日記表紙へ
     
     
    多摩丘陵から 〜日記のようなもの       
     
    2011年11月 3日 8日 19日 23日
     
    ●11月3日(木)
     ここのところ、朝、新聞をとりに外に出ると、目の前にすばるがいる。その先にはにぎやかな冬の星たち。
     昼間は暑いくらいなので気づかなかったが、わたしの好きな季節になってきた。
     
     一昨日、久しぶりに江戸城のお濠端を歩いたら、ユリカモメが来ていた。これはいけないと、昨日は不忍池に行ってみた。
    湯島の天神様は菊まつりが始まったばかりで、菊はまだ咲きそろっていなかった。お詣りをすませ、修学旅行らしい子どもたちを避けて女坂から池へ下りる。
     
    来ていました。ユリカモメだけかと思ったら、少数ながらオナガガモ、キンクロハジロ、ホシハジロ。バンが2羽だけいたけれど、この人たちは渡らないだろう。
     
    うちの近所の公園の池には、カルガモしかいない。わたしが「なんだ、カルガモか」と言うと、夫は「なぜカルガモをばかにするのか」と難ずるけれど、だってカルガモは留鳥だ。せっかくカモなのに、なぜ渡らない。毎年今ごろ「ああ、よく来たね〜」と迎え、春にはいつの間にかいなくなって寂しくなる。それがカモというものだ。年がら年中ガーガーいわれても、ありがたみも何もない。
    カルガモさんからみれば、不当な非難以外のなんでもないけれど。
     
    そういうのが好きなんだ。
    例えば夏の朝、徹夜明けで半死半生ながら妙にハイになっているとき、東の空に上ってくるオリオン! 真夏に冬の代表者を拝むこの先取り感!!
    それもよいが、でもやはり、冬には冬に、春には春に、それぞれの星に挨拶して、「またちゃんと現れてくれたね」と、「約束どおりに来てくれたね」と、何だか分からないけど感謝する。その感じが好きなんだ。
     
     
     
     
    ●11月8日(火)
    2011/11/6 下北沢CLUB QUE
    裸眼(+ハックルより2名)
     
    ニア
    新曲?
    それから
    変わりゆく今よ
    新曲?
    裸眼
     
    計6曲?
     
    4年ぶりの元ちゃん。場所はいつものQUEだが、珍しく12:30開演なので、行く気になった。当日券で行くつもりが、ローソンをのぞいたら残り僅かになっていたので、焦って前売り購入。当日でも入れるだろうけれど、そうするとぎりぎりまで迷ったあげく、行かないことになりそうなので、退路を断った。
    女の子バンドのレコ発ライブの対バンということで、先に演るだろうから、終わったら帰ろうかと迷っていた。
    10分前に入ると、椅子があり、しかもがらがら。さすがに1、2列目は埋まっているので、3列目の真ん中に座る。後ろのほうには立っている人たちもいた。
    ステージにキーボードがある。メインのバンドはボーカルがピアノ。ということは、まさか裸眼が後?
    ということはもちろんなく、実は3バンドだった。チケットをよく見なかったわたしが悪い。
     
     裸眼は3人編成。元ちゃんアコギ、あとはエレキギターと、何というのか民族楽器らしい太鼓。
     元ちゃんは全然かわっていない。MCのときと演奏中とで生き物が違うのも、演奏中のあの狂気じみた眼の光も。
     もったいないと、つくづく思った。なぜこの人が陽の当たらないところにいるのか。
     
     ケンイチロウ君が来ていたとかで、ブログに「相変わらず、言葉は強く飛んでいたな、元ちゃんよ」と書いていたが、まさにそのとおり。
     
     「明日に向かって、というような曲です」って言うから、宮本ならそんな曲は山ほどあるが、元ちゃんにそんなのあったか? と思ったら「それから」だった。
     「それから」。確かに言われてみればそうだが、こんなに切ない「明日」があるか?
     
     「ふとした拍子に遭った 親愛なる明日に遭った そこでは僕だけに似合う世界が寝転んでいた/そのうちに夜になって 待ちかねた朝になった 親愛なる明日は僕の手の上で今日に変わる 昨日と同じ今日一日に」
     「ふとした拍子に見た 窓ガラスの向こうに見た 親愛なる明日はいつでもそこに居て待ってるよ/始まりのボタン押して/それから」
     
     強い言葉、強い声、強い歌。だから元ちゃんが好きだ。
     
     
     
     
    ●11月19日(土)
     エレカシの新曲2曲は火曜日からずっと聴き続け、だいぶ身体に浸みてきた。2曲ともよい曲だ。
     正直言って期待していなかった。もっとはっきり言えば、危ぶんでいた。車のCMで聴く断片から、またファン歴の浅い人たち向けの、耳に心地よいだけの温い曲ではないかと。
     杞憂でした。
     確かにエレカシの曲だ。手癖や使い回しではなく全く新しい音であり、それでいて宮本の体臭たっぷりの、エレカシらしい曲だ。
     この前のアルバムの出来から推して、もう心配はないはずだが、何しろ御本尊が頼りない人なので、心配してしまっていた(彼は、放っておけば天才なのに、今ひとつ自信がなくて、右顧左眄、右往左往。おまけにおへそがかなり曲がっている。気を揉み続けたわたしのファン人生……)。
     けれども、もう大丈夫。これなら安心してついて行ける。
     
     本当の話、今年の野音がショックだったのだ。
     楽しかった。楽しくて、にっこにこで帰ってきた。
     けれども、その楽しさが残念だった。
     
     エレカシのライブはいつも、「勝負」の場だった。
    何の勝負か分からないが、ステージの上と下とで真剣に対峙し、その結果宮本たちの気魄に負けて幸せな気持で彼らを称えて帰る。
    或いは、何だか分からぬが「何か」と戦う宮本たちを真剣に応援し、へとへとになりながらも全き勝利をおさめて幸福感とともに帰る。
    そんな感じだったのに、今回はそういう気魄が感じられず、なごやかな楽しさが勝っていた。
    それが寂しかった。老いたのか? などとも思った。
     
    それもたぶん、杞憂だ。実際、6月のライブはすばらしいものだったし、野音はたまたまああなったのだろう。そう思える。
     
    今度の新曲はそこそこ売れているようだ。新しいファンたちも学習が進んで、そのままのエレカシを受け入れてくれている。この数字なら、会社も干渉しないだろう。
    それでいいんだと思う。
     
     
     
     
    ●11月23日(水)
     正月の渋公2日間。よんどころない事情で金曜日がだめなので、土曜日を申し込んでいた。この日は3連休の初日ということで全国から来るだろうから、激戦は覚悟していた。
     結果、2階席。まあ、取れただけで幸運なのだから、これでよしとしよう。取れなくて泣いている人がたくさんいるのだ。
    本当のところ、だめじゃないかと思っていて、そうしたら同じ連休の最終日にあるカスタネッツに行こうかと考えていた。
    そんな企みも、恐くて言挙げできないでいた。「行けたら」とか「行けなかったら」など、一切口にできないでいた。
    でも、もう大丈夫。よかった。2階でも何でもいいよ。行けさえすれば。
     
    待ってろ、宮本。ぬるいライブをやったら、承知しないから。