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    千歳村から 〜日記のようなもの       
     
    2008年12月 4日 6日 7日 8日 9日 15日 16日 25日 26日 31日
     
    ●12月1日(月)
    12月になると、星台先生を思う。
     
    エレカシが今年の元日に出したシングルの曲名は「笑顔の未来へ」だが、去年ライブで聴いたときは「涙のテロリスト」という名だった。スタッフの意見で変えたとのことだけれど、宮本は元の曲名に未練があるらしく、ライブで演るたびに「これは元は涙のテロリストで」と断っている。
    宮本がこの曲で歌っている「テロリスト」はもちろんものの譬えで、おそらくわたしたち口うるさいファンを指している。
    それは百も承知の上で、わたしとしてはやはり別のことを思ってしまう。
    「涙のテロリストは手に負えない/行こう/おまえを連れて行くぜ 笑顔の未来へ」
     
    テロリストというのは、笑顔の未来を誰よりも強く希求し、その実現のために惜しげもなくおのが命を投げ出し、それでいて自らはその笑顔の未来に住むことのない、ばかな人たちだ。
     
    わたし自身はテロルには反対だ。あまり賢い手段では思えない。無差別テロは言語道断。要人暗殺にしても、敵は制度・体制なのだから、個人を除いても別の人が立つに過ぎないことが多い。アレクサンドル2世を殺しても、復讐心に燃えてより反動化した息子のアレクサンドル3世が立ったように。
     
    本当は星台先生が正しい。
    一人残らず全ての人が革命を望むようになれば、そのときは一滴の血も流さずに、一通の書類だけで革命は成立する。
    そして本当は、そうでなければ革命は成立しないのだ。一人残らず全ての人が望むようでなければ。
     
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    今朝はよく晴れて、富士がきれいだった。手前の青い山々もくっきり見えた。
    なのに夕方から曇り。月、金星、木星が寄り集まってくれる日だったのに。4時半頃、細い月が見えたので、がんばれと祈ったのだが、すっかりべた曇り……。
     
     
     
    ●12月4日(木)
     きのう職場に来たメルマガに、裁判員に支払われる旅費等についての国税庁の見解、なるものがあった。
     裁判員には、旅費、宿泊費、日当が支払われるが、それについての最高裁からの照会に対する、国税庁の回答だ。
     よく見れば、回答年月日は11月6日とある。そんなこと、全く知らなかった。わたしは人並みに新聞もTVのニュースも見ているつもりだが、ちゃんと報道されたのだろうか。こんな大事なことを。
     
     国税庁によれば、これらのお金は雑所得になるとのこと。つまり、もらった額から実際にかかった経費を差し引いた額を、所得として申告せねばならないことになる。
     この、最高裁と国税との問答の主眼は、このお金が雑所得なのか、給与所得なのか、一時所得なのか、ということにある。
     
     でも、わたしたち一般の人にとっては、そんなことよりも、こういうお金に税金がかかるということのほうが大事だ。実際、驚いた。こんなことってあるのか?
     
     国税の見解では、このお金は損害に対する弁償的な性格だと。
     やはり損害だったんだ! 賛成した覚えのない制度で、行きたくもないのに呼び出され、人を裁くなどというしたくもない行為をさせられる。これは、仕事を休んだとかなんとかいうだけでなく、やはり損害だ!
     それで「これで勘弁しろ」と「国」からもらった金に、所得税をかけるとは!
     
     実際のところ、本当に申告するものなのか、分からない。知らんぷりできるものかもしれない。けれど、裁判所がお節介にも書類を税務署にまわしたりしたら、「脱税だよ〜」ということになり、おもしろくないことになりかねない。大した額ではないだろうから、おおごとにはならないだろう。修正申告して、不足分になにがしかを足した額を払えば、それで終わりだろう。けれど、いやな思いをさせられるのは必定だ。
     
     この制度、いったい何なのだろう。
     明らかに憲法違反だし、民主主義の原理にも反する。主権の行使だなんてとんでもない。主権の蹂躙にほかならない(ジャン・ジャックは、主権は一般意志の行使だから、集合的なものであり、個々人に分割できるものではないと言っている。したがって、主権の行使は立法権に限定される)。
     そして、国民の大半が知らないところで決められ、それに対し決して歓迎していない。これのどこが、主権の行使なのか。
     
     
     国民の八割が反対もしくは尻ごみしているのに、提灯持ちの朝日新聞は礼賛的な投書ばかり載せている。
     二日続いて、ふざけた投書が載ったので、頭に来て今朝方メールで質問したら、返事が来たので驚いた。担当部に回したとのこと。
     さて、これ以上の反応か、あるいは変化があるかどうか。楽しみだ。
     
     
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    お月さんとはだいぶ離れてしまったが、木星と金星はまだ仲よくしている。太白金星の明るいこと。木星が−2等、金星は−4強。天文年鑑には「ちまたでは必ずUFO騒動が頻発する」だって。本当かしら。
     
     
     
