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    多摩丘陵から 〜日記のようなもの       
     
    2021年3月 6日 10日 20日 22日 31日
     
     
    ●3月6日(土)
     陳星台先生、生誕146年。
     
     星台先生の描いた未来の中国は、確かに堂々たる軍事大国ではあったが、なにより自由・平等・博愛の共和国だ。
     今の中国がチベットや内モンゴル、香港などで行っていることを見たら、なんとおっしゃるか。
     
     
     
     
    ●3月10日(水)
    夫の外祖父母伯叔父4人の命日なので、上野へ。寛永寺さんにある東京大空襲の慰霊碑で、二人だけの慰霊祭。遺族有志の方々は、例年通り前日に集まられたようで、たくさんのお花が供えられていた。
     
     2時間半で10万人が殺害された。殺されたんだ。
     3.11が大事なのは分かるが、三月十日も、もっと報道してほしい。
     
     
     
     
    ●3月20日(土)
     宋教仁事件から108年。
     
     
     
     
    ●3月22日(月)
     宋遯初君、没後108年。
     遯初君も篤生先生も星台先生も生き延びてくれていたら、あの国はどんなになっていただろうか。
     
     
     
     
     
    ●3月31日(水)
     1913年、モンゴルとチベットとは、お互いの独立を承認しあった。漢族が清朝から独立したように、両国も清から独立した。
     わたしはチベットについては明るくないので、ここではモンゴルについてだけ述べる。
     モンゴルは漢族に対する満族の同盟者として、清朝下ではそれなりに尊重されていた。
     しかし近代になって清が列強の半植民地化してくると、清はモンゴルに対する態度を変える。いわゆる対蒙新政策で、モンゴルを植民地のようにするものだ。
     もちろんモンゴルは危機感を持ち、援助を求めてロシアに密使を送るなどの対策を始めていた。
     そこへ、1911年10月10日、辛亥革命勃発。
     
     それを受けてモンゴルは、清朝からの独立を宣言する。12月1日のことだ。漢族が清朝から独立したように、モンゴルも清朝から独立すると。
     そして13年には、同じように清朝下から脱したチベットと条約を結んだわけだ。
     
     なお、「外モンゴル」だの「内蒙古」だのというのは、中国から見ての「外」「内」なので、「漠北」「漠南」(ゴビの北側か南側か)という言い方をしたい。
     
     そして今、チベットのみならず漠南モンゴルでも、漢化の強制が強まっているらしい。
     「五族共和」は嘘っぱちか。
     もちろん抵抗運動も起きているそうだが、今の中共政府はおかしいから、何をするか分からない。
     
    とても気がかりだ。