自分自身の保全を心がけることであり、第一の配慮は自分自身にたいしてなすべき配慮である。だから分別のつく年齢に達するやいなや、自分だけが自己保存に適する手段の判定者となるから、人間は自分自身の主人となるのである。 |
かつ、父子がそれぞれ自立して束縛しあわないのは、天命による。自主の権は天が人に与えたものである。故に人たるの道は、自ら自分の生活を立てることより重要なことはない。従って、人がなにより勉めなければならないことは、自身のためにすることであって、他者のためにすることではない。よって、人がいやしくも成長して世間で経験を積めば、およそ自分に利となるものは、みな自分で選んでそれを取る。これがいわゆる自主の権である。既に自主となったならば、尊者たる父であっても、制限を加えることはできないのである。 |
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家族は、したがって、政治社会[国家]の最初のひながただといえないことはない。首長は父に対応し、人民は子どもたちにあたる。そしてだれでも平等に、自由に生まれてきたのであるから、すべての人々は自分の役に立てるためにのみ、その自由を譲り渡しているにすぎない。家族と国家の唯一の相違は、家族では、父親の子どもたちにいだく愛情がその子どもたちのためにつくす苦労をつぐなっているのにたいし、国家では首長はそんな愛情を人民にたいして持っていないので、支配する快感がその代わりを務めている点である。 |
世の、君主による専制政治を欲する者は、しばしば家族を例に引いて立論する。曰く、「家があって、それから国がある。君は父のようなもので、民は子のようなものだ。君と民とはもともと各々に自主の権があり、その間に優劣はない。ただ、お互いに益があるようにするために、君は上に立って民に臨み、民は下にあって君を奉る。かくて国家というものがここに建てられるのだ」と。 この説は理屈に合っているかのように見える。しかし、父の子に対するのは愛情があふれんばかりで、子を愛撫したり顧慮したりするのは、真心から行うことだから、益もあろうというものだ。しかし君はそうではない。はじめっから民を愛する心があるわけではないので、尊者として民に臨むのは、威を示して喜びとなそうと欲するからにすぎない。これでどうして民に益があるはずがあろうか。 |
【契約論】家族ははたして「国家の最初のひながた」となりうるだろうか。否、なり得ないと私は思う。 国家のひながたはおそらく氏族社会に求められるだろう。核家族という権利、力においてあまりにも不平等な構成員が構成する、しかも何らの契約によらない自然発生的なものは、子どもの成長とともにまた自然に解体してしまう。そのようなものが国家のひながたといえるだろうか。 おそらくジャン・ジャックですらも、国家というものを考えるとき、絶対王政末期のヨーロッパという枠組みを無視することはできなかったのであろう。 ヨーロッパの国家観の源泉は、牧畜民の氏族社会に求められるのではないか。ギリシア・ローマがどのような社会であったか、不勉強にして私は知らない。キリスト教の影響がどれだけあるのかも、分からない。しかしカリグラやグロティウスらの立論のしかたの根本に、遊牧民の国家観が反映しているのは疑い得ないだろう。 世界観とは、それが成立した時代社会状況にきわめて影響を受けるものである。だからアリストテレスのような賢人でさえ、奴隷が当たり前の社会で育てば、奴隷が自明のものとなってしまう。 そうした個々の時代、個々の社会にとっての当然=個別的な自然状態観を越えて、あらゆる時代、あらゆる社会、あらゆる人々にとって当然であるべき状態=普遍的自然状態観を想起することこそが、重要なのであると私は考える。 ジャン・ジャックが奴隷制の仕組みを解明し喝破しているのは、まことに偉大なことである。これについては第三章で詳述したい。(景) 「豈弟君子、民之父母=たのしき君子は民の父母」と、『詩経』にある。この場合の「君子」は君主のことで、それこそ詩経の昔(紀元前9〜8世紀頃)から君主と民との関係は親子になぞらえられていたのである。 ところが、一方では「牧民」という語もある。これは遊牧民のことではなく、文字どおり民を牧すること、民を養い治めることで、「牧民官」といえば地方長官のことである。ここでは君と民とは人間と牛との関係になっている。もともと遊牧民だった周の発想だろう。 はたして民は、子どもか? 家畜か? (ゆ) (補足:最新の考古学によれば、牧畜民だったのは周ではなく殷らしい。08/04/17) クロポトキンは、人類の生活が小さな家族の形から始まったというのを、ホッブズをはじめとする18世紀の哲学者たちの誤謬だとしている。一夫一婦ないし一夫多妻の家族制が生まれるはるか以前に、氏族社会が生じていたと。 一方では氏族社会の中に家族が生まれ、また一方では氏族制度を維持するための族長が力を蓄えていく。そして各氏族を背負った族長の中から、王が出てくる。 なお、『春秋左氏伝』を読んでいると、一人の貴族の背後に、相当数の「族員」がいることがわかる。貴族たちは、それぞれの一族(宗族)の代表者として、国政に参与しているのだろう。(ゆ) |
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【解】(ゆり子注:この【解】は、雑誌掲載時にはあったが、単行本では削られた。さすがにこれは兆民の本心ではなかったということだろうか。なお、堯・舜・禹・文王は儒教的には聖人とされる理想の王) 中国の堯、舜、禹、文王、ローマのマルクス・アウレリウス、フランスのルイ9世、及びわが国の歴代の天皇は、みな至仁深慈にして、民を慈しむこと、父母が子に対するようであった。ここにいうところの君とは特に暴君をさす。読者は言葉尻に引っかかって意味を取り違えないようにしてほしい。以下、この類のことは多いが、一々指摘はしない。 |
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グロティウスは、人間の権力はつねに被統治者のために設けられているということを否定する。その例として奴隷制をあげている。かれがいつもやる推理の仕方は、事実によって権利を証明しようという論法である。これよりも筋のとおった論法をもちいることはできようが、これ以上に暴君につごうのよい論法はありえまい。 (原注:「公法に関する学究的研究は、しばしば古くからの悪習の記録にすぎない。これらの悪習をわざわざことさらに深く研究したのは、あやまった意見にこりかたまったためである」『隣邦諸国との関係におけるフランスの利害論』ダルジャンソン侯著、1762年出版。グロティウスの場合はまさにこれである。) |
オランダのグロシユースが書を著して政治を論じていうには、「政治を行うのは、民の利を図るためではない」と。そしてギリシア・ローマで奴隷を蓄えていたことをその証拠としている。 ギリシア・ローマに奴隷があるのは古代の悪制であり、不易の理ではない。グロシユースの言は、事実を根拠としてこれを道理だというもので、暴君の桀が虐政を行うのを助けるものだというべきである。 【解】事実と道理とを混同してはならない。事実は現にある事で、道理はあるべきところの事である。ゆえに、もし事実によっていうならば、民の父母(君主)となって思いのままに残虐を行うものもあれば、国の宰相となって私腹を肥やすのに熱心な者もある。父となって慈でない者、子となって孝でない者、詐欺師、盗賊、天下にはいろいろいる。もしこのような有様を見てこれが道理だと言ったならば、それはよいことだろうか。いまグロシユースが専制を主張し、往古の悪制を引いて証拠とするのは、事実を道理とするものであり、桀を助けて暴虐をなすものではないだろうか。 |
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だから、グロティウスによると、人類全体が百人ばかりの人間に従属しているのか、それとも、この百人ばかりの人間が人類に従属しているのか、疑わしくなる。しかもかれの著作を通読すれば、かれは前のほうの意見に傾いているらしい。ホッブズの考え方もまたかれと同じである。そうなると、人類というものは、いくつかの家畜の群にわかれていて、そのおのおのの群に主人があり、主人が番をするのは家畜を食うためだということになる。 |
地球上の人々の数は億を超える。そして、帝や王という人たちは、僅々数十、百をこえない。人々が帝王に属するのか、帝王が人々に属するのか。グロシユースの書を通読してその旨を察すると、人々を帝王に属させるもののようだ。その後、イギリスのオッブがまた説を立てたが、グロシユースの意を踏襲するのみであった。仮にこのとおりだとすると、庶民は畜類の群れのようで、帝王は牧人のようだ。牧人が畜類の群れを養うのは、ただこれを撃ち倒して食べるためだけであり、愛しているとはいえない。 |
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牧人がその家畜よりもすぐれた本性の持ち主であるように、人間の牧人であるその首長もまた、人民よりすぐれた本性の持ち主である。フィロンの伝えるところによると、こんなふうに、皇帝カリグラは推理して、その類推から、国王が神であるか、それとも、人民が畜類であるか、どちらかだと、うまい推論をひきだしたそうである。(ゆり子注:フィロンは前1C〜後1C。ローマ皇帝カリグラと同時代の哲学者) |
ローマ皇帝カリギュラーは、牧人と群畜とは尊卑がかけはなれているが、同様に人主と民とも同様であるとみなしていた。 すなわち、「人主は神なり、民庶は禽獣なり。神として禽獣の上に立つのだから、何でもできないことはない」と。この言をフィロンが伝えている。 |
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このカリグラの推論は、ホッブズやグロティウスのそれと一致している。この人たちのだれよりも前に、アリストテレスもまたいった、人間はけっして生まれながらにして平等なのではなく、あるものは奴隷となるために、ある者は支配するために生まれるのだ、と。 |
ローマ帝の言はオッブやグロシユースと旨を同じくしている。そしてこの三人に先だってギリシアのアリストトが言っている。すなわち「人はもとより相等しいものではない。或る者は人の上に立ち、或る者は奴隷となる。みな、天の命ずるところである」と。 |
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アリストテレスのいったことは正しい。しかし、かれは結果を原因と取り違えているのだ。奴隷の身分に生まれた者はすべて、奴隷となるために生まれたということほど確かなことはない。奴隷は鉄鎖につながれて、すべてのものを、鉄鎖から脱しようとする欲望さえも、失っているのである。オデュッセウスの仲間が畜類に身を変えられたのをよろこぶようになったと同じく、奴隷もその隷属状態を愛しているのである。だから天性[自然]の奴隷があるのは、自然に反した奴隷なるものがあったからである。力がはじめに奴隷たちをつくりだし、奴隷たちのいくじなさが、奴隷というものを恒久化したのである。 (原注:「獣類も理性をもちいること」と題するプリュタルコスの小論文を参照せよ。) |
ああ、これは本末をわきまえない論である。奴隷の家に生まれ育った者が、必ず奴隷根性を有するのは、怪しむべきことではない。彼は幼時から常に苦しめられ辱められているため、そういう性質がてきあがってしまって、自ら奮励努力する意欲がなくなってしまっているのは、ギリシアのユリッスの僚友と同様である。史書によると、ユリッスの僚友たちは、長いこと淫らで放縦に過ごすうちに暗愚になっていながら、意気揚々として満足していた。ゆえに世の中に奴隷があるのは、抑圧がはじめにあって、しかる後に昏惰が生じるのであって、天に命じられて奴隷になったわけではない。 |
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【解】アリストトは「人の上に立つべく生まれる者もあり、奴隷となるべく生まれる者もある。尊卑は天に命じられたものである」と考えたが、これは謬見である。世に奴隷がいるのは、強者が弱者を虐げ、狡猾な者が愚かな者を欺いたからである。そうやって一たび奴隷となると、志気は萎えしぼみ、奮発して逆境を脱しようと図る者はない。ましてやその子孫は、屈辱の中にいることが久しいので、かえって自らその状況を楽しむようになってしまう。ユリッスの僚友はこの類である。 したがって、強者が人に強いて奴隷としたのが本で、奴隷人がみずから屈辱に安住するのは末のことである。いまアリストトが奴隷人の自ら屈辱に安住しているのを見て、天より命じられたのだとみなすのは、本末を混同しているのである。 |
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わたしはアダム王や、ノア皇帝について一言もふれなかった。ノアは世界を分割した三人の大王の父親で、サトゥルヌスの子どもたちも同じように世界を分割したから、この人たちは同一人物だと主張しようとした人々もあった。わたしのこの控えめな態度は感謝されてよいものだと思う。なぜかというと、わたしにしても、これらの君主の一人の直系、おそらくは、その本家筋の子孫なのだから、いろいろ権限をよく調べてみれば、もしかしたらわたしが人類の正当な君主ということになるかもしれないからである。それはともあれ、アダムは、かれが世界の唯ひとりの住民であった間は、ロビンソンがかれの島の主権者であったと同じく、世界の主権者であったことに異議をたてることはできない。そして、この帝国には好都合なことがあった。それは王様が、反乱も戦争も陰謀者も恐れる必要はなく、玉座の上にあぐらをかいていられたということである。 |
これによってこれをみると、人主が民を虐げるのと、民が人主に屈するのとが、ともに道理に外れていることは明らかである。ただ、アダーム・ノエーの二帝のみは、わたしはそしることができない。アダームは天地開闢の始祖である。ノエーは洪水の災害にあい、生き物がことごとく失われたときに、ただ一人難を免れることができ、その三子がアジア・アフリカ・ヨーロッパに分かれて住み、黄色、黒色、白色の三族類の祖となった。ギリシア史によれば、サチュルンの三子が分かれて三区にいて、後の人類の始祖となったという。これは、同一の事実が異なった形で伝えられたものに相違ない。これら数人の帝が人類の始祖であるならば、わたしのような微賤な者であっても、系図によって調べたならば、或いはその本家本筋の末裔であるかもしれない。そうであるならば、全世界の正統的な君主は、別人ではなくこのわたしであろう。わたしはどうしてあえてこんな論議をすることがあろうか。こんなことは一笑にも値しない。そのうえ、アダームが君主であるのは、ロビンソンがその島において君であるのと同じである。野史にいう、「ロビンソン、大暴風に遭って漂流し孤島に至る。岸に上りて四方を望むが、ひっそりと静まりかえって人影はなかった」と。アダームが降誕したときは、これと異なるところがない。すなわち、叛逆や謀略、禍乱のおそれはなく、落ちついてその位を守ることができた。こんなものは、もとより議論する必要もない。 |
