日記表紙へ
     
     
    多摩丘陵から 〜日記のようなもの       
     
    2014年7月 5日 21日
     
    ●7月5日(土)
     先月末に急にネットにつながらなくなった。いろいろともがいてみたが、どうにもならない。仕方がないので業者に依頼し、やっと復旧した。作業時間は短かったけれど、やはり自力ではかなわないような故障だったそうだ。
     ということで、数日間、ネット無しの生活だった。ちょっと前までネットなんてなかったのだし、ケータイもスマホも持たない原始人だから、そのくらい何でもないだろうと思っていた。新聞だってTVだってあるのだから。
     けれども、そうでもなかった。ちょっとしたことで、ネットで調べれば、と思ってしまう。傘を持つかどうか、アメッシュを見て決めようか、とか。
     
     
     
     
     
    ●7月21日(月)
     昨日、急に思い立って、千歳村へ行ってみた。まる5年ぶりだ。
     
     行ってみようと言って家を出たものの、なんとなく恐くて、電車を降りるぎりぎりまで迷っていた。乗り過ごして、どこか知らない所へ行ってみようかと。それでも発車間際に立って、なんとか下車。
     不思議な「旅」だった。
     
     ちょっと久しぶりに歩く道で、見慣れぬ店を見つけ、新しい店だとは分かるのだが、元あった店が何だったか思い出せない……ということがよくあるが、それが山ほどまとまって起きた感じだ。
     
     駅舎からして、少し変わっていた。駅前商店街は、元気な商店街として全国的に有名で、メディアに取り上げられることも少なくないのだが、実際はわたしの住んだ19年間で少しずつ寂しくなっていた。表面的には人も多く元気なのだが、古くからある個人商店が一つ、また一つと閉店し、どこにでもあるチェーン店のドラッグストアやなんかに変わっていっていた。その感じは続いているようだった。
     変わらないお店と見たことのない店と、見慣れたものと未知のものとが混在していて、頭がぐるぐるした。そしてその、見慣れぬものの場所に何があったのか、なかなか思い出せない。
     
     大好きでよく通った喫茶店は、健在だった。ほっとした思いで、遅いお昼をいただいた。おいしかった。14時という、ランチには遅く、お三時には早い、半端な時間なのに店内はほぼ一杯だ。今どき個人営業の喫茶店など絶滅危惧種だろうけれど、ここは大丈夫そうだと安心した。
     
     線路沿いにあったはずの信金が、商店街の真ん中に移転していた。驚いたが、そんな大きな場所に前に何があったか、どうしても思い出せない。気持ち悪さを抱えたままいたのだけれど、夜になって寝る前に不意に思い出して叫んでしまった。書店だった。大きな書店で、ずいぶん世話になったところだ。分かってみると、泣けるくらいの衝撃だ。あんな大きな、町の中心的な書店が潰れたのもショックなら、それが思い出せなかったのもショックだ。他の2軒の書店の健在は確認しておきながら、一番の書店を思い出さないとは、尋常では考えられない。たぶん、その場では分かりたくなくて、思い出せなかったのだろう。絶対、大声を出していたから。
     ほかにも、大好きな店で消えていたものはあったが、老夫婦の営む小さなお茶屋さんは2軒とも健在で、心配していただけにうれしかった。コロッケのおいしいお肉屋さんも、日曜で休みではあったが健在だった。
     
     不思議な思いできょろきょろしながら歩き、商店街から住宅街へと角を折れたとき、奇妙な錯覚を覚えた。「おうちに帰る」と思ったのだ。夫も同時に同じことを思ったそうだ。
     けれども、もちろん「おうち」はない。じゃがいも畑の路地でわたしに道を譲らせた、大きな茶トラ猫もいるわけがない。
     住んでいた集合住宅を見上げると、玄関のドアが変わっていた。修繕が入ったのだろう。全戸そろって変わっている。もう、あのドアには別の人が住んでいる。
     
     そして、公園へ。蚊の季節を除いてほぼ毎週通った、大好きな公園へ。
     この公園も不思議だった。なぜか小さく感じた。もう、わたしたちの公園ではないと思った。
     引っ越す何年か前から、世界は変わり始めていた。町全体が再開発の波に覆われて、古い団地の建て替えとか、駅前に広場ができたりとか、交通量の多い狭い道に歩道ができたりとか、普通に考えれば「よい」方向に変わっているのだろうし、歩道のできたのなどは実際たすかったが、わたしの知っている千歳村とはどんどん変わっていっていた。
     公園も例外ではなく、隣接する民家を飲み込んで拡張し、なんだか違うものになってきていた。
     それに逐われるような気がして逃げた……わけではないと言いたいが、そうも言い切れないかもしれない。自分の町ではないという気が募っていたのは事実だから。
     
     それでも公園は公園だった。5年間で大して変わってはいないようだ。でも、小さく感じた。気持ちが離れているということか。
     大好きだったイチョウの樹に触れてみたが、以前のようには抱きつけなかった。軽いあいさつだけ。
     
     駅へ向けて歩き出すと、いきなり豪雨。空模様が不穏だったので、傘は既に手に持っていたから濡れずにすんだが、冗談じゃない降り方だった。
     けれども5分ほどであっさり上がる。
     いたずらされている気がした。
     
     不思議な旅だった。
     これで全て終わった気がする。たぶんもう、千歳村へ行くことはないだろう。