日記表紙へ
     
    多摩丘陵から 〜日記のようなもの       
     
    2019年3月 2日 6日 9日 10日 13日 14日 20日 22日
     
    ●3月2日(土)
     なんてこった。ばたばたしていたら、2月が終わってしまった。元々勤めが繁忙期で、訳分からなくなる時期だけれど、今年は勤め以外にも何やかやあって、あっという間に時が進んで行く。恐い。
     
     カスタの5月のワンマン、チケット購入。元ちゃんの病後は初めて。多摩に越してからは、対バンのあるときは帰りが遅くなって厳しいので避け勝ちだが、ワンマンなら何とかなる。
     今、話題の舌癌だが、元ちゃんはステージ2だったから、大丈夫。早期発見が第一。早く病院を変えてくれて、本当に良かった。
    変だと思ったら臆せずセカンドオピニオンを! そう心掛けよう。
     
     
     
     
    ●3月6日(水)
     陳星台先生生誕144年。
     
     お昼の西神田公園は、人もまばら。ベンチでごはんを食べる人が数人いる程度。
     わたしは隅っこに突っ立って、「大地沈淪幾百秋……」と、もごもごと。
     
     144年前、この稀有な魂が生まれたことは、中国のためだけでなく人類にとって、喜ばしいことなのだけれど、彼自身にとっては、どうだったのだろう。
     父・宝卿公との思い出にしても、宮崎寅蔵の述懐からしても、しっとりした慕わしい人格が思われる。
     
     
     
     
    ●3月9日(土)
     例年この時期になると、新聞・TVで3・11関連の報道がたくさんなされる。それは当然のことで、もちろんやるべきことだ。
     一方、三月十日に関しては、新聞の地方面では何日か前から数回とりあげられているだけだ。それでも、取り上げられるだけ、ありがたいと思う。
     
     
     
     
    ●3月10日(日)
     三月十日。東京大空襲から74年。
     姑の家族四人のため、上野・寛永寺さんの慰霊碑へお参りに行く。海老名香葉子さんたちの集まりは前日にあったとかで、碑はたくさんの供花に囲まれていた。霊園の方に教わったとおり、くたびれたお花をわたしたちのお花にかえる。お線香を立て、松坂屋でもとめたお供物を。
     夫の読経の間、涙がどうにも止まらなかった。姑の、父と母と兄と弟と、その四人だけでなく、十万人の思いが集まってくるようで。
     終わってから、お下がりをいただく。放置するとカラスや猫に荒らされるからと、霊園の方に教わったから。
     今年は松坂屋に深川のお店が出ていたので、あさりのおむすびもいただいた。一家は深川に住んでいたから、あさりのごはんは、よく上がっただろう。貝が苦手な夫も、静かにいただいていた。
     その後、寛永寺さんにお参りしてから、清水観音様近くの「時忘れじの塔」へ。こちらは母子像。幼子を抱いたお母さんの前に女の子が立っている。姑の兄は七歳、弟は乳飲み子だったと聞くから、重なって見えて辛かった。
     
     
     
     
    ●3月13日(水)
     大阪大空襲。
     
     
     
     
    ●3月14日(木)
    昼に湯島聖堂へ。何年ぶりだろう。目当てはアンズ。咲いていました。まだ、二分か三分といったところだけれど。
     もちろん、お参りもした。ここには江戸の儒者たちの思いが詰まっている。もっとも、彼らの朱子学は、わたしの知る原始儒教とは、だいぶ違うものだろうけれど。
     
     
     
     
    ●3月20日(水)
     宋教仁事件から106年。今夜、撃たれる。撃たれてしまう。
     
     
     
     
    ●3月22日(金)
     宋漁父先生、没後106年。行年三十二。かわいそうに。