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    多摩丘陵から 〜日記のようなもの       
     
    2018年11月 2日 8日 25日
     
    ●11月2日(金)
     「ホットな」時事ネタは、あまりやりたくないのだけれど。
     相模原の米軍の補給廠にミサイル司令部ができたって、それ何?
     なんで補給廠に?
     あそこは駅の真ん前の広大な土地で、その北に住む人は、ぐるーーーっとまわって行かねばならず、大変な不便を強いられている。補給廠だから兵站を担う後方のもので、安全そうだけれど、それでも何年か前に火事を出さなかったっけ?
     それが司令部となれば、物騒さは増す。
     根拠は忘れたけれど、わたしはここが近々返還されると思い込んでいた。で、返還されたらどうなるか、勝手に思い描いたりしていた。真っ直ぐ北に突っ切れるだけでも格段に便利になるが、駅の真ん真ん前だから、商業施設や、マンションや、戸建ての団地など、いろいろできて栄えるだろうな〜なんて思っていたのに、まさかの正反対!
     
     いまだにこの国は占領下なのか。地位協定だって、同じ敗戦国のドイツやイタリアとは、ずいぶん違うそうだし。なんでそんなに卑屈なのか。
     
     右翼の愛国者のみなさんは、こういうところ、どう考えているのだろう。
     
     
     
     
    ●11月8日(木)
     月暦十月朔。
     ということで、楊篤生のお誕生月。この驚異的な魂が生まれたことを、ことほぎたい。
     
     「英国工党小史」をずっと読んできたが、気がつくともうすぐ終わり。
     ただでさえ中国語が分からないところに、英国史についての知識が全く無いために、難儀してきた。
     で、泥縄式に英国史関連の本を集中して読んでいる。頭が悪いから、同じような本を何冊も読んで、少しずつ埋めていく。細い線も何本も何本も引けば面になるさ、と。
     やっと、なんとなくだけれど、像を結んできた。副産物として、USAのそもそもの成り立ちまで。
     
     だけどやっぱり不思議。先生、なんで工党なんかに興味を持ったの? 民衆運動だと思ったからなのだろうけど、それにしてもなあ。
      
     ☀日が短くなった。暮れてきたと思うと、あっという間に真っ暗になる。先週、ジョウビタキを見た。そう言えば、ツバメやコウモリを見ないかも。
     アメンボはまだいるけどね。
     
     
     
     
    ●11月25日(日)
     久しぶりに相模原に行って驚いた。北側から駅に向かう道ができていた。部分的に返還され、去年、開通したらしい。道の両側はアメリカのままだが、格段に便利になった。
     聞きいた気がしていた「返還」というのは、これのことだったのか。
     どうせなら、全部返してほしい。これだけの大きな土地が、占領されたままだなんて。