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    多摩丘陵から 〜日記のようなもの       
     
    2017年9月 12日 18日
     
    ●9月12日(火)
     今日、彼岸花が咲いているのに気づいた。いつから咲いているんだろう。あっちこっちで咲いているから、気がつかなかっただけかもしれない。
     そう言えば、来週はもうお彼岸。日もめっきり短くなった。予報によれば、暑さも明日くらいまでとか。
     
     暑くて昼食後の散歩ができない間、図書館で楊篤生の「英国工党小史」を読んでいた。
     この人は、不思議な人だ。
     先に七転八倒して訳した「英国工党與と社会党との関係」なら、まだ分かる。当時はアナキズムがヨーロッパ中を席巻していたから、彼が興味を持つのは不思議なことではない。
     けれども「英国工党小史」はなんだ? 「社会党との関係」を読んで工党に興味を抱いたというのならともかく、書かれたのは「小史」のほうが先なのだ。つまり、「工党=労働党」への興味の方が先だったということ。
     なんでまた、そんなものに興味を持ったのか? 
     
     彼のおうちは地主だろう。大地主ではないが、まあ、それなりに余裕のある家だったと思う。
     楊昌済先生が日記で、長沙の高橋の茶摘み女の淫風を嘆いているそうだが、それが篤生の家だったのではないかと、勝手に思っている。繁忙期には、そういう人たちを傭うことがあったのだろうと。
     それでも、それは英国の労働世界とは全く違うだろう。
     彼が何を見て、何に興味をもって、何を考え、どんな思想を紡いでいたのか。
     それを全部知りたい。わたしなんかには到底できっこないことだけれど、少しでも近づきたい。
     
     
     
     
     
    ●9月18日(月)
     一昨日9・16は大杉と野枝と宗坊の日(震災後のどさくさって言うけど、半月経っていて、そんなのありか?)、今日9・18は柳条湖と、毎年書いているので、今年は別のことを。
     
     今日は蘆花さんの命日なんだな。一度も行ったことはないけれど、毎年墓前祭が行われていると聞く。
     千歳村に住むまでは、不如帰しか読んでいなかったし、特に印象も興味もなかった。単なる歴史上の人物の一人だった。
     たまたま結婚によって千歳村の住人になってから、近所のよしみで読むようになったのだ。水俣出身ということで、石牟礼道子さん経由の興味もあった。
     結果、「みみずのたはこと」とか「自然と人生」とか「謀叛論」など、わたしと同じ側の人間、すぐれた先達だなと思うようになった。愛子夫人との関係とかも。いたわりと諍いの日々って、まさにわたしたち夫婦のようだ。
     震災のときに千歳村でも烏山で朝鮮人が殺されたと、怒りをもって記していた蘆花さん。
     千歳村に住んだ19年間、「蘆花さんち」には毎週のように訪れて、心身を養わせてもらった。感謝しています。