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【解】主人が奴隷を虐げることがいけないのであれば、人主の民を虐げることもまた、いけないことである。世の中には家系をもって説を立てる者がいる。曰く、「今の帝王はみな、その先祖が築いた基盤の継承者である」と。これは間違っている。もし家系をもって云々するならば、すなわち天下の人類の誰がアダームやノエーの血筋の出でない者があろうか。微賤なわたしであっても、ありがたいことにこの二帝の末裔なのだから、世の帝王と何ら異なるところはない。世の人はまた、本家か分家かをもって等級をつけようとするが、これは最も間違っている。上古は遥か彼方であり、家系図の作られるのは書物ができてから以後だけである。であれば、わたしのような者もまた、必ずしも二帝の本家筋の裔でないとはいえない。また、アダームが帝であるのは、天地開闢の初期のことで、天下にはいわゆる民というものはなかった。ゆえに、契約によって政治を立てるということもなかったし、もとより禍乱のおそれもなかったのだから、今の帝王はアダームを以て前例とすることはできない。 作者・ジャン・ジャックは、すべて諧謔をもって論駁している。注意深く玩味して、作者の言わんとするところを理解すべきである。 |
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【解】(この【解】は、雑誌掲載時にはあったが、単行本では削られた) 西方諸国は、しばしば命を革め物をかえる。この説のあるゆえんである。わが国はいにしえより神聖なる天皇家が、子々孫々連綿と続いていて、外国とはるかに異なっている。読者はその辺を察するように。 |
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三 章 |
強者の権利なるものについて 最も強い者でも、自己の力を権利に、[他人の]服従を義務にかえないかぎり、いつまでも主人の位置をたもてるほど強いものではない。そこで強者の権利なるものが出てくる。この権利は見たところ、皮肉な意味にしかとれないが、現実に、原理としてうち立てられている。しかし、このことばの意味はいつになっても説明できないものではなかろうか。力は一種の物理的な力である。それがどうして道徳的な結果を持ちうるのか、わたしにはぜんぜんわからない。力に屈することは、必然の行為であって、任意の行為ではない。せいぜいのところ、用心から出た行為である。いかなる意味でそれが義務になりうるのだろうか。 |
第三章 強者の権 天下で最も強い者といえども、その力を権力に変えなければ、長期にわたって人々を仕えさせることはできない。天下で最も弱い者であっても、その屈従を正義に変えなければ、ずっと仕えていることはできない。わたしが強力だというだけで誰かを屈服させたとしても、その人が強力になれば、必ずわたしに抵抗する。そうでなくとも、力を権力に変え、屈従を正義に変えるということは、できるものではない。およそ強というものは、肉体的物理的な力をいうのではないだろうか。権というものは、道理や正義の力をいうのではないか。わたしは未だに、何を根拠として力を権力に変えるのかが分からない。およそ屈するというのは志の挫けることをいうのではないか。義というのは、その事柄がよろしいことをいうのではないか。わたしは未だに、何を根拠として屈を義に変えるのかが分からない。また、およそ人に屈従する者は、みなやむを得ずそうしているのであって、自らそれを選択しているのではない。自らの選択によるのでないのならば、これは単に我が身を守るための方策であるというにすぎない。そんなところに、何の義があろうか。このように世の君臣というものを見たとき、この強者の権を基としていないものがあるだろうか。 |
力の正義 最強の暴力を保持している者でも、その暴力とその他の者の服従とを正義に変えない限り、いつまでも支配者であり続けることはできない。 正義とは正当性に裏付けされた、為すべきことである。元来、力によるものではない。暴力によらずして万人が認め、当然のこととして喜んでなさねばならないものが、権利であるはずだ。 それはつまり、天が許したということであろう。その意味において王権神授説の論理構成は正しい。だが、神は決して王権など作らないし、それを授けもしない。神が与える法というのは、唯一自然法のみである。親が子どもをかわいがり慈しむ。人間として生物として当然の感情に基づいた、いわゆる慣習法こそが、正当な欲求すなわち権利の土台をなすものであって、そのよりよき運用を図るために実定法=権力がつくられるにすぎない。 だから正義とは自然法に則ることをいうのであって、暴力で強制しなければならないようなものは、そもそも正義ではない。強者の権利とはすなわち、暴力の正義のことであって、はじめから形容矛盾である。(景) 【訳解】この章に頻出する「権力」「屈従」「正義」は、原文ではそれぞれ「権」「屈」「義」。「権」ははかりの分銅で、軽重を定める基準、転じて権勢、権威などを表す。「屈」は獣が尾を曲げている象形で、屈服、屈従を表す。「義」は神へ捧げる犠牲の羊が完全なことで、正しいこと、礼や道に適っていることをいう。 なお、兆民は「権というものは、理や義の効をいうのではないか」といっているが、仏語の「droit」、英語の「right」のいずれも、「権利」のみならず「正しい」という意味もある。まさに「義」である。 (ゆ) |
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しばらく、このいわゆる権利が存在すると仮定しよう。この前提から引き出せるのは、むちゃくちゃな屁理屈だけだといいたい。なぜなら、力が権利をつくるのだということになれば、原因[力]が変わるにつれて、結果[権利]も変わることになるから。つまり、最初の力にうち勝つ力はどんなものでも、前者から生じた権利を受け継ぐ。服従しないでも罰せられずにすむということになれば、不服従であっても正当でありうる。しかも、最も強い者がつねに正しいのだから、どうしたら自分が一番強い者になれるかということが、われわれの唯一の関心事となる。ところで、力がなくなれば消滅する権利とは、いったいどんな権利であろうか。力によって服従しなければならない場合には、義務によって服従する必要があるわけではない。だから、服従を強制されなくなれば、もはや服従する義務はなくなる。そこで、この権利という語は力という観念に何もつけ加えるものではないことが明らかになる。この語は、ここではまったく無意味なのである。 |
いま仮に、いわゆる強者の権利というものがあるとしてみよう。わたしはかならず義と理とが入り乱れ顛倒して、とどまることがないのを見るだろう。力をもって権とするものは、はじめから義を重んじてこれに従うつもりなどない。義を重んじないのならば、どんな理が生じるだろうか。わたしに力があれば人を制することができる。また別の人の力がわたしに勝るなら、わたしもその人に制される。このように輾転として止むところなければ、禍乱は永遠に続く。力を頼んで人を制するのが正義だとすれば、力によって人に抵抗するのも正義だろう。力のあるところがすなわち権のあるところであるならば、天下の人々はただ力を求めるようになるだろう。ああ、力に頼ることで何とか存することができるものは、権といえるのだろうか。およそ力が足りずに屈するのはやむを得ないからであって、義によって決めたのではないのだから、毒薬でも闇討ちでもできる。つまり、強者の権というのは威力にすぎず、権とはいえない。権というのは名のみであって、その実質を有していないのである。 |
「力こそ正義なり」というテーゼを実行してきたのは、近代までの歴史であったともいえる。易姓革命が示すとおり、強い者が他を支配し、衰えれば新たな強い勢力が暴力によってそれにとってかわることになる。 人気取りの政策はあっても、そこにある構図は、暴力を持った一部の人間による大多数の支配という構図である。これを克服しない限り、正義のある社会が現出することはあり得ない。正義とは暴力の裏付けによるものではなく、喜んで自ずからなされるべきものだからである。 だがここにひとつ陥穽がある。人々を奴隷状態に陥れ、奴隷の中で身分の上下をつくる。奴隷の上位の者が奴隷の下位の者から収奪し、打擲し、踏みにじる。こうしたことを「社会秩序」とし、「正義」と名づけることによって、暴力政権は真の革命が起こることを予防し、人々を永遠の奴隷状態におこうと企む。 力によって服従しなければならない義務は、はじめから義務ではない。我々はしかし放埒に自らの利だけを求めて動いてよいものだろうか。それは「自然な」状態であろうか。アイヌ民族の歴史を繙いても分かるように、自然の中で恒久的に生きようとすれば、人はつつましやかでなければならない。要るものだけをとり、相互扶助し、時には忍耐強く我慢しなければならないこともある。(景) |
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「権力に服従せよ。」もしこの文句が、長いものに巻かれよという意味なら、この教訓は結構だが無駄な教えだ。この教訓が破られるようなことはけっして起こらないとわたしは保証する。権力はすべて神から来る、と。まったく、お説のとおりだ。しかし病気もまたすべて神から来るのである。それで、医者を呼んではならぬという結論が出てくるだろうか。もしわたしが、森のなかで追いはぎに襲われるとしたら、たんに力のために財布を渡さなくてはならないだけでなく、たとえ財布をやらずにすむ場合でも、それを渡さないと良心がとがめるであろうか。なぜこんなことをいうかといえば、追いはぎの拳銃もまた、一種の権力なのであるから。 |
僧侶は往々にしてこう言う。「強者を見たらこれに従え」と。この言は、力で屈したら従えということではないか。そうであるならば、この言はもっともである。しかし、力で屈したために従うのは、やむを得ないからにすぎない。だから、わざわざこんなことを言われなくとも、人は強者に従うだろう。また、こうも言う。「およそ力の類はみな天が与えたものである」と。これによって人が力に抵抗するのをやめさせようとする。なぜそれがいけないのだろうか。天を持ち出すならば、疫病の流行も天のすることだが、病気になって医者を呼ぶのを見て、天に逆らうことだと言えるだろうか。路上で盗賊にあい、力でかなわないために、やむを得ず路銀を賊に差し出すのは、もとよりしかたのないことである。もし力では負けないのに、賊が銃を持っているのを見て、銃も力の内だと言って路銀をさしだしたら、誰か笑わない者があろうか。 |
ここで「正義」または「権力」ということばについて、少し触れてみたい。原文の「droit」の原意は、おそらく神の右手であろう。神が正当性を証したということだろうか。あるいはシャーマンによる神託が、その底にあるのかもしれない。 「droit」をここでは「正義」と訳してみたが、一般には「権利」と訳されている。しかしこの「権利」ということばも、明治の知識人が経学にあてはめて造語した近代和製漢語である。 「権」とは元来おもり、はかりであるという。 つまりはこういうことである。農民が差し出す租税としての生産物の量を量るおもりこそが「権」であって、支配者の力を表すと同時に租税の公正さをも保証していると考えることができる。本質的に、野盗の長と農民との取り引きなのだ。 そしてその「権」をもつ者とは、代執行者としての官僚であり、小役人であり、中国であれば郷紳であったことだろう。 「権」とはつまり、「当然要求できるもの」であったわけだが、しかしそれは、常に暴力を背景として成立しているものであった。 近代以降の国家は、決してそうであってはならない。国家に暴力を振るわれないために民衆が税を差し出すのではなく、民衆が相互の利益のために供出しあい、運営していくものでなければならない。(景) 中国の古典にある「権利」の語は、そのまま「権=力、権威」と「利=利益」との意であり、現在の意味とは異なる。「right」の訳語として使われたのは、加藤弘之が慶応4年(1968年)に使ったのが早い例らしい。(鈴木修次『日本漢語と中国』中公新書を参照)。 古典語における語感が悪いためか、明治期には「権理」という字も使われたが、「理」は石の筋目から「道」「ことわり」の意なので、わたしは「権理」のほうがよいと思う。(ゆ) |
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【解】(この【解】は雑誌掲載時にはなかった) 僧侶はしばしば天にかこつけて説く。「もし強者に圧力を加えられたならば、従うべきであり、抵抗するべきではない」と。 疫病が害をなすのもまた天である。しかし医者を呼び治療を請うのを誰がいけないというだろうか。盗賊が路上で襲ってくるのもまた天命だ。けれども万やむを得ぬ場合でなければ路銀を与える必要はない。 暴君や汚吏が威力でもって虐げるのは、疫病や盗賊の害と同じである。どうして抵抗していけないことがあろうか。賊を暴君にたとえ、路銀を権力にたとえているのである。読者は注意深く読んでほしい。 |
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だから、力は権利をつくりだすものではないこと、また、われわれは正当な権力にしか従う義務がないことを認めることにしよう。こういうわけで、わたしは最初に提出した問題にたえず戻るのである。 |
以上のことからいって、力は権とすべきではなく、屈従を義とすべきではない。従って、帝といい王というも、その権が道理に合わなければ、命令に従わせることはできない。 |
★この章はたいへん重要であり、ジャン・ジャックの文章も分かりやすいため、語釈的な解説をする必要がないと判断して、私見を述べてみた。(景) 【訳解】ジャン・ジャックと内容は同じだが、帝や王を持ち出しているところは、兆民のほうがより踏み込んでいる。 |
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四 章 |
奴隷制について どんな人間も、その同類にたいして自然的な権威をもつものではなく、力はなんらの権利をも生みだすものではないのだから、人間の間のすべての正当な権威の基礎をなすものは、残るところ約束だけである。 |
第四章 奴隷 人はみな相等しく、貴賤などとというものはない。そしてまた、力が権となることはない。すなわち世の中で威光や権力をうち立てて道理に合致させようとする者は、お互いに契約を交わす以外に、別の方法はない。 |
