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    多摩丘陵から 〜日記のようなもの       
     
    2020年12月 2日 7日 8日 30日 31日
     
    ●12月2日(水)
    あっという間に12月。
    先月は元ちゃんのライヴが2回あった。2回とも配信。初めての時は戸惑ったけれど、もう慣れたわ。
    もどかしいけれど、楽なところもある。アーカイブで後から見られるしね。
     
    でも、本当は行きたい。先日のは少数だが客も入れたようだけれど、歓声は禁止で拍手だけ。そんなのじゃなくて、声かけたり笑ったり、一緒に口ずさんだりしたいよね。
     
     
     
     
    ●12月7日(月)
    『東京朝日新聞』明治三十八年(1905年)十二月七日
     
    「清国人同盟休校   
    東京市内各学校に在学する清国留学生八千六百余名の同盟休校は大学教授連盟辞職に次ぐ教育界刻下の大問題なり右は去月二日発布の文部省令清国留学生に対する規程に不満の念を懐きたるものにして該省令は広狭何れにも解釈し得るより清国学生は該省令を余り狭義に解釈したる結果の不満と清国人の特有性なる放縦卑劣の意志より出で団結も亦頗る薄弱のものなる由なるが清国公使は事態甚容易ならずとし兎に角留学生一同の請ひを容れて之を我文部省に交渉するに至りしが有力なる某子爵は両者の中間に於て大に斡旋中にして右の結果両三日中には本問題も無事落着すべしといふ」
    (文中の強調は、ゆり子による)
     
     
     
     
    ●12月8日(火)
     陳星台先生、没後115年。
     12月8日というと、まず真珠湾、そしてジョン・レノンというのが、普通のところか。
     おかげでTVでリヴァプールの街並みなど見せられて、リヴァプールなら星台先生じゃなくて篤生なのだが〜と、無理なことを思ってしまう。
     
     大森の海は、どんなに冷たかっただろう。遠浅の海を踏んでいく先生を、引き留めることは誰にもできなかったのだろうな。
     
     
     
     
    ●12月30日(水)
     27日にカスタのライブがあった。いつものQueで、少人数だが客も入れて。
     でも、わたしは配信。恐ろしいことに、配信に慣れてしまうと、こちらのほうが楽だ〜などと思えてしまう。ライブの味を忘れてしまいそう。
     いや、いや、いや。配信でも楽しくはあるけれど、やっぱり本当のライブとは違うよね。たとえ歓声禁止で拍手だけでも、会場に行けた人たちは、わたしとは全然違うものを味わえたのだと思うと、羨ましいよ。
     
     いつになったら、普通にライブに行けるのだろう。この奇妙な日々が終わるのだろう。 
     
     
     
     
    ●12月31日(木)
     劉道一君、没後114年。
     胆力のある、なかなかな人物だったんだよね。生き延びてくれれば、革命後も活躍しただろうに。
     でも、こういう人は、どのみち長生きできないのかもしれない。