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    多摩丘陵から 〜日記のようなもの       
     
    2012年6月 6日 9日 17日 18日 23日 30日
     
     
    ●6月6日(水)
    金環蝕は雲フィルターでやっとこ。
    部分月蝕はべた曇りで、蝕が終わってから薄雲越しのおぼろ月。
    そして今日のヴィーナスちゃんのいたずらは、雨。昼前までには上がったが、お日さんにはお目にかかれず。
    そんなもんさ。
     
     
     
     
    ●6月9日(土)
     下らない語呂合わせだけれど、6月9日はロックの日!
     
     
     Ladies and Gentlemen! Good−morning!
     
    “俺(宮本)は、音楽が武器たりえることをはじめて確信した!!”
    シングル ガストロンジャー売り上げ五万枚。(これが多いか少ないのか、正直俺にはわからない。)俺はしかし、枚数云々よりも
    人々のロックミュージックに対する強い期待と渇望、そして激しい
    想いをこのシングルによって知ることになった。やや演歌じみるが、
    俺にはこういう声が聞こえてきたのだよ。“宮本、待ってたぞ。”
    “宮本、ドーンと行けや。”と。どうやらロックの原初エネルギー
    である野性と破綻こそが、我々を救い前進させてく
    れる武器であることを、ある人々はとっくの昔から
    知っていたらしい。
    “俺は音楽が武器たりえることをはじめて確信した!”
    俺たちは良くも悪くも常に音楽界の常識を覆してきた。
     
    Ladies and Gentlemen! まあ聴いてくれ、
    俺たちの新作“Good morning”。やや間の抜けたタイトルの
    全12曲。しかし、これが最良最高の形で
    音楽界の常識を逸脱していることを感じとっていただけよう。
    俺はこう自賛して
     俺はこう自賛してこの文章を締めるだろう。
     孤高にして普遍的。
     過激にして包容力有り。
     最新にして懐かしい。
    そして、最強のロック スピリッツ。
    それが、エレファントカシマシ。すなわち俺だ。
        都内の某茶店にて、 宮本浩次.
     
    『good morning』(2000/4/26発売)の宣伝文。原文は手書き。
     
     
     
     
    ●6月17日(日)
     トラちゃんにずっと会っていない。近所の公園のボス猫で、大きくてきれいな茶トラだ。
     
     たぶん、もう一カ月くらいに前なる。公園に新しい立て札が2本立っていた。入り口にあるのを読まずに横目で見て通り過ぎ、2本目がトラちゃんがいつもいる茂みの前にあるのを見て、「猫の餌やり禁止」かと思った。
    この公園は、入り口近くの植え込みにキジトラが、そしてこの茂みにトラちゃんがいることが多い。彼らに奉仕する猫おばさんは複数いて、猫たちは栄養が足りているらしく、トラちゃんジュニアと思しき仔猫も何匹か見たことがある。
     猫たちはいつも公園にいるわけではない。かなり広い範囲を巡回しているようで、通りを渡ってアパートの庭に入っていくのを見たこともある。迷惑に思って市に通報する人もいるだろう。千歳村の公園猫にはボランティアの人たちが不妊・去勢手術をした印のピアスをした子もいたが、この辺ではそういう運動はないようだ。かわいい、かわいいだけで無責任に餌やりして、仔猫をぽこぽこ増やすのはいかがなものかと、わたしも思わないではない。
     と思って、掲示を見たら、書いてあったのは違うことだった。
     
    動物をいじめたり傷つけたりすることは、法律で禁止されています、と。市が委託している管理会社名で、丁寧に条文の抜萃まで添えてあった。
     
    いじめる人がいるのか? この公園は春から秋までアメリカザリガニ釣りの子どもたちで賑わい、ザリガニの惨殺体(ちぎられた頭部だけとか)なら見かけるが、掲げられた条文の対象動物には、羊や馬(!)はあるがザリガニはない。ザリガニならいじめてもいいという、裏返しの許可か? などと歪んだことを思ってしまった。
    トラちゃんはいつもどおり、茂みの前の陽だまりで、丸くなって眠っていたから。
     