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ある個人が自己の自由を譲り渡して、ひとりの主人の奴隷になることができるとしたら、どうして人民全体もその自由を譲り渡して、ひとりの国王の臣民となることができないことがあろうかと、グロティウスはいっている。この文句には、説明を要するあいまいなことばがたくさんある。しかし、譲り渡すという語だけ取り上げることにしよう。譲り渡すとは、与えるか、または売ることだ。ところが、他人の奴隷となる人間は身を与えるのではなく、身を売るのだ、せめても食わせてもらうために身を売るのだ。ところが、人民全体は何のために身を売るのであろうか。国王というものは、その臣民に生活資料を供給するどころか、自分の生活資料をもっぱら臣民にあおいでいるのである。ラブレーによると、王様を飼っておくには、えらく費用がかかる。してみると、人民は財産もまたとってくださいという条件で、身を与えるであろうか。それでは、かれらの手に残るものは何もないではないか。 |
グロシユースはいう。「人がもし自ら自分の権利を捨てて、他人に従ってその命令を聴きたいと思うのなら、誰がそれをやめさせることができるだろう。同様に、一国の民が自らその権利を棄てて君主の命令を聴くのにも、何の不都合があるだろうか」と。このことばは、意味がはなはだあいまいである。まず「棄」という字ついて論じてみよう。いわゆる「棄」というものは、与えることをいうのか、それとも売るという意味か。考えてみると、奴隷となる者は、自ら与えるのではなく自ら売るのである。衣食の足りないのに苦しむあまり、自らを人に売るのである。これが人民ということになると、どうして自らを売って人の臣となるのか、わたしにはわからない。君というものは臣に養われるものであり、臣を養うのではない。ラブレーがいうには、「君主が生きるのには、費用がきわめてかかる」と。ああ、人臣たるもの、既にその身を丸ごと君に捧げたうえに、さらにその財産をも全て君に供してしまい、なに一つ残ってはいないのである。 |
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専制君主は、その臣民のために国家的平和を確保するという人もあろう。そのとおりだ。しかし、かれの野心が臣民にまねきよせる戦争や、その飽くことを知らない貪欲や、その大臣たちの責苦が、臣民どうしの不和以上にかれらの生活を荒廃させるとすれば、臣民はこの平和によってどんな利益が得られるのであろうか。この平和そのものがかれらの窮乏の原因のひとつだとすれば、どんな利益が得られるであろうか。土牢の中でも、静かに暮らせる。だからといって土牢にはいりたくなるだろうか。キュクロープス(片目の巨人)の洞窟に閉じこめられたギリシャ人たちは、食い殺される順番が回ってくるまで、そこで静かに暮らしたのであった。 |
人はあるいはいうだろう。「君主が専断して政治を行うなら、臣下はあい融和して争いごとがなくななるだろう」と。あるいはそうかもしれない。けれどもわたしが世の中の帝王なるものを見たところでは、かれらは往々にして大を好み軍隊をもてあそび、軽々しく民を死なせている。そうでなければ、ぜいたくをたっとび、重税をとりたてて飽くことがない。あるいは大臣が権力を弄し、誅求してやむことがない。こんな具合であるならば、臣民が災難に遭うことは、臣民どうしが互いに争うのに比して、ひどいということはあっても、ましだということはない。また、臣民どうしが融和するのは災いの元であって、利となったためしがない。そして人々の願いとして、融和以上に待望されるものがあろうか。もし融和だけなら、昔ギリシア人がシコロップにあって死ぬときにきわめて相い和して争うことがなかった。史書にいう。「ギリシア人は敗戦により捕虜になると、シコロップの谷に投じられ、猛獣が襲ってきて、みな相継いで喰い殺されることになる」と。こんな平和を人は願うだうか。 |
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ある人間が無償で自分の身を与えるなどということは、理屈にあわないし、考えもおよばないことである。こうした行為は、それを行なう人が思慮分別を失っているという事実だけでも、不適法な無効な行為である。これと同一のことを人民全体についていうことは、その人民を狂人の集まりと想定することになるが、狂気は権利をつくりだすものではない。 |
こうして見ると、民が君に自らを売って臣となっても利益は全くないということは明らかである。自ら身を人に与えて、代価をとらないとしたら、これ以上に理屈に合わないことがあるだろうか。そんな人があるとしたら、それは愚者か狂人だけだ。また、一国の人がみな自らを君に与えて代価をとらないとしたら、それはつまり国中みんな気が違っているのだ。こんなばかげたことがあるだろうか。そして気の違った人が言うことには、到底信頼をおくことができない。と゛うして権利の根拠にすることができるだろう。 |
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たとえ各人が、自分を他人に譲り渡すことができるとしたところで、彼はその子どもたちを譲り渡すことはできない。子どもたちは人間として自由なものとして生まれたのだ。かれらの自由はかれらのものだ。かれら以外にそれを処分しうる権利をもっている者はない。かれらが分別のつく年齢に達するまでは、父親はかれらに代わってかれらの生存と福祉とのために、いろいろな条件をとりきめることはできる。しかし、かれらを、とりかえしのつかないように、無条件的に、[他人に]与えることはできない。なぜなら、そのような贈与は、自然の目的に反し、父親の権限を越えたものであるから。だから、専制政体は人民が各世代ごとに自由にそれを承認したり、拒否したりできる場合にのみ、正当でありうるということになるが、しかしそうなれば、その政体はもはや、専制的でなくなってしまうだろう。 |
たとえ人々が自らの身を人に与えることができるとしても、その子孫も一緒に与えることができないのは明らかである。なぜなら子や孫もまた人であり、彼らにもまた自由権があるからである。これを勝手に他人に与えて奴隷にしてしまうことができるだろうか。子が幼いとき、父が子に代わって人と契約して子の利益を図るのは、もちろん結構である。しかし子に代わって人と契約して奴隷にするなどということは、父が尊者であるからといっても、そんな権利はない。そのわけはほかでもない、天理にそむくことだからである。したがって、専制政治をしこうとする者は、もしその専制の権を少しでも道理に合致させようと思うのなら、国人に聴かねばならない。成長して経験を積んだ後になってもまだ君を奉ずるかどうかは、任意に選ばせねばならない。このようであったならば、それは専制ではない。 |
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自分の自由を放棄することは、人間たる資格、人間の権利を、いな、人間の義務をも放棄することである。このようにすべてを放棄する人にたいしては、いかなる補償も与えることはできない。このような放棄は、人間の本性とあい容れない。人間の意志から自由をすべて取ってしまえば、その行為から道徳性をまったく奪いさることになる。要するに、一方の側に絶対的な権威を、他の側には、無制限の服従を規定した契約は、空虚な矛盾した契約である。われわれが何でも要求しうる権利を持っている相手にたいしては、われわれは何ら拘束を受けないということは明白ではないか。補償物も交換物も与えないというこの条件だけでも、行為を無効にしてしまうではないか。なぜかといえば、わたしの奴隷がもっているものが、全部わたしに所属するとすれば、かれはいったいどんな権利をわたしにたいして持っているのか。かれの権利もまたわたしのものである以上、わたし自身にたいするわたしの権利ということになり、何の意味もないことばとなってしまう。 |
自由権を棄てる者は、人間としての徳を棄てる者だ。人間としての務めを棄てる者だ。自ら人類以外のものに退くものだ。そのような者を、自棄して遺すところなしというが、ああ、自棄して遺すところなしとにうことは、何の補償も受けられぬ(全くの取られ損=ゆり子)ということだ。こんなことは天命が許すものではない。人がひとたび自由権を棄ててしまうと、心や情をもっていても、それを自分で使うことができず、その行為はみな自分の心や情から発したものではない。こんな具合なら、その人が善いことをしても彼を君子(立派な人)とみなすことはできないし、悪いことをしても小人とみなすことはできない。君子にも小人にもなれないのなら、それは禽獣でしかない。 それだけではない。およそ人と契約して奴隷となるものは、契約とは名ばかりで実質がない。およそ契約というものは、必ず権利を分かちあうものである。もし相手はこちらに命令する一方で、こちらは相手に従う一方であるならば、どうしてこれを権利を分かちあうなどといえるだろう。彼は命令する一方、こちらは従う一方であるなら、彼はわたしに対してどんなことだってできてしまう。ああ、彼がわたしを使う、その威力や権力は際限のないものであり、わたしが彼に仕える、その屈辱はとどまるところがない。ただこの一事だけで既に契約として破綻していて、成立していない。かつ、わたしが既に自らを残らず棄ててしまったならば、わたしの物はみな彼の物ということになる。彼が自分の権利を持ち出してわたしに対して臨み、わたしもまた自分の権利をもって彼と対峙しようとしても、わたしの権利は彼の権利なのである。ああ、天下に、人の権利をもって人に対するなどという道理があるだろうか。だからわたしは言うのだ。「人と契約して奴隷となるということは、契約とは名ばかりで実質がない」と。 |
【訳解】奴隷は心情も行為も彼自身のものとはみなされないということについて。 ピョートル・クロポトキンの父は軍人で、勇敢な行為に対して与えられる勲章を持っていた。それは、軍が駐屯している村で火災が起きたとき、彼の従卒のフロルが燃えさかる家に飛び込んで子どもを救出したために、その場にいた司令官から授かったものだった。「でも子どもを助けたのはお父さんではなくてフロルでしょう?」 幼いピョートルの問いに父は、「そうさ、それがどうした? フロルはわしの部下なんだから、同じことさ」と無邪気に答えたという。 農奴であるフロルの勇敢な心情も行為も、所有者である公爵の心情や行為とみなされたのだ。 帝政ロシアにおいては農奴は魂一個二個と数えて売買できる財産であり、人権はおろか人格すらあると思われていなかった。ツルゲーネフが『猟人日記』を発表したとき、貴族たちが「農奴がわたしたちと同じように恋をするなんて」と驚いたというのは、あながち冗談でも誇張でもないようだ。 なお念のため申し添えれば、農奴制は遅くまで残っていたのはロシアだが、中世ヨーロッパで広く行われていた。(ゆ) 【訳解】この一節、ジャン・ジャックは人間の意志を、兆民は道徳を、より意識しているように見える。その力点の置き方の違いが気になる。(ゆ) |
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グロティウスやその他の人々は、いわゆる奴隷権なるものを発生させた、もう一つ別の起原を戦争に求めている。かれらによると、勝った者は負けた者を殺す権利を持っているのだから、負けた者は自由を犠牲にして、命を買い戻すことができるだけだ。これこそ当事者のどちらにも利益になることだから、いよいよもって正当な契約だ、というのである。 |
グロシユース及びグロシユース流の言辞を弄する諸人士は、戦争を奴隷発生の元だと言う。曰く、「戦争に勝って敵を捕虜にしたら、これを許さずに殺してしまうことができる。だから捕虜になる者は自分の自由権を棄てて、その代わりに命を得るのだ」と。うまいことを言う。果たしてそのとおりならば、主人も奴隷も双方ともに利益があるわけだ。 |
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しかし、この負けた者を殺す権利などと称するものがけっして戦争状態から演繹できないことは明らかである。人間が原始的な独立状態にあったときには、おたがいの間に平和状態をも戦争状態をもつくりだすほど恒常的な関係をけっして持っていなかったということだけからみても、かれらは自然にはけっして敵どうしではない。戦争を構成するものは事物の間の関係であって、人間相互の関係ではない。そして戦争状態はたんなる人的関係からは起こりえず、物の[物質的利害]関係からのみ生ずるのであるから、個人対個人の戦争、すなわち私闘は、安定した所有権が成立していない自然状態においても生じえないし、万事が法の権威の下におかれている社会状態においても、起こりえない。 |
そうであっても、戦争に勝ち敵を殺して許すことがないというのは、戦争の道理から大いに外れるものだ。ここで戦争というものの根本について考察してみよう。 昔、国家というものがまだ建っていなかったとき、人々は自分の思いどおりに生きていて、離合集散し、決まった形の団体をもたなかった。そこではお互いに戦う理由も特に平和を保つ必要もなかった。つまり戦争というものが人間の本性ではないことは明らかである。そして戦争というものは、二つの国が互いに戦うことをいうのであり、二人の人が互いに戦うことをいうのではない。上古においては土地は私有ではなく、国というものもないので、戦争の生じる理由はない。一人二人が戦ったところで戦争にはならない。土地が私有され、国民というものが生じてからは、戦さにもまた法というものがあるのであって、勝手に人を捕虜にして奴隷とすることはできないのである。 |
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個人間の争い、決闘、偶然な果たし合いなどは[なになに]状態というほどのものをつくりだすほどの行為ではない。そして、フランス王ルイ九世の「律令集エタブリツスマン」によって許可されたり、「神の平和」で停止されたりした私闘、私戦についていえば、それはたんなる封建制度の悪習にすぎず、この封建制度なるものはあらゆる制度の中で一番不条理で、自然法の原理にも、あらゆる善い政治組織ポリテイアにも反するものなのである。 |
また、私闘の類はみな一時の憤怒に駆られて起こされるものなので、これを基準として考えることはできない。また、フランス王ルイ九世が諸侯に許可した私戦や、僧侶が神勅に仮託して講和させたようなものは、要するに封建時代の政治の悪弊であって、これ以上に道理に悖るものはないため、問題にする価値はない。 |
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だから、戦争は人間対人間の関係ではなくて、国家対国家の関係なのであって、この関係において個々の人間は、人間としてではなく市民[国民]としてでさえもなく、ただ兵士として偶然に敵となる。つまり祖国の構成員としてではなく、その防衛者として敵となるにすぎない。各国家は他の国家を敵とすることができるだけであって、人間を敵とすることはできない。質を異にする事物の間にはいかなる真実の関係もうちたてることができないからである。 |
ゆえに「戦争というものは国と国とが交戦することをいい、人と人とが戦うことをいうのではない」というのである。両国の人が敵どうしとなるのは、つまり一時的なことにすぎないし、その国の国民だからではなく、その国の軍人だから敵となるのである。すなわち、国というものは必ず国を敵とするので、個人を敵とすることはできない。なぜなら、国と人とはもとより種類を異にするので、ともに事を行うことができないことは明らかだからだ。 |
