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    多摩丘陵から 〜日記のようなもの       
     
    2015年6月 1日 15日 28日 29日
     
    ●6月1日(月)
     地震、恐い。火山も恐い。この列島を載せる龍神様、どうかおとなしくしていてください。
     
     
     
     
    ●6月15日(月)
    今日はよく晴れて暑かった。これが五月晴れかと思ったけれど、今日はまだ月暦四月二十九日。明日が五月朔日だ。
     
    むかしむかし。大学に入った年の6月15日。一般教養の社会思想史の授業に行くと、階段教室の全ての机にビラが置いてあった。手書きの独特の書体でガリ版刷り。委細は憶えていないが、樺美智子さん関係のものだった。
    先生は高名な哲学者で、講義のテーマは「初期マルクスの人間観」だったと思うが、高校出たてのピヨピヨちゃんには、何のことやらチンプンカンプンで、毎回ただぼけっと座っているだけだった。
    この日、教室に入ってきた先生は、教卓の上にもあったビラを見て、通常の講義を休みにして、この大学での「あの頃」について話してくださった。と言っても、もちろんわたしたちの生まれる以前のことであり、何のことやらよく分からなかった。
     
    2年生のときだったか、学費値上げ反対闘争で、バリストがあった。学生は構内に入れるけれど先生方が入れないので授業ができず、木枯らしの吹くなか、友だちとうろうろしていた記憶がある。好きだった日本地誌のレポートをどうやって提出しようか、そんなことを心配していた。同じクラスの女の子で、わたしよりももっとノンポリの趣味人が、「でもやっぱり、大学のやり方はおかしいよ」と言い出して、驚いた記憶がある。
    学費値上げといっても新入生からのことで、在校生には関係ないし、貧乏大学だから校舎が老朽化してエレベーターが止まったりしてるのでやむを得ないのだ、などという話も聞きかじってはいたが、今一つ釈然としない、もやもやしたものは感じていた。
    いくら私立だからといって、経済的理由で大学教育を受ける機会を奪ってよいものだろうか。「貧乏人は国公立へ行け」とでも言うのか。国公立の方が、はるかに難しいというのに。
     
    今ではあの大学は、見違えるほどだ。ボロ校舎は建て替えが進んで、巨大ビルが幾つも建っている。セクト系は一掃されて、むかし見た「立て看」はどこにも見当たらない。オシャレなカフェができたりして、別の大学のようだ。
    あの騒ぎは何だったのだろう。どこが貧乏大学だって? まるで「白い巨塔」じゃないか。あんな建物を建てるお金があるくらいなら、もう少し学費にでも還元したらどうなのだろう。今の経済状況は、わたしたちの頃よりも厳しくなっている気がするのに。
     
    1983年の今日、先生に「あの頃」の話をしていただいても、当時のわたしには全くピンとは来なかった。よく覚えてはいないのだけれど、大学の事だけじゃなくて、国会を囲むデモのことを話してくれたような気がする。
     
    けれどもそれは、全く異世界の「不思議な話」としか思えなかった。「あの頃」と80年代半ばの「今」とがどうつながっているのか。自分を取り巻く「現代史」の流れを、当時はまだ感知することもできなかった。
     
    今は違う。今はもう、わたしたちの生きるこの「今」を、悪意のある何者かが、私利私欲を満たすために、1930年代へとタイムワープさせてしまおうとしているのが、よく分かる。
     
    本当は、同級生の誰かのように、国会前へ行って私も座り込みたいのだけれど、人にはそれぞれの事情もあって、今のわたしには、まだできない。
     
    だからわたしなりのやり方として、この一文をあげてみることとしよう。
    信じている。今度はあんなに簡単に負けたりはしない。戦争でこの国に殺された人々の恨みは、そう簡単に消えたりはしないんだ。
     
    ニセの愛国心は、民を損ない国を滅ぼす。そうですよね、楊先生。
     
     
     
     
    ●6月28日(日)
     「英国工党」の第16節を上げた。大変だった。短いけれど、めっぽう難しくて。多少冒険的に言葉を補ってみたりもした。そうしないと、わたし自身が理解不能だから。
     それにしても、彼が皮肉っぽく言っている政治屋たち(「無頼政客」)とは、具体的に誰々だったのだろう。
     明治憲法ができたとき、人々が訳も分からずありがたがってお祭り騒ぎをする中、一読してただ苦笑するのみだったという、兆民先生を思い出す。
     
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     ふと気付いたのだけれど、ここのところホトトギスを聞いていない。明け方、目が醒める頃、よく聞こえてきたものだった。
     「テッペンカケタ!」「テッペンカケタ!」
    しかしすぐに自信を失って
    「テッペンカケタカ?」「テッペンカケタカ?」
    口ごもりながら
    「カケタノダロウカ? カケタノカ?」
    成道を高らかに宣言したはずが、全ての業を滅し終えたかどうか、急に疑問に思えてきたのだろう。
    しばらくして、また高らかに宣言する。
    「テッペンカケタ!」「テッペンカケタ!」
    ホトトギスの逡巡は、果てしもなく続く。謙虚な懐疑主義者なのか、それとも優柔不断なのか。
    すると突然その隣で、深い叫び声が湧き起こる。
    「ホーホケキョ!」
    法華経信者に、迷いはない。
     
    しかしわたしは、ためらいながら手探りで進もうとする、ホトトギスの方に好感を覚える。
    もう何日も聞いていないが、もう行ってしまったのだろうか。
    また来年も来てほしいな。
     
     
     
     
    ●6月29日(月)
     今日は明神様へお参りに。先週ずっと、いつ行こうかと考えていたのに、週末にごたごたしていたので、すっかり忘れていた。危なかった。
     茅の輪をくぐらせていただけたので、これで夏は越せるだろう。
     
     その足で不忍池へ。蓮の葉は元気に繁っていて、つぼみもちらほら見える。既に開きかけている気の早い花も。
     盛りの時期を見逃さぬよう、まめに足を運ばねば。