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はじめに へ @ABCDEFGHIKLMNOPQRS㉑㉒

 

記英国工党與社会党之関係 (楊守仁)      

(英国労働党と社会党との関係について)

 

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無政府党が愛国心を排除するのは、議論を組み立てるための方便であって、それ自体が目的なのではない。

 無政府主義の最終の目的は、全ての人間を改造することにある。全世界の男女の手によって、ありとあらゆるところに、公共の利益のための団体を結集し作り上げることである。その団体組織は言うまでもなく、物理的にも思想的にも、強迫的な権力を少しも内在しない。

 

 クロポトキンは言う。

 「我々が思い描く未来世界では、星の数ほどの公益団体があるが、その団体組織は全て、彼らの自由に基づき、人間の生活に必要な物を全て作り上げて成り立たせている。

今ここにたくさんの大小様々な丸い小石があるとしよう。これを小箱に入れてふるい動かしてみる。すると小石は自然に整列し、一つの精巧な工芸美術品となる。こういった自然の作用は、いかに人の力を駆使しても、このように立派には成し遂げられるものではない。

未来世界の自由と団結とは、政府の強権に与らずともこのように自ずと本来の姿へと返るものなのだ。ゆえに我々は、各々の社会の発達を自ずと伸びるがままに任せ、全て自力に任せなければならない。

自由を重んじる団体が、自由を重んじる連帯を成し遂げるならば、外部から干渉される隙はなくなる。つまり、何ら社会から強制を受けなくなるということだ」と。

 

 また、ある無政府主義者が社会共産主義を説明したものに、こう書かれている。

 「いわゆる共産主義なるものは、人類が発見したものの中で最も価値ある戦利品である。それはすなわち、各個人の絶対な自由である。

未来の世界では、人類が本来有している、悲しみを共有し、互いをいたわり合い、思いやり、いつくしむという能力は、十分に発達し、完成されていることであろう。各個人の未熟な因習にとらわれた感情、すなわち、自分さえ良ければよいとする悪しき個人主義は、みな自ずと溶けて消え去っている。

この種の悪習や未熟な感情を消し去るのは、法律で厳に取り締まることによるのではなく、全く、自他を愛し、互いの尊厳を尊重し合う、人道主義(ヒューマニズム)によるのである。それらはこの種の公益団体には満ち溢れている。そこでは一切の法律・宗教への迷信からは解放されていることであろう。

私有財産権・公共財産権、何等かの強権を伴う最高の意志決定権が必要であるという誤謬に、二度と陥ることはない。往時(未来から見た今)の人類の罪悪の根源たる資本家・宗教・裁判・政府などのごとき悪習に二度と陥ることなく、一切の誤謬を消滅させていることであろう。

すなわち、全人類が、個人・社会を問わず、みな自由・改良の進化の内に生活するということである。

飢渇も欠乏もなく、人類の能力は全て完全に開発されている。知識・感情・意志の三つは最高度に発達している。

これらはみな、彼ら(未来の人々)が完全な自由を享受しているゆえである」と。

 

 無政府党はすでに、この絶対で完全な黄金世界を胸に抱き、究極の目的としている。その手始めとして、まずインチキの愛国心を打破し、法律を打破し、宗教を打破し、国家を打破しようとしている。この地球上に、「国境」・「強権」・「宗教」なるものを、痕跡すら残らぬよう消し去ろうとしている。

 

 クロポトキンは『青年訓』で言った。

 「我々は、世界中の青年の熱き誠意が、燃えさかり発展するのに任せよう。上流の貴族から貧しい下層民まで、青年の頭の中は皆、この改革思想で奮い立ちみなぎっている。ひとたび『専制』という名の悪魔に出会えば、上下を問わず青年は皆、ピストルを手に執り爆弾を投げつけて、必ずやこの悪魔を仕留めると誓うことだろう。まさに一触即発、仇敵を叩きつぶし引き裂くまでは、殺されようとも止まらない。

 こうした青年たちが、今現在世界を縛っている一切の法律を撃破し一掃するのに任せよう。なぜなら、およそ今ある法律という代物は、『専制』という悪魔どもの尊厳を守るために作られたものであるからだ。

今ある法律は、一人種の利益をのみ拡大し、一社会および一階級の権利をのみ拡大しようとするものにすぎない。四海兄弟・絶対自由という黄金世界の真理を敵となし、真理に目覚めた青年たちを目の敵にしている」と。

 

 およそ無政府党が法律や国家を否定するのは、真理・絶対を根拠としているからである。それゆえ、このように言うのだ。

 

 「自由とは、完全無欠でなければならない。現在我々を縛っている法律と国家とは、自由を妨げ、我々が完全無欠になろうとしているのを邪魔している。自由とは、もとより絶対的に尊重されなければならぬものである。だから今の国家・法律は、存続させる価値がない」

 無政府党の主張の原理とは、以上のようなものである。

そして、完全無欠の状態へ進歩・発展するためのただ一つの方法は、釈尊が「無所畏(恐れるものがないこと)」の破壊力を発して魔を降伏(ごうぶく)したように、各人が真理を覚り、それを明らかに保つことにほかならない。

 

 有史以来、この改革論ほど、簡明で正しく的を射ているものはあるまい。

クロポトキンの『青年訓』は、英国社会党の日曜学校で少なからぬ部数が販売された。 

 

 

★最後の1行は、編者による段落分けでは次節になっているが、内容から見て、こちらに移した。


★手許にあるクロポトキン「青年に訴ふ」(訳・大杉栄『大杉榮全集』第五巻、世界文庫、1963年)には、該当箇所は見つけられなかった。楊篤生の読んだ「青年訓」は「青年に訴う」のことではないのだろうか? もっとも、大杉はこれを最初に訳したとき、「秩序紊乱」の名の下に投獄されている(クロポトキンは、自分の著書の中でも最も穏健な文章のためにそんな目に遭って……と言ったとか)。わたしの持つ世界文庫版のは改訳だが、あるいは該当箇所はカットされているのかもしれない。

なお、「青年に訴う」は李石曽が漢訳しているが、それは「告少年」という題なので、篤生は英文で読んだと思われる。(ちなみに、大杉も英文から訳している)

 

 

 

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