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(原注:戦争の法規を、世界中のどの国民よりもよく理解し尊重したローマ人は、この問題には非常に慎重であったから、敵と戦う意志を明示し、特定の敵を名ざすのでなければ、市民は義勇兵として服役することを禁じたほどである。小カトーはポピリウスの麾下で初陣したが、その軍団が再編成されたとき、大カトーはポピリウスに書を送っていった。「わたしのせがれが貴方の下で服役を続けることをお望みならば、改めて入隊の宣誓をやらせて下さい。というのは、最初の宣誓は無効になったから、せがれはもはや敵にたいして武器を取ることができないからであります。」おなじく、小カトーにも書を送って新たに宣誓するまでは戦闘に加わってはならぬといった。クルジウムの攻囲のような個々の例をあげて、わたしの説に反対する人があることは知っているが、わたしの引用したのは、すでに法や慣習になっていたものだけなのである。ローマ人は自分たちの法を犯すことの最もまれな人民であり、またこんな立派な法をもっていた人民はない。) |
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この原理は、あらゆる時代を通ずる格率と、また、あらゆる法治国民がつねに行ってきたことと一致している。宣戦の布告は相手の国にたいするよりも、むしろ、その臣民にたいする通告である。元首(プランス)にたいして宣戦せずに、臣民の物を取り、それを殺したり、拘禁したりする外国人は、国王であろうと、個人であろうと、人民であろうと、それは敵ではなくて、強盗である。戦争のまっさい中でも、正しい君主(プランス)[統治者]ならば、敵地における公共に属するものは遠慮なく取り上げてしまうけれど、個人の生命、財産は尊重する。つまり、かれ自身の権利の基礎となっている権利は尊重するのだ。戦争の目的は敵国の破壊であるから、その防衛者が武器を手にしているかぎり、これを殺す権利がある。しかし、武器を捨てて降服するやいなや、敵であることを、または敵の手段たることを止めたのであるから、かれらはたんなる人間に戻ったのであり、したがってだれもかれらの生命を奪う権利はないはずである。ときとしては、国家の構成員をひとりも殺さずに国家を殺すことができる。ところで、戦争はその目的を達するために必要でないどんな権利をも与えるものではない。以上の原理はグロティウスの原理とは違う。それは詩人たちの権威に基礎をおくものではなく、事物の本性から生じたものであり、理性に基づくものである。 |
そして戦争の道理というものは、古今いやしくも礼儀を知る国であれば、みなこれを戦さの要としないものはない。どうしてそういえるのか。ここで、開戦の日を決めて申し込む方法を見るとしよう。 およそ軍を出して他国を伐つに際しては、必ず先ず使者を派遣して開戦の期日を申し入れる。これは相手国が準備できるようにするためだが、相手国民が避難できるようにするためでもある。これにより、往々にして軍人以外は荷物を担いで逃げ出したのである。ゆえに、もし他国を伐つのに開戦日を告げることなく密かに軍を進めて相手の不備を狙い、それによって戦利品を得ることがあれば、それは帝だろうが王だろうが、将軍だろうが大臣だろうが、みんな単なる盗賊であり、敵国の名に値しない。 これゆえに、古今いやしくも戦争の道理を知る者が他国を伐ち国境を侵すと、その国の公有財産は分捕って軍需に充てるが、個人の人身と財産とに対しては、必ず厳禁して犯すことがない。それは、敵国の民を大切にすることが自国の民をかばうことにつながるということを知っているからである。そのうえ、戦争の目的は敵国を伐つことにあって、敵国人を傷つけることではない。ゆえに敵国人で武器を執って抗戦する者は殺すのは仕方ないが、武器を捨てて降服しようとする者は殺すことはできない。彼は既に武器を捨てて軍服を脱いでいるのだから、一人の庶民に還っているのである。どうしてこれを殺すことができようか。また、戦争でさしたる抵抗なく敵国の首都に入城できる場合があるが、このときは侵攻の目的は既に達せられたのだから、そのうえ略奪することなどはできはしない。 ここで述べたことは、みな事物自然の道理に基づくもので、確乎として変えることのできないものである。グロシユースなどが昔の詩人のことばを引き合いに出してこじつけるのは、でたらめな話であり、説を成しているとはいえない。 |
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征服の権利については、それは最も強い者の権利以外になんの根拠もないといえる。戦争が勝利者にたいして、負けた人民を虐殺する権利を与えるものでないとすれば、勝利者はかれの持っていないこの権利に基づいて、敗者を奴隷とする権利を主張できるわけがない。敵を殺す権利は、敵を奴隷にすることができない場合にのみ認められるのであるから、敵を奴隷にする権利はかれを殺す権利から生ずるはずはない。したがって、敵の生命にたいしてなんらの権利もないのに、その生命を、自由と引きかえに買い取らせようというのは、不平等な取引である。生かしたり、殺したりする権利を奴隷権の上にうち立てながら、奴隷権を、生かしたり殺したりする権利の上に立てようとするのは、明らかに循環論法ではないか。 |
戦争に勝って国を奪い、人を奴隷にして当然だとする者は、みな前述したいわゆる強者の権利によって立論しているに過ぎない。戦争に勝って敵国を奪い取っても、ほしいままにその民を殺すことはできない。民を殺すことができないのだから、奴隷にすることもできないのは明らかである。なぜか。人がその敵を殺すことができるのは、ただ抵抗を受けてやむを得ない場合だけである。もし奴隷とすることができる(決死の抵抗を受けない=ゆり子)のなら、殺すことはできないし、殺すことができないなら奴隷とすることはできない。人が既に武器を捨てて降服したならば、その人を殺すことはできない。殺すことができない以上、生命を救うかわりに自由権を捨てさせるというのは理屈に合わない。かのグロシユースが奴隷にする権利から生殺の権を導き、また生殺の権を根拠に奴隷化の権を立てようとするのは、どちらが理由でどちらが結果か、循環して輪っかのように端がない。これが理に外れていることは、まことにはっきりしていて明白ではないか。 |
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一歩譲って、このだれも殺してもかまわないという恐るべき権利があると仮定しても、戦争で奴隷にされた者や征服された人民は、服従を強要する力が続く間だけしか、その主人に従う必要はないといいたい。勝利者が敗者の生命の対価を取った場合、彼は相手の生命を容赦してやったとはいえない。何も得しないで殺す代わりに、もうかるように殺したのだから。したがって、かれは相手にたいして自分の力のほかに何の権威も新しく得たわけではなく、両者の間には依然として戦争状態が続いており、両者の関係そのものが、戦争状態の結果なのである。そして、戦争の権利が行使されているということは、平和条約がまったく結ばれていないということを前提としているのだ。両者の間にはとりきめがあるというなら、そのとおりである。だが、このとりきめは戦争状態を終結させるどころか、それの継続を想定しているのだ。 |
また、たとえ戦争に勝ち、敵を許さずに殺すことができて、その敵兵もしくは敵国民が奴隷になったとしても、長いあいだ臣として仕えさせることはできない。機会があり次第たちまち蹶起して敵に戻り、苦境から脱しようとするだけだ。なぜか。自由権というものは、わたしにとって生命と同じくらい大切なものだ。だから、わたしが彼にこれを奪われた上で生き延びさせられても、何の得もないのだ。「いたずらにこの人を殺しても益はない。自由を奪った方が得だ」と、彼は思うだろう。つまり彼がわたしを生かすのは彼自身の利益になるだけで、わたしには何の得もない。ああ、彼は既にわたしを生かして奴隷とし、わたしは機をうかがって脱出を図る。つまり彼とわたしとが敵であること、はじめとほとんど変わっていない。すなわち名は権といいながら、それによって力を補うところが少しもない。彼はあるいは言うだろう。「おまえがさきに自由権を棄てて生命を求めたのは、これもひとつの約束である。おまえは今この契約にそむくのか」と。わたしは答えて言おう。「この契約は、おまえがわたしと敵対し続けるという契約である。わたしは今、契約に反しているのではなく、これを履行しているのだ」と。これで彼はわたしに何か言い返せるだろうか。 |
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このように、どの方面から考えてみても、奴隷権は無効である。たんにそれが不法であるばかりでなく、不条理で、ナンセンスであるからだ。奴隷制と権利という二つのことばはたがいに矛盾し、あい容れないものだ。ひとりの人間から他のひとりの人間にたいするものであっても、また、ひとりの人間から一人民にたいしてであっても、次のような文句が馬鹿げていることに変わりはない。「わたしは、おまえとの間に、おまえにはまったく損になり、わたしにはまったく得になるとりきめを結ぶ。わたしは自分の守りたい間だけそれを守り、おまえはわたしがまもりたくなくなるまでは、それを守れ」 |
こうして見てくると、奴隷権は道理に外れているだけではなく、理屈にも合わない。奴隷を言うなら権利を言えず、権利を言うなら奴隷を言えない。この二語は相容れない。ある人が人と契約して「この契約に従って、わたしは利益を受ける一方で、おまえは損をする一方となれ」と言い、また「わたしがこの契約によって利益を受けている間は、わたしはもちろんこれを守る。おまえは不便であってもこれを守れ」と言う。こんな契約は、二人の人間の間であろうと、君主と民との間であろうと、みな道理にも理屈にも合わず、意味をなさない。ナンセンスである。 |
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五 章 |
最初の約束にいつもさかのぽらなければならないこと いままでわたしが論駁してきたことを、かりに全部承認したところで、専制主義の擁護者たちの立場は少しもよくはならない。群衆を屈服させることと、社会を治めることとの間には相変わらず大きな相違があるであろうから。ばらばらになっていた人間が、つぎつぎにただひとりの人間の奴隷にされてゆくとしたら、たとえその人数がどれほどになるとしても、そこにはひとりの主人と奴隷たちがいるだけで、人民とその首長は認められない。それを集合体とはいえようが結合体とはいえない。そこには公有の財産もなければ、政治体もない。この人間が、たとえ世界の半分を奴隷化したとしても、依然として一私人にすぎない。かれの利益は、他の人々の利益とは別物であるから、いつまでも私益にすぎない。この当人が死ぬようなことが起これば、その死後の帝国はばらばらになり、つながりがなくなる。あたかも樫の木が火に焼かれると、その形を失って一山の灰となるようなものだ。 |
第五章 いつも契約を国の根幹としなければならないこと ここまでわたしが論駁したところは、みな言っていることがでたらめで、理屈になっていない。だからこれらのことは放っておいて、事実について明らかにしよう。世の中には専断制を主張する者があるが、そんな説は成り立たない。なぜか。法によって国を治めるのと、威力によって民衆を制御するのと、その効果にどれだけの違いが出るだろうか。ここにひとりの人があって、その威強を恃んで人々を屈服させていたとしよう。そこにたとえ百万の人々があっても、わたしは必ず「ひとりの主人とたくさんの奴隷」と言って「ひとりの君主とたくさんの民」とは言わない。必ず「種族の部落である」と言って「国家である」とは言わない。なぜならば、彼は威力によって人々を抑え、人に利益を分かたない。人に利益を分かたない者をどうして君主と呼べるだろう。この人は、たとえ天下を席巻して世界を残らず包みこんだとしても、天からも民からも見放された暴君(独夫)にすぎない。彼が利とするところは人々の利とするところではなく、私利である。彼はその私利をもって人々に対するのであるから、これが独夫でなくて何であろう。荒れた祠の柏の木は、天を指すほど高く、牛を覆うほど大きい。いったん天の火が来たってこれを焼けば、灰燼は風によって舞い散り、収拾がつかなくなる。独夫がいのちをおとすと、その民が崩壊してばらばらに離散してしまうのは、これと同じことだ。こんなものが国家といえるだろうか。 |
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「人民は自分を国王に与えることができる」とグロティウスはいう。このグロティウスに議論に従えば、人民は国王に自分を与える前から、人民であったのだ。この贈与自体が政治体の行為なのであり、それは当然、公衆の議決を前提としている。だから、人民が国王を選ぶ行為を検討する前に、人民が人民となった行為を検討するほうがよかろうと思う。なぜならば、この行為は必然的に、前者に先立った行為であって、これこそすべての社会の真の基礎であるからだ。 |
グロシユース曰く「一国の民は自らを全部君主に与えることができる」と。本当にそうなら、まだ自ら与えないうちから、既に国があったことになる。既に国があるのなら、そこには政治もある。彼の言う自ら与えるということも、また政治である。いやしくも政治である以上、議論してこれを決めるのでなければならない。もしもそうならば、民が君に与えたわけを論じるよりは、まず国というもののよって建つところを論じたほうがよい。国を建てるということは、当然自ら与えるよりも前になされたことだからだ。従って、政術を論じる者は、必ずここから始めねばならない。 |
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実際、あらかじめ約束ができていないとすれば、選挙が全員一致でないかぎり、少数者が多数者の選択に従わなければならない義務がいったいどこにあるというのか。主人を欲しがっている百人が、そんな者はいらないという十人に代わって議決する権利をいったいどこから得たのか。すなわち、多数決の法も約束の制度であって、この法が存在するためには、前提として、少なくとも一回だけは、全員一致があったことが必要である。 |
仮りに、民が自ら君に与える前には国家はまだなかったとしてみよう。となると、何によって自ら与えることができたのか、わたしには分からない。人々が集まって、みなが意見を同じくし、異論のある者がひとりもなかったのならばよい。もし不幸にして百人がこれを欲して十人が欲しなかった場合は、百人の人はどういう根拠でこれを議決できるだろう。人々が話しあってことを決めようとするとき、必ずその意見を持つ者の多寡を比べるのは、もとよりよしとする。しかしこれには、予めそういう約束がなければならない。そして国家ができる前には、約束の類はなかった。民が話し合って王を建てる前に、全員が意を同じくして決めたものがあるということが、これによってわかる。これこそが、わたしがここで論じたいと思うものなのである。それは何か。あい知に約束して国を建てること、これである。 |
