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    多摩丘陵から 〜日記のようなもの       
     
    2014年11月 1日 5日 10日 12日
     
    ●11月1日(土)
     楊篤生生誕142年。同治壬申十月一日は西暦1872年11月1日に、同十月三十日は11月30日に当たる。
     ということで、お誕生月おめでとうございます。……誕生日が分からないのが痛い。族譜でも出てこないかしら。
     
     
     
     
    ●11月5日(水)
     今年は秩父事件130周年なのだけれど、何か催しなどはないのだろうか。と思ってちょこっと調べたら、大丈夫、ちゃんとやっているようだ。行きたいな。行けないだろうな。
     椋神社に集まったのが11月1日。札所23番の音楽寺の鐘を打ち鳴らして、大宮郷(現・秩父市街)に突入したのが2日朝。
     大宮郷に構えた本陣は4日には解体されたけれど、戦いはなおも続き、峠を越えて信州に転戦、野辺山で壊滅するのは9日のこと。
     
    それにしても、なんでこんなに秩父事件に惹かれるのか。
     
     今朝、TVの情報番組で風布のみかん山を紹介していた。風布組は殊に勇猛だったことで知られる。なるほど、山なんだなあ。これでは米は穫れまい。
     わたしの父の実家は平野部だが、やはり陸稲しかできず、養蚕に頼っていた。近くに住む親戚の家では米ができるそうで、「ちょっとの違いなのにねえ」と伯母だったかがこぼしていたのを覚えている。
    今でこそ、東京に近い地の利を活かして、蔬菜だの街路樹用の植木だのでそこそこ羽振りはよさそうだが、父の子どものころは人間より蚕のほうが偉い感じだったとか。
     
     わたしの祖母は1890年生まれだから、事件はその6年前。曾祖母の生年は知らないが、仮に二十歳で祖母を産んだとすると、事件のときは14歳。同じ埼玉県で、そう遠くもない。「暴徒」の噂は聞いていただろう。
     どんなふうに聞いていたのか、知りたい。
     
     
     
     
    ●11月10日(月)
    昼、不忍池へ。
    数は少ないが、オナガガモのほかにキンクロ、ホシハジロ、ハシビロがいた。
     
     
     
     
    ●11月12日(土)
     陰暦十月朔日。楊篤生は陰暦十月生まれだ。
     
     ジョウビタキのお嬢さんを見た。本当はおばさんかもしれないが、ともかく殿方とは違い地味な姿。
     そのうちまた、ムクドリの群れにツグミが交じるようになるだろう。
     冬だ。
     朝、新聞をとりに行くために玄関の戸を開けると、目の前にカペラがドーンといる。そして、にぎやかな冬の皆さん。おうしにふたごにオリオンに。
     星で季節を感じることを知ったのは、高校に入って初めての夏合宿のときだ。半死半生で迎えた夜明け前、部長が「冬の星座、オリオンが上ってきたぞ」と言ったのだ。
     ひょんなはずみで天文部員になってしまったわたしは全く無知で、入部時には空を見て分かる星座はオリオンだけだった。夏合宿の時点では、まだまだ何も分かっていなかったと思う。みんなで遊ぶのが楽しいだけで、星を見ること自体のおもしろさは、知らなかったのではないか。
     部長のこのことばで、星というのが季節と密接にかかわるものであり、星で季節を知ることも、季節を先取りできることも分かった。
     
    そしてなによりうれしいのは、人事に何があろうと、季節になれば星は必ず現れてくれることだ。
    鳥も同じ。冬になればカモをはじめとする皆さんが。春にはツバメが来てくれる。
     
    でも本当は、鳥は人事に作用されるか。ツバメがいなくなったら、さびしいだろうな。
     光害や大気汚染で星も見えなくなるし。