    けれどもその数日後、帰宅した夫が「さっき茶トラに会った」と言う。「びっこひいてた。こっち見て怯えた顔して逃げようとするから、『いいのよ、逃げなくて』と優しく言ったら、分かったらしくて留まったけど」と。
     
    トラちゃんは態度が大きく悠然としていて、わたしなどが声をかけても一瞥されるだけだったが、半野生動物らしい敏感さ・敏捷さをもっていて、夫がふざけて追う素振りをすると、脱兎の如く逃げ去る。相棒(伴侶?)のオレンジ黒まだら猫は鈍くて、トラちゃんが逃げてから、「何かあったの?」という顔してのろのろついていく感じだった。
    あのトラちゃんを傷つけるには、出来心のちょっかいなどではなく、そのつもりで棒など用意しなければできまい。
    誰がそんなことを。
    考えられるのは、トラちゃんの茂みからフェンス一つ隔てた駐車場だ。これは変な駐車場で、はじめは普通の月極駐車場か何かだと思っていたのだが、よく見ると看板がないし、停まっているのは特定のメーカーの外車ばかりだし、停め方も奥の車が出られなくなるような停め方をしている。ちょっと普通じゃないスーツ姿の男たちが、立ち話をしているのを見たこともある。
    トラちゃんはその駐車場で寝ていることがあった。車の上に乗って、丸くなって。まだら猫と二人で、屋根の上とボンネットの上とに乗っていることも。鮮やかな空色の車の屋根に、黄色いまん丸のトラちゃんが寝ている図は、よく映えて似合っていたのだけれど、持ち主からしたら、たまったものではあるまい。
     
    それきりトラちゃんに会えない。トラちゃんの特等席にまだら猫が一人でいるのは見るが、トラちゃんはいない。
    背中を打たれたのではないかと夫は言う。たぶんもう生きていないよ、と。
    そうかもしれない。でも、そう思いたくない。前にも数ヵ月姿を消していたことがあった。またいつか、ひょっこり戻ってくるかもしれない。あるいは、猫おばさんが保護したかも。
    飼い猫は20年近く生きることもあるそうだが、野良ちゃんの平均寿命は2年と聞く。
    わたしは別に猫好きではなく、子どものころ家に金魚や鳥がいたため、猫はむしろ敵だった。この歳まで猫に触ったのは1回か2回しかない。かわいいと思うこともないではないが、気味悪さも感じている。韓国のお年寄りには、魔性のものとして嫌う方が少なくないらしいが、その感覚は分かる。
     
    でも、野良ちゃんは切ない。
     
     
     
     
    ●6月18日(月)
     地方面の小さな記事だった。
     朝日新聞2012年6月14日朝刊「多摩」
    
     
     今さら? 例えば5歳だった人が70歳を越えている今頃になって?
     民間人には今まで何もなかったからなのだろうけど。
     ……例えば両親と兄弟と孤児加算とで500万円。それが破壊された人生の値か。
     
     
     
     
    ●6月23日(土)
     先日、夫が「茶トラに会った」と。
     「でも、あれは茶トラじゃない。ジュニアだ。一回り小さいし、白い部分があった。仔猫じゃないから、去年あたり生まれてどっかに行っていたのが、欠員ができたんで戻って来たんだろう。世代交代だよ」
     
     その子にやっと会えた。トラちゃんによく似ているが、両手に白い靴下を履いて、胸も白い。トラちゃんは全部黄色いきれいなトラだったから、やはり別猫だろう。たぶん夫の言うとおり、トラちゃんの子なのだろう。
     
     これからは、この子をトラちゃんと呼ぶことになるのだろうか。
     
     
     
     
    ●6月30日(土)
    27日のZepp、行かなかった。チケット2枚、無駄にした。
     不測の事態が幾つか重なって生じたからなのだけれど、「万難を排して行く!!」という気が全くなかったのも事実だ。
    行かなくてよかったと、いま思っている。