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【解】グロシユースは言う。「国民が君主を立てて専断の権を託した」と。ルソーは言う。「民があい共に約束して国を建てるのは、君主を建てるのより前に行われるべきで、これがいわゆる民約である。民約がひとたび成立したなら、人々は堅く決まりを守る。君を立てることなど、絶対にしない」と。第一章からここに至るまで、専ら専断の政に対して反駁している。次の章から本論に入る。 |
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六 章 |
社会契約について 人間が自然状態において生存することをさまたげるもろもろの障害が、その抵抗力によって、各個人の自然状態にとどまろうとしてもちいる手段を圧倒する段階に人間が到達したと想定しよう。その場合には、この原始状態は、もはや存続しえなくなる。だから、人類はその生活方式を変えなければ、滅亡するであろう。 |
第六章 民約 人は常に言う。「昔、人が思うままに生きていたときは、天災と人災とが間をおかずに代わる代わる起きて、その威力は我々の力をはるかに凌駕し、防ぐことができなかった」と。これはあるいはそのとおりだろう。ひとたびこういう事態に陥ったら、生活の仕方を大きく変えなければ、人類は滅亡するだろう。 |
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ところで、人間は新しい力を生みだすことはできるものでなく、ただすでに自分たちの持っている力を結合し、統制することができるだけであるから、生存するために取りうる手段としては、外界の抵抗にうち勝つように、集合して各自の力の総和をつくりだし、それらの力をただ一つの原動力によって運転させ、協働させるよりほかはない。 |
そうであっても、いわゆる生活の仕方を変えるということは、容易なことではない。おそらく人の智力はもともと天に命じられたもので、急に増やすことはできない。ゆえに、もし災いを防いで自己を守りたいと思うなら、頼りあい寄り集まって、ともに力を合わせ、それからこれを統率して一つの力として発揮させることよりほかに方法はない。 |
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このような力の総和は、多くの人々の協力によらなければ生まれえない。ところが、各人の力と自由とは、その生存の主要な手段であるから、どうしてかれは自己の利益をそこなわず、自分にたいする配慮の義務をおこたらないで、同時にその力と自由とを拘束しうるであろうか。この難点は、わたしの主題に関係づけていえば、次のことばで表すことができる。 |
ところがここに困ったことがある。わたしの力はわたし自身の生存のために欠くべからざるものである。もし皆と力を合わせて自分のために使えなければ、わたしの身を損なうことにはならないだろうか。生活の仕方を変えるのが困難な訳も、民約の勘所も、全てここにある。当時の事情がどうだったのかはわからないが、理は古今を通じて一つである。このため、人々は同じく然るべきものとして次のように言うのである。 |
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「各構成員の身体と財産とを、共同の力のすべてをもって防禦し、保護する結社形式を見いだすこと、ただし、この結社形式は、それによって各人のすべての人と結合しながら、しかも自分自身にしか服従せず、従前と同じように自由であるようなものでなければならない。」これこそ社会契約によって解決される基本問題である。 |
人々はお互いに言う。「わたしたちはどうやって助け合って集団となり、その集団の全力でもって生を保つことができるだろうか」と。また言う。「わたしたちはどうやって互いに束縛して一集団となり、しかも決して人に抑制されることなく、各自が自由権を有することは以前と変わらないというようにできるだろうか」と。これがすなわち、国家が国家になる理由であり、民が民となる理由であって、民約はすなわちこの条目を順に論ずるものである。 |
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この契約の諸条項は、この結社行為の性質からいって、少しでも修正すれば、無価値な、無効なものとなるように想定されている。だから、この条項はおそらくいままで明文をもって発表されたことはないかもしれないけれども、いずこにおいても同一であり、いずこにおいても暗黙のうちに受け入れられ、承認されている。――社会契約が破られて、各自がそのさいしょの権利に戻り、契約上の自由を失い、この自由のために放棄された自然的自由を取り返すまでは。 |
いわゆる民約の条目は、その主旨はきわめて厳密であり、きわめて整っていて、少しも改変できないものである。もしも改変することがあれば、全部がいっぺんにだめになって、使い物にならなくなる。いわゆる民約の条目は、未だかつてことばにして語られたことも文字にして記されたこともない。しかしその主旨は、正義に基づき人情に基づくものであって、確乎として変えられないものである。であるから、およそ民たるものは始めから暗黙のうちに了解し、これを国家の根本としなければならない。もしもこれに違反するようなことがあれば、絆が解けてばらばらになってしまい、人々は得て勝手に思いのままに振る舞い、めちゃくちゃになって崩壊し、人義の自由は消滅し、以前の天命の自由に戻ってしまう。 |
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【解=雑誌にはない】イギリスのベンザムは言う。「ルソーのいう民約のようなものがこの世にあったとは、未だかつて聞いたことがない」と。彼はここの一節を読まなかったのであろうか。ルソーはもともと言っている。「民約の条目、未だかつて口にし筆で書いたものがあるとは聞かない」と。おそらくルソーは、世の政治を論ずるものが往々にしていたずらに事実に拠って説をなすのを嫌っているのだろう。ゆえに本書では、専ら道理から推論して論を立て、理屈が当然赴くところを論じているのである。従ってその事実の有無ははなから問題外なのである。ベンザムは用を論じルソーは体を論ず(ここでは、「用」は個々の現象、「体」は本体、根本、くらいに解してほしい=ゆり子)。ベンザムは末を論じルソーは本を論ず。ベンザムは単に利便を論じ、ルソーは正義をも問題にしている。二者が合わないのは当然である。 |
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この諸条項を正しく理解すれば、結局、ただ一つの条項に帰着する。すなわち、各構成員は自分の持ついっさいの権利とともに、自分を共同体にたいして完全に譲渡することである。なぜならば、第一に、各人がまったく自分を与えてしまうのだから、すべての人にとって条件はひとしくなり、また、すべての人にたいして条件がひとしいのだから、だれも他人の条件を負担の重いものにしようということに関心を持たないからである。 |
いわゆる民約の条目は多岐にわたるが、これを合わせれば一つのことになる。党人はみな自分の権利をそっくり全部党に納れるということである。党人がみな自分の権利をそっくり全部党に納れて、一人の例外もいない。このようにしてから利を分ければ、その分け方は全く平等になる。利を全く平等に分ければ、自分の利のために人を害する心は生じることがない。党人がことごとく自分の権利を納れて余すところがなければ、党人はしっかりと結び合わされて、欠けたり隙間の生じることがなく、一人も被害を訴える者がないだろう。 |
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その上、この譲渡は留保なしに行われるから、結合はこの上なく完全であり、構成員のだれももはや共同体にたいして要求すべきことをもたない。なぜなら、もし個人の手にいくらかでも権利が残っているとすれば、個人と公共との間に立って裁きをつけることのできるような共通の権威者は誰もいないであろうから、各人はあることがらについては自分自身の裁判官となり、やがてあらゆることがらについても、そうなろうと思うであろう。そうなれば、[脱却したはずの]自然状態は依然として存続し、結社は専制的となるか、それとも、機能を失うであろう。 |
そうではなく、もし党人が各々自分の権利の一部でもその手に残して、全部を納れてしまわなければ、党をなすことはできない。なぜなら、党にはもともと主人がいないから、党と争うことになったとき、わたしはわたしのもっている権利によって抵抗すれば、だれがこれを裁定することができるだろう。このように、人々が一つの事について自ら自分の権利を用いることができるようなら、何についてでも自分の権利を用いようとするだろう。そうなれば以前のほしいままに生きた状態がまた生じ、党の力は力尽くで抑えでもしなければ、空に帰してしまう。 |
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要するに、各人はすべての人に自分を与えるのであるから、だれにも自己を与えないことになる。また、各自は自分自身にたいする権利を他の構成員に譲り渡すと同時に、かならずそれと同一の権利を他の構成員にたいして獲得するのであるから、各自はそのすべての失うものとまったく価値のひとしいものを手に入れる上に、各自の持っているものを保存するために、[協同による]いっそう多くの力を手に入れる。 |
こうして見てみると、民約というものは、人々がお互いに自らを全て皆に与えるものである。自らを全て君に与えるのとは違うのである。自らを全て皆に与えるといえども、実は与えるもの何もはない。何故か。人々はみな自らを全て皆に与えて、一人も違う者がいなければ、一人も皆から得る者がいないということになる。一人も皆から得る者がいないということならば、一人も補償されない者がないということになる。故に、自らを全て皆に与えても、実は何も与えるものではないというのである。それだけではない。人々が自ら皆に与え、皆がその全力でこれを擁護すれば、人々の守りは自分で自分を守るよりもはるかに堅固である。これがすなわち、人々が民約において失うところがなく、得るところがあるということである。 |
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だから、もし社会契約からその本質的でないものを取り除くと、それは次のことばに要約されることがわかろう。「われわれおのおのは、その身体とその力のすべてを共同にして、一般意志の最高指揮の下にゆだねる。さらに、われわれは、政治体を形成するものとして、各構成員を全体の不可分な部分として受け入れる。」 |
このため民約というものの要点を言うと、「人々が自らその身とその力とを全てみんなのために提供し、これを用いるのにはみんなの意見の一致したところで行う」ということになる。 |
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この結社行為が行われるとただちに、各契約当事者の個別的人格とかわって、この行為は一個の無形の[精神的]集合体をつくりだす。この集合体は、これを設立する集会の投票数と同数の構成分子によってつくられ、また、それはまさしくこの同じ行為からその統一とその共同の自我、その生命、その意志を受け取る。このようにすべての人格の結合によってつくられたこの公共的人格(ペルソンヌ・ピュブリック)は、昔は都市(シテ*原註あり)[国家]という名をもっていたが、いまでは共和国(Republique)とか政治体(Corps politique)という名をもち、その機能が受動的な場合は、その構成員によって、国家(Etat)と呼ばれ、能動的な場合は、主権者(Souverain)と名づけられ、同種の団体と比較されて、国(Puissance)といわれる。これを構成する結社成員については、市民(Citoyens)と呼ばれ、国家の法に服するものとしては臣民[被治者](Sujets)の名がある。しかし、これらの用語は、しばしば混同され、取り違えられている。だが、きわめて正確に使用されているときに、区別ができれば十分である。 |
民約が成立すると、地は変じて国家となり、人は変じて国民となる。国民というものは、人々の意見を合わせて一つの身体となしたものである。その身体は、議院を胸や腹とし、法律や条例を気や血液とし、それによってその意思を行き渡らせるのである。この身体は、それ自身の形を有さず、人々の意見を形とする。この身体は、それ自身の意をもたず、人々の意見を意とする。この身体を昔の人は「国」呼び、今は「官」と呼んでいる。官というものは、もろもろの職務を裁定し処理するものである。構成員との関係からいえば「官」となり、法令を出すものとしては「君」といい、他国の人から見れば「邦」といい、構成員全体を指して「民」といい、法律条例を決めるものとして「士」といい、その法令に従うものとして「臣」という。そうであっても、これらの呼称は互いに通用して、必ずしも截然と分かれてはいない。その本義を見るとこういう呼称になるというだけのことである。 |
【訳解】この節でジャン・ジャックが使用した語と、それを兆民が訳した語とを比べることは非常に重要だろう。 都市(シテ)を兆民は「國」とする。このシテは原註にも見られる如く、単なる町ではなく古代の自治共同体、都市国家、ポリスの意なので、戈(ほこ)を口で囲って武装都市を表す國の字は、うまい訳だと言えるかもしれない。 次の共和国、政治体。リパブリックは語源たるラテン語では「民衆」+「物」。政治体はそのまま、政治に携わる団体ということ。これを兆民は「官」という。この字は司るという意味で、公務を行う人や役目、役所などをいう。感覚器官の官も同じ意味から。兆民はこれを共和国、政治体にあて、さらに国家(Etat)にもあてている。 国家(Etat)は英語のstateで、一つの政府によって統治される、政治的な制度としての国家をいう。兆民がこれを構成員(原文は「衆」)との関係で「官」と訳すということは、これは国家賠償訴訟などで、原告・某某、被告・国、というような際の「国」のことか。 次の主権者を、兆民は「君」と訳す。なるほど辞書でSouverainを引くと「君主」という訳も出てくる。それは主権者が君主であった時代が長かったからだろう。意味としては至上、最高、ということ。一方「君」は、元は聖職者を表し、そこから氏族長、さらに、号令して人々を治める者の意となった。君子というとおり、ある程度の地位にある者をいうので、必ずしも天子を指すものではない。しかし共和国における主権者を君と呼ぶことには、現代の感覚からすると違和感は禁じ得ない。 国(Puissance)はある勢力=権力、支配力を伴うものとしての国家。邦と国との違いは、古くは大きいのが邦、小さいのが国ともされるが、もともと邦は領土を、国(國)は城壁で囲んだ国都を指す。しかし後代では通用するようだ。ここで兆民が国と邦とを使い分けているのは、古代の用法を意識してのことかもしれない。 次の市民(シトワイヤン)については原註に譲る。 臣民(Sujets)は臣下、臣民ということ。被験者や患者という意味もあるようだ。「臣」という漢字は奴隷とか家来を表す。Sujetsとの語感の違いは、よくわからない。(ゆ) |
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原注:Citeという語の真の意味は、現代人の間ではほとんどまったく消え失せている。大部分の人々は都会(ヴィル)を都市(シテ)と、また、町人(ブルジョア)を市民(シトワイヤン)と取り違えている。かれらは都会をつくっているものは家屋であるが、都市を構成するのが市民だということを知らないのである。この同じ誤りが、かつてカルタゴ人に高価な代価を払わせた。わたしは、市民(Cives)の称号がいかなる君主であろうと、その臣民に与えられたことを読んだことがない。古代においては、マケドニヤ人、現代では、イギリス人が、他のすべての臣民よりも、より自由に近いのだが、いずれにも、この称号は与えられなかった。フランス人だけはこの市民という名前を、気軽に使っている。そのわけは、かれらの辞典を見てもわかるように、市民ということばのほんとうの意味をぜんぜん知らないからだ。もしそうでないとすれば、かれらはこの名を僭称したことによって、不敬罪を犯していることになるであろう。この名称はフランスではある徳を表わすだけで、権利を表すものではない。ボダンがわれわれの市民と町人について述べようとしたとき、かれは両者を取り違えて大失敗を犯した。ダランベール氏は、この点について誤りを犯さず、その「ジュネーヴ」の項において、われわれの都会に住む人々の四つの身分(たんなる外国人もそこにふくめれば五つの身分)――その中の二つの身分だけが共和国を構成しているのだが――を明瞭に区別した。わたしの知るかぎりでは、他のいかなるフランスの著者も、市民という語の真の意味を知らない。 [五つの身分=シトワイヤン(市民)、ブルジョワ(町人)、アビタン(帰化民)、ナティーフ(二世帰化民)、シュジェ(隷属民)。始めの二者はその数、千六百人を越えず、行政と立法に参加した。シトワイヤンはシトワイヤンまたはブルジョワの子どもで、市で生まれていなければならない。ブルジョワはブルジョワ証明書をえた者で、その証明書によって各種の商業に従事できた。ブルジョワのむすこは、市区以外で生まれるとシトワイヤンになれない。アビタンは市の居住権を買った外国人、ナティーフは市内に生まれたアビタンの子どもたち。かれらは商業に従事する権利がなく、なお、多くの職業につくことが禁じられ、しかも主としてかれらが課税の対象とされた。シュジェはその地方に生まれたといなとにかかわらず、ただこの地区に居住する農民で、一番無力な存在であった] |
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【訳解】シトワイヤンというのはジャン・ジャックもいうように、単なる都市住民ではなく、市民権、公民権をもった、意識的なシテ(ポリス)の構成員であり、主権者と訳してもよい存在のようだ。大革命時のカミーユ・デムーランの有名なアジテーション「武器をとれ、シトワイヤン!」はつまり、「武器をとれ、主権者たち! 武器をとって、諸君が本来持っている、しかし現在は失われている主権を、その手に取り戻せ!」という意味となる。 これを兆民は「士」と訳す。士は士農工商の四民の頭だが、兆民の頭にあった「士」としては、おおよそ三種類が考えられる。周代における士、秦漢以後の帝政下における士、そして日本の武士だ。 周代においては天子、諸侯、卿、大夫に次ぐ身分で、士までが貴族。つまり士は最下級の貴族で、必ずしも世襲ではなかった。白川静氏によればマサカリの象形で(異説あり)、貴族的戦士を表している。『春秋左氏伝』を見ると、政を執るのは天子や諸侯ではあるが、貴族たちの支持を得られなければ、天子も諸侯も位を保てなかったことがわかる。ときには彼らを集めて意見を聴くこともあった。民主政とは違い、「聴く」だけではあるが。 秦漢以降、皇帝権力が確立し、官僚制が整ってくると、士は科挙制度などによって登用され朝廷に仕える官僚となる。さらに、現に官途に就いていなくとも、その予備軍あるいは退職官僚として地方に蟠踞し、四民の頭として官と民、中央と地方とを結ぶ存在となっていた。 兆民は土佐藩の足軽の子で、中江の名字も名のることを許されたり許されなかったりするような身分だった。彼は藩校で陽明学や蘭学を学び、長崎、江戸に遊学してフランス語を修めた。このような彼の立場から考えると、「士」とは江戸時代的な武士よりは中国の士、それも武力を伴う下級貴族である周代の士のように思われる。 ジャン・ジャックの頭にあるのは、故郷ジュネーブならびに古代ギリシア・ローマの世界だが、それははからずも士と本質的に相通じるようだ。 前述のようにリパブリックの語源が「民衆」+「物」であるならば、その構成員は単なる住民として統治の客体であるのではなく、意識的な主権者たらねばならない。幕末から維新にかけての激動の時代を生きる兆民には、明末清初の顧炎武の匹夫有責論的な士の姿も想起されたかもしれない。 なお、ジュネーブには四つの身分があり、古代ギリシア・ローマは奴隷制を前提とし、中国も士の下に庶人がいた。普選はどこから出てくるのだろうか。(ゆ) 「亡国」は単なる王朝交代であり、しかるべき地位にある偉い人たちだけが心配すればよいことだが、「亡天下」となると、無位無官の下々の一人一人までが責任を負う問題だ……ということ。要するに満洲族による中国侵略のことで、「蛮族」による中華の征服は、儒者にとって世界の終わりと感じられたのだろう。 兆民も、一つの時代の終わりと新たな時代の始まりとを生きる中で、「匹夫有責」という感を持っていたはずだ。 なお、清末に十代だった毛沢東は、革命派の冊子を読んで「匹夫有責」と知り、志を立てたという。 |
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第 七 章 |
この公式によって、次のことがわかる。すなわち、結社行為には公共[人民]と個々の人々との間に一つの相互的な義務がふくまれていること、また、各個人はいわば自分自身と契約しているのであるから、二重の意味で義務を負う。つまり、主権者の構成分子としては個々人にたいし、国家の構成分子としては主権者にたいして、義務を負うているわけである。 しかし、何人も自己を相手にした契約には拘束されないという民法の格律は、ここでは適用できない。というのは、自分自身にたいして義務を負うということと、自己がその一部分をなしている全体にたいして義務を負うこととの間には、大変な相違があるからである。 |
第七章 君 前述したところから論を推し進めると、民約というものの何たるかを知ることができる。曰く、「これは君と臣とがこもごも盟って成すものである」と。しかし、ここにいわゆる君というものは、人々があい集まったものに過ぎないので、君と臣とがこもごも盟うといっても、実は人々は自分自身と盟っているのである。何によってかくいうのか。曰く、人々はお互いにもたれあい寄りかかりあって一体となる。相談して令を発しようとすれば即ち君であり、このほかに尊者を立てて奉ずるのではない。したがって、およそこの契約に参加する者は、みな君である。令を出すということから見れば、君がその臣と盟うのであり、その令に従うということからいえば、臣がその君と盟うのである。故に曰く、「君と臣とがこもごも盟うといっても、実は人々は自分自身と盟っているのである」と。訴訟法では「およそ自分自身と盟ったものは、必ずしも守らなくてよい」とあるが、民約も必ずしも守らなくてよいのだろうか。そうではない。ここでいう君は、人々が集まったものである。故に、臣が君に対するのは、一部が全体に対するということであるので、訴訟法にいうところの自分自身と盟うというのとは異なるのである。 |
【訳解】前章のとおり、「主権者」を兆民は「君」と訳している。(ゆ) |
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ここでなお注意しなければならないことは、公共の議決は、臣民[被治者]全体に、そのおのおのが二つの異なる点から考察されるところから、主権者にたいして義務を負わせることができるが、これと逆の理由によって、主権者にかれ自身にたいして義務を負わせることはできない、ということと、したがってまた、主権者が自ら破ることのできないような法を自分に課することは、政治体の本性に反する、ということである。主権者はただ一つの同じ角度からのみ自分自身を考察することができるにすぎないから、あたかも自分自身と契約する私人の立場にある。したがって、人民という集団を拘束するいかなる種類の基本法も存在しないし、また、存在しえない。社会契約でさえもその例にもれない。このことは、この集団が社会契約に反しない問題で他の国家と約束をとり結ぶことができないという意味ではない。なぜなら、対外関係においては、この集団も一個体、一個人となるのだから。 |
従って、人々が皆で話し合って決めたことは、人々は必ず遵守しなければならない。人々はみな、一人で二つの職(君と臣と=ゆり子)を兼ねている。故に君として決めたところは臣として従わなければならない。もし従わないならば、これは一人で皆に背き、臣にして君に背くことである。君として決めたことを君として改めるのならば、十回これを改めたところで、害ではない。何故か。君というのは人々が集まって成るもので、ただ一つの職であるから、分割することはできない。これによって、今日始めたことを明日廃止しても、皆で決めたことであるならば、たとえ憲法のような重いものであっても、改めようと廃しようとかまわない。つまり民約といえども、これを改めるも解くもまたかまわないのである。これはまさに訴訟法でいうところの自分自身に誓う類である。自分が始めたことを自分が止めることができないなどということは、理屈に合わないからである。 |
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しかし、政治体、または主権者は、社会契約の神聖さによって、始めて存在しえたのであるから、他者[外国]にたいしてさえも、その最初の行為を逸脱するようないかなることにも、たとえば、自分自身の一部を譲り渡したり、他の主権者に服従したりするようなことに、自分を拘束することはできない。自己の存在理由となっている行為を破壊することは、自己を滅ぼすことにほかならない。そして、無は、何ものをも生じえない。 |
他国と交渉して約束したことは、衆議によることであっても変えることはできない。この場合は自分自身と誓う類のことではないからである。信義を尊ぶべきなのは、二国間においても、二個人間においても異なることはない。 そうであっても、官といい君というも民約によっているものであるから、民約の根本に反することであれば、他国との約束であっても、速やかにこれを破って履行しなくてよい。君権を割き与えることや、別に君を立てることなどを約束した場合は、これはみな民約を破壊してしまうからである。民約は官と君とのよって立つ根拠であるから、その根拠である民約を壊すような何らの約束もできるわけがない。 |
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群集が、このように、結合して政治体となるやいなや、その構成員を攻撃すれば、政治体を攻撃したことになり、各構成員はそれに反発を感ぜずにはいられなくなる。このように、義務と利害がともどもに、契約両当事者に、いやおうなしに相互扶助をさせる。だから、同一の個々人が、この二重の関係から、その相互扶助に基づくあらゆる便益を結びつけようと努めなければならない。 さて、主権者はそれを構成している個々人だけから、その存在をえているのであるから、これらの個々人の利益に反する利益を持っていないし、持つことができない。したがって、主権は臣民にたいする何らの保証も必要としない。なぜなら、政治体がその構成員を害しようと望むことはありえないから[ここは、「政治体がその全構成員……」と解しないで、「身体がその四肢を……」という解釈も可能であり、次のセンテンスも同様である]。その上、この政治体が個別的にどの個人をも害することができないことは、後に述べるであろう。主権者は、ただ存在するということだけで、つねに主権者たるべき資格を備えている。 |
民約が既に成立し、国家が既に立ったならば、構成員の一人を害して国に害がないということはあり得ない。ましてや、国を害してしかも衆人に害がないということもできることではない。 国は身腹であり、衆人は四肢である。その心腹を傷つけておいて、その四肢が衰えないようにするなどという道理はない。故に、およそこの民約に参加する者は、君として令を発するも、臣として命を承けるも、常に互いに助け合わねばならない。これはもとより正義であって利益でもある。 君として令を出して義にもとらなければ、臣として必ずその利益をうける。臣として職務を遂行し、道理に背かなければ、君として必ず福を得る。 君といい臣というのは、はじめから二人いるのではない。君は人々が合わさって成るものであるから、君の利とするところは必ず人々の利とするところであって、ぶつかるものではないのである。したがって、君が令を出しても臣はこれを抑えはしない。衆人がみなで令を発して衆人を害しようと図るなどということは理屈に合わない。したがって、衆人がみなで令を発して、これによって一人もしくは数人を害そうと図ることも、あり得ないのである。これはすなわち、さらに論説を加えて明らかにせねばならないところである。 これ故に、君は義をもって終始せざるを得ない。公意の在るところがすなわち君の存するところだからである。 |
【訳解】この辺り、兆民訳はかなりことばを足しており、原文ときれいに対応していない。ジャン・ジャックの簡潔な文章でも十分わかると思うのだが、兆民にはわかりにくかったのだろうか。(ゆ) |
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ところが、臣民の主権者にたいする関係は、上の場合と事情が違う。共同の利益になるにもかかわらず、臣民が主権者にたいして、その義務を守るであろうという保証は、主権者が臣民の忠誠を確保する手段を見いださないかぎり、主権者に与えられないだろう。 |
臣の君に対する関係はそうではない。君から受ける利はたいへん大きいものであるが、もし予防措置をとらねば、臣が民約にそむかないという保証はない。 |
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実際、各個人は、人間としては、市民として持っている一般意志と反対の、または、それと異なった特殊意志を持つこともありうる。かれの個人的な利益は共同の利益とはまったく趣を異にした話し方をかれに向かってすることもありうるのだ。個人としての存在は絶対的であり、自然的には独立しているために、公共の利益のためになすべき義務を代償の与えられない寄付行為と考えて、こんな寄付を行うために自分の財布が痛むのにくらべると、寄付をことわったために他人が受ける損害のほうがはるかに少ないと考えるかもしれない。その上、国家を構成する作為的人格(ペルソンヌ・モラール)はほんとうの人間ではないのだから、空想の産物にすぎないと考えるなら、各個人は市民としての権利は享受しながら、臣民としての義務はご免をこうむろうとするかもしれないのである。こんな不正が発展すれば、政治体の崩壊を招くであろう。 |
なぜなら、人々はみな一人で二つの職がある(君と臣と=ゆり子)。故に君として令したものでも、臣としては悦ばしくないこともある。公意の欲するところでも、私情としては願わないものもある。且つ、君というものは自分一人のものではなく、必ず人々とともにするものである。君は具体的な身体をもたないものだが、臣には心情も、感官の欲望も、耳も目も肺も腸もあり、これらはみな個人の専有物である。このため、国のために服すべきことが、みんなにばかり益があって自分には得するところがないように思える。それで、こう言うのだ。「私がこの務めに服するのは、自分としては極めていやなことだし、私が服さなかったからといって、みんなにとって必ずしも害となることではない」と。こうして臣としての務めを逃れながら、君としての利は守る。こういうやり方がひとたび成立してしまうと、民約は崩壊してしまい救うことはできない。故に、「もし予防措置をとらねば、臣が民約にそむかないという保証はない」というのである。 |
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そこで、社会契約を無意味な公式としないために、この契約は、明文化されてはいないにしても、一般意志に服従することをこばむ者はだれでも、政治体全体によって服従を強制されるという約束をふくんでいる。そして、この約束だけが他の約束に効力を与えうるのである。これはたんに、その者が自由になるように強制されるということを意味するだけである。なぜなら、これこそ、各市民を祖国に与えて、かれをすべての個人的従属から守ってやる条件であり、政治機関のからくりをつくり、運転の鍵となる条件であり、これのみが市民相互の契約を合法的なものにするのだ。さもなければ、市民相互の契約は、不条理な、専制的なものとなり、はなはだしい悪弊に陥るだろう。 |
このため、民約が空文と堕すことを防ごうと思ったら、必ず次の一項を入れておかねばならない。曰く、「もし敢えて法令に従わない者があったら、人々は協力して必ず従わせなければならない」と。しかし、そのようにすると、人の自由権を害することにはならないのだろうか。曰く、「そうではない。むしろ、強いて人の自由権を保とうとするだけである」と。なぜか。およそ民約の本旨は、人々が衆議による命令を奉じることで、個人の抑制を受けることがないようにすることである。故に、法令に従うのは抑制の災いを遠ざけるためである。今この人が敢えて民約に背いたために、強制して民約を履行させるのは、まさにその抑制の災いを遠ざけたいからである。ああ、この一項は政治の肝腎要であり、これがなければ官の発する令はみな、礼にもとり、人をないがしろにする横暴なものになってしまうので、その害は必ず言語を絶するものとなる。そうであっても、この一項はもともと人々の願うところであり、民約はこれに由って起こるものなので、必ずしも明記していないのである。 |
この辺りは、第三章「強者の権利なるものについて」を参照されたい。 蛇足ながら少々つけくわえると、強者は放っておけば何でもし得るのだから、それに枠をはめて弱者を守らねばならないのである。 従って、例えば言論の自由とは強者を批判することを妨げられないことであり、弱い者いじめをする権利ではない。弱い者いじめの権利などというものは、誰も有してはいない。(ゆ) |
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八 章 |
社会状態(エタ・シヴィル)について 自然状態から社会[国家]状態へのこの移行は、人間の中にきわめて顕著な変化を生じさせる。人間の行為において、正義をもって本能に置きかえ、その行動に、従来欠けていた道徳性を与えるのである。このときになってはじめて、義務の声が肉体の衝動と交替し、権利が欲望と交替して、そのときまでは自分のことだけしか考えていなかった人間は、いままでと違った原理に基づいて動き、自分の好みに聴く前に理性と相談しなければならないことを知る。この状態においては、人間は自然からさずかった多くの利益を失うけれども、その代わりに非常に大きな他の利益を受け取る。かれの諸能力は訓練されて発達し、かれの思想は領域を広め、かれの感情は気高くなり、かれの魂の全体が非常に高尚になるから、かりに、この新たな境遇から生ずる悪弊が、かれの脱け出てきた境遇以下にかれをしばしば引きおろさないとするならば、かれをもとの境遇から永久に引き離して、愚かな、視野の狭い動物を知性的な存在、人間たらしめたあのありがたい瞬間を、かれはたえず祝福しなくてはならないだろう。 |
第八章 人世 民約が既に成立し、人々が法制に従って生きる、これを天の世を脱して人の世に入るという。人がひとたび天世を出て人世に入ることによって、人の身に加わる変更は極めて大きい。 すなわち以前は、直情径行、自分から我が身を省みることは絶えてなく、血気に駆られるまま、感官の欲望に従っているのであって、禽獣と同じである。それが今では、事ごとに道理と照らし合わせて正義にかなうかどうか計っている。そして、理や義に合っていればその人を君子とみなし、合っていなければ小人とみなす。こうして善悪の名がはじめて示されるのである。 以前は人々はただ自身を利することを図るだけで、他人のことなど知ったことではなかった。今は利害も禍福も必ず人々と共にし、自分だけ別ということはない。 天世を出て人世に入ることで、失うところもある。しかし、これによって得るところと較べれば、償って余りある。なぜか。人々があい集まって生きると、智慮はますます博くなり、感情は高尚になる。それによって、万物の霊長といわれるようになるのである。これを以前の状態、すなわち無知蒙昧で草木とともに生長し、鹿や猪とともに生きて、自らを修めることの全くなかったことと較べると、どれだけ甚だしく勝っているか。 そうであっても、一つ危惧される点がある。智恵が一旦開いたら、もう後戻りはできない。不幸にして一旦よからぬ傾向が生じれば、嘘や欺瞞や詐術が人情や道徳が極限までだめになり、自力で努力して元に戻すことがなくなる。そしてその結果、姦雄が相継いで興って征服するようになり、自由の権は全くなくなってしまう。もしそうならずに人々が自らをよく戒めて決まりを守ること千年一日の如くすれば、民約の成立による人生の幸福はこれ以上に大きいものはない。かくて後世の子孫もまた、慶んで言うだろう。「ああ我が祖先は聖明だった。早くから神智をめぐらし、共に盟いあって、永遠の基礎を築き、我らを禽獣の境涯から出して人類にしてくれた。ああ、どうして忘れることができようか」と。 |
【訳解】どうして兆民の手にかかるとこんなに分量が増えてしまうのか。 ジャン・ジャックと同じく、行動の原理を本能や欲望から理性に変えるということを説いているのだが、君子、小人、禽獣などなど経書で馴染みのことばを使い、最後はまるで書経のようだ。 大きく違うのは、「そうであっても、一つ危惧される点がある」以下の部分を書き足している点だ。ジャン・ジャックが「悪弊」の一語で済ましていることを、兆民はこんなにも長々と説明している。これは、兆民が「悪弊」を解りにくいだろうと考えたから、つまり、禽獣同様の段階から人間の段階に進むことによってまずい点が生じるとは、普通には考えにくいと思ったからか。それとも逆に、「悪弊」の語に兆民が強くうなずき、強調したくなったからか。いずれなのかは、わたしには判断がつかない。(ゆ) |
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この損得の決算の全体を、容易に比較のできるいくつかの項に要約してみよう。人間が社会契約によって失うものは、かれの自然的自由と、かれの心をそそり、しかもかれが手に入れることのできるいっさいのものにたいする無制限な一種の権利であり、これにたいして人間が手に入れるものは、社会的自由(リベルテ・シヴィル)と、かれが持っているすべてのものにたいする所有権である。この失ったものを得たもので償いをつけるにあたって、誤りを避けるためには、個人の力以外には制限を持たない自然的自由と、一般意志によって制限されている社会的自由とを、はっきり区別しなければならない。まず、暴力の結果か先占者の権利にすぎない占有と、法的な権限の上にしかうちたてられない所有権とを、はっきり区別しなければならない。 |
この契約によって失うものと得るものとを、比較してみよう。失うところはすなわち、天命の自由である。その得るところはすなわち、人義の自由である。天命の自由には外的な限りがなく、自分自身の能力の限界があるだけである。欲しいものがあれば自分の力でこれを求め、できなかったときに諦める。人義の自由は、みんなの同意によるものなので、その限界もみんなの同意による。このため、天命の自由によって得るものを奪有の権といい、先有の権という。奪有の権は、相手が弱くて守ることができないのに乗じて行うもので、先有の権はまだ誰も手をつけていないものを人に先んじて手にするものである。この二つは権という名ではあるが、その実、力と共に生じて力と共に失われるだけのものだ。これに対し人義の自由によって得られるものは保有の権といい、この権は文書によってあらわされ、発生も消滅も力によるものではない。 |
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【解】天命の自由に人は力だけを見る。故に、土地も財産も、これを守る人がなかったり、誰もまだ手を出していないものがあれば、進んでこれを自分の物にする。これが奪有の権と先有の権である。したがって、ほかの人が現れて、その力がこちらよりも勝っていたら、その財産は奪われてしまうのである。故にいう。「この二つの権は、力とともに生じ、力とともに消滅する」と。人義の自由は、民約によって定められ、民約によって制限されるものである。民約が成立し、法制が設けられたならば、土地財産には必ず決まった所有者があり、これがいわゆる保有の権である。そしてこの権は文書が証拠となる。故にこの権を得るのも失うのも、力とは無関係である。この三つの権については、以下の章でさらに詳しく論ぜられる。 |
【訳解】どうしてこの【解】が必要なのか。なくても十分に理解できると思うのだが、兆民は何を心配したのか。 気になるのは、「文書」の語。ジャン・ジャックはそんなことは言っていない。(ゆ) |
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以上述べたところに基づいて、なお、社会状態によってえた利益に、人間を真に自由の主人たらしめる唯一のもの、すなわち道徳的自由を加えることができよう。というのは、たんに欲望の衝動に従うのは奴隷となることであり、自ら課した法に従うのが自由なのであるから。しかし、この点については、わたしはすでにしゃべりすぎた。それに、自由という語の哲学的な意味は、わたしの当面の課題でない。 |
この契約によって得られるものは、もう一つある。何か。心の自由である。肉体的な欲求のまま、それを制御することのない者は、奴隷の類である。自ら法を課して、自らそれに従う者は、その心胸はゆったりとして余裕がある。しかし心の自由について論じるのは哲学の領分であって、この文章の主旨から外れる。議論のついでにたまたま言及したまでである。 |
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【解】国家がまだないとき、人々は欲望のまま情に従い、自らを制御することを知らなかった。故に形だけ見れば極めて活発自由のようだが、実際は肉体の奴隷であることを免れず、心が身体を主宰することができなかった。これが奴隷の類でなくて何であろうか。民約が成立してからは、およそ士たる者はみな、法を議論するに参与しない者はない。故に曰く、「わたしが法を作る」と。法制が既に設けられれば、みなこれに従わない者はない。故に曰く、「自らこれに従う」と。自分で法を作り、自分でこれに従うのだから、自分の本心はいささかも抑制を受けることはない。故に曰く「心胸はゆったりとして余裕がある」と。要するに、民約に因って得る所は、それに因って失うところに較べて、甚だしく大きいものである。故に第六章の終わりでもこう言うのである。「人々が民約において失うところはなく、得るところがある」と。あわせて読むと、その意味がますます明白になるだろう。 |
【訳解】「士」の語については前章を参照のこと。(ゆ) |
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九 章 |
土地所有権について 共同体の各構成員は、共同体が形成されるときに、現状のまま自己の全部を共同体に与える。つまりかれ自身と、かれの支配するあらゆる力――かれの占有する財産もその一部となっている――を与えるのである。この譲渡行為によって、占有がその主体を変えるために性質が変わったり、主権者の手にはいったら所有になるというわけではない。しかし国家(シテ)の力は個人の力とは比較にならぬほど大きなものであるから、国家の占有もまた、事実上、いっそう強い力で裏づけされ、いっそう確定的である。それにもかかわらず、少なくとも諸外国にたいしては、国家の占有がより正当であるわけではない。なぜなら、国家は、その構成員にたいしては、国家の中においては、すべての権利の基礎となる社会契約によってかれらの全財産を支配しているが、対外関係においては、国家が個人から引き継いだ先占権によってのみ、それらを支配しているにすぎないからである。 |
第九章 土地 民約が成立したとたんに、人々はみな、自身と、自身が現在もっている土地を、そっくり残らず「君」(=主権者)に納める。しかしこれはただ名目上のことに過ぎず、実はみな、自らその土地を守り、そこから得られる利益を処分できるのは、以前と変わるところがない。このようにして、人々と土地とを合わせて国家が成立する。曰く、人々が必ずその土地をそっくり君に納めるとはどういうことか。曰く、君は人々の身を合わせて構成されるものであり、国は土地を合わせて成るものであるため、勢力は極めて強い。故に、君の力によって守るのは、人々が自分で守るのに比べて、より堅固である。それだけではない。この契約は法律の基となるものなので、この上なく崇重されねばならない。故に、個人が自分の土地をそっくり君に納めるのは、形式として最も正しいことであり、決して侵してはならない。そして、既に形式が整ったならば、彼はそれによって力を得る。これが人々が必ず土地を君に納める理由である。 民約が成立する前は、人々が土地を有するのは、みな前述の先有の権によるものであるに過ぎない。民約が既に成立してからは、土地はみな君のものとなり、個人はこれに従ってこれを享けるのである。これによって先有の権は保有の権と変わり、侵すべからざるものとなる。しかし他国からこれを見ると、個人の土地所有は先有の権によるものでしかない。なぜならば、民約はこの国においては法律の基であり極めて崇重すべきものであっても、他国にとっては無関係であり、諸国間に共同の主もないから、権利の性質に何の変更も生じていない。 |
【訳解】兆民はここでも「君」の語を使用するが、ジャン・ジャックと照らし合わせると、ここでは共同体、国家(シテ)を表すようだ。 「曰く、人々が必ずその土地をそっくり君に納めるとはどういうことか。」以下、兆民は大幅に説明を書き加えていることも注意される。(ゆ) |
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先占権は、強者の権利よりは客観的な権利ではあるが、所有権が確立されてからでなくては、本当の権利とはならない。人間はみな、本来、自分に必要なものすべてにたいして権利を持っている。ところが、かれをある財の所有者とならしめる積極的行為は、他のすべての財からかれをしめ出すことになる。かれのわけまえが確定した場合は、人間はそれだけでしんぼうすべきで、共同体の財産にたいしてはそれ以上いかなる権利も主張できない。以上が、先占権は自然状態においてはきわめて薄弱な権利であったのに、社会状態においてはすべての人が尊重しなければならない理由である。その権利においては、われわれは他人のものを尊重するというよりも、われわれのものでないものを尊重しているのである。 |
そうであっても、いわゆる先有の権は前述の威力による権利に比してすこぶる頼りになるものである。しかしこれは保有の権があって初めて有効となるものである。法制がまだ設けられていなければ、自分が生きるのに必要なものはみな、取って用いることができる。所有者がいるかいないかは関係なく、従って先有の権利も頼りにならない。民約が成立してからは、人々は自分の所有しないものを勝手に奪いとることはできない。そして、もし主のない土地を見つけたら、人に先んじてその地を自分のものとし、それを守ることができる。これでわかるように、先有の権は天世(民約成立以前)においては極めて微かな効力しかもたないが、人世(民約成立後)においてはより大きな力をもつ。また、人世にあっては、ほかの人が私の先有権を重んる理由は、その土地が私のものであるからではなく、それがその人のものでないからである。故に曰く「先有の権は必ず、保有の権があってはじめて効力をもつ」と。 |
【訳解】ジャン・ジャックのいう「所有権」を兆民は「保有之権」としている。(ゆ) |
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一般に、ある地所にたいする先占権が合法的となるためには、次の諸条件が必要である。第一に、その地所にまだだれも住んでいないこと。第二に、生計のために必要な量だけしか占有しないこと。第三に、空虚な儀式によってではなく、労働と耕作によって、これを占有すること。この第三のものは、法律上の権限がない場合にも、第三者が尊重すべき所有の唯一のしるしである。 |
およそ土地について先有権を行おうと思う者は、必ず三つの条件がそろってはじめてそれが可能である。曰く、その地に主がなく、まだ誰も住んでいないこと。曰く、その土地による収入は、わずかに衣食を満たすに足りるだけの分量で、余分はないこと。曰く、自分の土地とした以上は、この土地によって働き、土地を遊ばせてはいけないこと。なぜなら所有を証する書類がないのだから、そこで実際に働いていなければ、それが自分の土地だという証がないからである。 |
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実際、先占権を必要と労働とにたいして認めることは、この権利をおよびうるかぎり拡張することにはならないだろうか。この権利に限界を与えないでおいてよいであろうか。共同体の土地に足を踏みこんだだけで、ただちにその土地の主人だと主張することができようか。ただある時期に他人を追い払う力があったからといって、そこへ戻って来る権利を他人から奪うことができるか。個人や人民が、許すべからざる横領によらないで、広大な地域をわがものとして全人類に一指をも触れさせないことができるだろうか。この横領によって他の人々は自然がかれらに共同に与えた住居と食料とを奪われるのではないか。ヌニェス・バルバオが海岸に上陸して、カスティーリア王の名において南の海[太平洋]と南アメリカ全体を占有したとき、それは先住民からこの土地を奪い、世界のすべての君主にしめだしをくらわすに十分だったであろうか。こんな調子で、こうしたくだらない儀式がひっきりなしに行なわれ、スペイン王はその部屋にいながらにして全世界をいっきょに占有し、後になってそれ以前に他の君主が占有していた部分をかれの帝国からきり捨てさえすればよかったのである。 |
そして、土地というものによって天が人類を養うのだから、この世に生を享けた者はみな、食と住とを土地に頼らざるをえない。天は無駄なことをしないのである。従って、もし無主の土地を見つけてこれを全部自分のものとし、ほかの人がその土地を使って生活することができないようにするなら、それは天の物を奪って人を困窮させることにほかならない。わたしが土地を独占した為に、土地を得られぬ人が苦しむなら、それはわたしが直接その人を虐げるのと大差ない。昔、スペイン人ヌニェス(紐熱斯)が航海してアメリカ南部にいたり、そこの主となって、大いに版図を広げようとした。しかし間もなく他の国王もまた兵を送ってきて侵略し、現地の人とほとんど残らず土地を分割し、スペイン領に属するところがいくらもなくなってしまった。故に曰く、「土地について先有権を行おうと思う者は、必ず三つの条件がそろってはじめてそれが可能である」と。 |
【訳解】この段の後半は、ほとんど誤訳のように見える。(ゆ) 【契約論】太平洋や南アメリカをスペイン王が奪ったことにに対するジャン・ジャックの認識は、注目すべきだと思う。(ゆ) |
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個々人の土地が、別々のもので、たがいに接続しているのが、いっしょになって、どのようにして国の領土となるか、主権がどのようにして臣民からその占拠する土地に拡張されて、対人権であると同時に対物権となるのかが、これでわかる。この事実は、土地占有者を[主権に]いっそう従属的ならしめ、かれらの財力そのものをその忠誠の保証たらしめる。この利益は、古代の君主にはよくわかっていなかったようである。かれらは自らペルシャ人の王、スキタイ人の王、マケドニア人の王ととなえるだけで、自分を国土の主人というよりはむしろ人間の首長とみなしていたらしい。いまの国王はもっと利口だから、フランスの王、スペインの王、イギリスの王などといっている。このように土地をおさえておけば、その住民をしっかりにぎることができるのだ。 |
前に論じたところから推論すると、国というのが庶人と土田とから成っていることがわかる。君権(主権)が既に庶人の身に及び、庶人の所有物にも及ぶ。身も土地も主権の及ぶ範囲となっている。まさにこの大権力のために、人々は国に対して忠貞の節を尽くして違わないのである。思うに、むかし諸国王で専断政治を行っていた者、ペルシア王のように、スキタイ王のように、マケドニア王のように、みなそれぞれペルシア国王、スキタイ国王、マケドニア国王と自称はせず、ペルシア人中の王、シリア人中の王、マケドニア人中の王と称していた。それは庶人の身を支配する利を知るのみで、その土地をも合わせて支配する利を知らなかったからではないか。近世に至ると、フランス・スペイン・イギリスの諸国は、その王が自ら国王の号を名のり、それによって土地と人民とを合わせて支配している。これはすなわち、巧みに民主国の利を盗んで、自分の私権を強固なものにしているしているというべきである。 |
【訳解】この節の後半は、兆民の訳はジャン・ジャックとだいぶ違うようだ。(ゆ) |
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この譲渡において特異なことは、共同体が個々人の財産を受け取ることで、かれらからそれをはぎ取るどころか、かれらにその合法的な占有を保証し、横領を実際の権利に変え、享有を所有権に変えるだけだということである。こうなると、占有者は公有の財産[国土]の保管者とみなされ、かれらの権利は国家の全員から尊重され、外国にたいしては国家のあらゆる手段によって保護されるから、公共にとって、またかれら自身にとっても、いっそう利益になる譲渡によって、かれらはその与えたものを、いわば、全部手に入れたことになる。この逆説は、同一の土地にたいして、主権者のもつ権利と、所有者のもつ権利とを後で述べるように区別することによって容易に説明がつく。 |
庶人がすでにみなその土地をそっくり官に納め、そうしてからこれを受ける。これによって名は借地者であるが実際にはその土地を拠有するのと同じになる。庶人はみな借地者であり、土地はみな官有である。故にもし人が我が土地を侵奪することがあったり、隣国人が襲ってきたりしたならば、官はすぐに力によってわたしを守り、土地を回復する。これによってわかるように、庶人がその土地を官に納めるのは君権を益することであり、それによって生じる利益は実に大きなものである。しかし君(=主権者)の土地におけるのと庶人の土地におけるのとでは、その権におのずから相違がある。以下にこれを詳説する。 |
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また、人々がまだ何ものをも占有しないうちにまず結合して、次に全員にとって十分なだけの土地を占領して、それを共同で使用収益するか、それとも、あるいは平等に、あるいはかれらの主権者の定めた割合に従って、分割するという場合も起こりうる。その獲得がどんなしかたで行われようとも、各個人が自分自身の土地財産にたいして持つ権利はつねに、共同体がすべての土地にたいして持つ権利に従属する。そうでなかったら、社会的紐帯には堅牢さがなく、主権の行使には現実的な力がないであろう。 |
ここで論ずるのは、もともと土地があって、それを合わせて国となったものについてである。もしまだ土地がないうちに合わさって国を成そうとすれば、まずその人々を容れるに足るだけの土地を見立てて、それからそこに拠ってこれを有すべきである。これによって人々は共にこれを有して一緒に住むか、あるいは土地を検分して均等に分けるか、あるいは広狭まちまちにするか、すべて君(=主権者)によって決める。もし人々が共に土地を有するならそれまでだが、土地を分割するならば、均等に分けると広狭差をつけるとにかかわらず、君の土地に対する権利は必ず人々が有することとなる。そうでなければ、人々の連帯心は堅固なものではなくなり、君権は空虚なものになるであろう。 |
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【解】これより前に論じたところでは、みな先に土地があって、それから契約して国を成している。第九章の冒頭で「民約が成立したとたんに、人々はみな、自身と、自身が現在もっている土地を、そっくり残らず「君」(=主権者)に納める」というのはこのためである。いま現にある土地は広狭さまざまであり、官は権利書などの書類によって人々の保有の権を明らかにしている。この章で「しかし先有の権は保有の権があって初めて有効となるものである」というのはこのためである。第八章でも「保有の権は文書によってあらわされ、発生も消滅も力によるものではない」といっている。前後を参照すれば、その意味が明白になるだろう。また、まだ土地がないのに契約して国家を形成しようとするならば、まず土地を見立てて、そこに住むべきである。このときに、あるいは人々が土地を共有するか、またあるいは均等に分けるか、広狭まちまちにするかは、みな話し合いで決める。つまり君(主権者)がこれを定めるのである。もしみなで土地を共有して分割しないのなら、この場合は土地はすべて官有ということになり、個々人が勝手にすることはできない。「もし人々が共に土地を有するならそれまでだが」というのは、このためである。もしも分けるのであれば、均等であるとないとに関わらず、みな個々人が自由にすることができる。個々人が自由にすることができ、議院の公権が個々人の私権に勝るのでなければ、君権の及ばないところができ、法令が効力をもたないところができてしまう。したがって君(主権者)の土地に対する権利は、個々人の権より上位でなければならない。よって、衆議一決して土地を買収したり収用したりする場合は、別に法令があれば個々人はこれを拒むことができない。 |
【訳解】末尾の「したがって」以下の箇所は危険! 下手をすると、単なる国家による個人の圧殺になってしまう。(ゆ) |
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わたしは、この章およびこの篇を終わるにのぞんで、あらゆる社会組織の基礎となる事実に言及したい。それは、この基本的契約は、自然的平等を破壊するどころか、かえって、自然が人間の間に設けた肉体的不平等の代わりに、道徳上および法律上の平等をうち立てるものだということ、また、体力や天分においては不平等でありうるが、人間は契約と権利とによって、ことごとく平等になるということである。 |
このように見てくると、国家の法律の目的がわかる。すなわち、不均等なものを均等にすること、これである。天与の才はもとより不均等であって、智者もあれば愚者もいる。そして自分の思うとおりに生きる天命の自由には限りがない。民約がひとたび成立すると、権力は等しくなり不可侵となる。これがつまり、前述した自由を捨てることの正道である。もし智者が愚者を欺き、強者が弱者に乱暴してはばからなければ、国家は成り立つものではない。よってここをもって本巻の締めくくりとする。 |
【契約論】第三章にいうとおり、強者の権利は言語矛盾である。不均等なものを均等にすること、すなわち天与の智力や気力、腕力などの力による、強者の横暴を許さないこと。それこそが法律の、そして国家自体の、役割であり存在意義である。だから、自由、平等、博愛なのだ。(ゆ) |
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原注:悪い政府のもとでは、このような平等は見かけ倒しであり、空想的なものだ。それは貧乏人を困窮の中に、金持ちをその横領の中に維持するだけにしか役に立たない。実際には法律はつねに「持てる者」には有益で、「持たざる者」には有害である。だから社会状態というものも、すべての人々が何ものかを持ち、その中のだれも持ちすぎていないという間だけ、人間にとって有益であるにすぎない。 |
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【契約論】この辺りのジャン・ジャックはすごい。こんなことを18世紀に言っているとは!(ゆ) |