    ●12月6日(土)
     1905年の今夜、陳星台は宮崎寅蔵を招いて晩餐。さざえの杯で、相当飲んだようだ。
     これが星台先生にとって最後の「普通の日」だった。
     
     昨夜、嵐は去ったかとベランダに出てみたら、オリオンがいた。小三つ星まではっきりと。もちろん元気なシリウス。高いところにヒアデスも。
     冬はにぎやかでよい。
     それにしても、明るい空。前の団地が建て替えられて、まるでシャンデリアみたいに灯りだらけだ。以前は間に高い針葉樹があったし、灯り自体も階段のところにぽつぽつとある程度だったのに。
     
     103年前の東京は、どんなにか暗い空だっただろう。そして、もっとずっと冴えてとがった空気だったに違いない。
     
     
     
    ●12月7日(日)
    明治三十八年(1905年)十二月七日付『東京朝日新聞』
    ○清国人同盟休校   
    東京市内各学校に在学する清国留学生八千六百余名の同盟休校は大学教授連盟辞職に次ぐ教育界刻下の大問題なり右は去月二日発布の文部省令清国留学生に対する規程に不満の念を懐きたるものにして該省令は広狭何れにも解釈し得るより清国学生は該省令を余り狭義に解釈したる結果の不満と清国人の特有性なる放縦卑劣の意志より出で団結も亦頗る薄弱のものなる由なるが清国公使は事態甚容易ならずとし兎に角留学生一同の請ひを容れて之を我文部省に交渉するに至りしが有力なる某子爵は両者の中間に於て大に斡旋中にして右の結果両三日中には本問題も無事落着すべしといふ
    (文中強調はゆり子)
     
     103年前の今日、星台先生はこの新聞を読んで、絶命書と宝卿公の伝記を書いた。
     わたしとしては、本当は西小川町(現・西神田)の東新訳社跡に行って偲びたいところだが、主婦は自由に動けない……。
     
     
     
    ●12月8日(月)
    陳星台先生没後103年。
     
    昼に西神田公園へ行った。旧・西小川町の、東新訳社があった所だ。本当なら昨日ここに来て、今日は大森へ行くべきなのだが、なかなかそうもできないのが残念だ。
    先週までは近隣の勤め人がたくさんお昼を食べていたけれど、急に寒くなったからか、今日は人影はまばらだ。去年と同じ、木立の陰のベンチの前に立つ。
     
    一人きりの慰霊祭。
    まずは御心経を3回。続いて妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五。
    途中で植え込み一つ隔てたベンチに若い人たちが来たらしく、にぎやかな話し声と強い食べ物のにおいがしてくる。気にしないようにして読み続けていると、偈まできたところで、今度は電話ウサギの青年が真っ直ぐこっちへやってくる(注:電話ウサギ=舟崎克彦の書く幾つかのお話に出てくるウサギ。二六時中、電話で話している。電話ウサギが生まれたのは30年以上前だが、近年になってこのウサギに憑かれた人が急増している)。そして話し続けながら、わたしが立っている隣のベンチにかけてしまった。
    それでもめげずになんとか読み終え、十一面観音様の真言も唱えた。変な奴だと思われてもいい。こちらは神聖なことをしているのだから。
    このお経を選んだのは、読みなれているからでもあるが、何より万能だから。阿弥陀経となると宗旨を選ぶけれど、般若心経も観音経もあまり嫌う人はいないだろう。ましてや星台先生は、金光遊戯観音を名乗っていらっしゃる。
     
    本をしまってそそくさと立去り、公園の出口で九十度の礼をする。その後、歩きながら「大地沈淪幾百秋……」を口ずさむ。
    寒い。暑がりのわたしは今年初めてコートを着たのだが、それでも寒い。103年前の今日は曇天だったから、どれだけ寒かったか。
    そんな日に、彼は海に入った。遠浅の海を踏んで、ずんずんずんずん進んでいった。
     
    彼が見つかった旧・大森村字浜端の辺りも、彼が住んでいたこの旧・西小川町の一角も、いずれも区立公園になっている。もちろん偶然に違いなく、両区の公園課の人に訊いても、陳天華なんて知っているわけない。西神田公園には教育委員会が案内板を立てているが、近くに住んでいた人としてあげてあるのは、西周と森鴎外だけだ。
    偶然にせよ、公園になっているのはありがたい。同じぶつぶつとお経を読むのでも、公園の片隅でするのと、道端や人んちの前でするのとでは、全然ちがう。
    八月の篤生の命日に、池坊学院前の歩道で読経したのは辛かった。幸か不幸かゲリラ豪雨の真っ只中で、人通りがほとんどなかったが。
     
     
     星台先生に、今の中国を見てもらいたい。あなたが命をかけて実現しようとした「笑顔の未来」は、こんな具合です。それはあなたが思い描いたものとはだいぶ違っています。たぶんこれはまだまだ途上なので、あなたの遺志を継いだ青年たちが、きっとそれを実現しようとうごめいているのだと思います。
     だからあなたは、大森の海にも、岳麓山の墓所にも安住していないのではないか、浄土で安んじてはいないのではないかと、わたしは思っています。
     
     
     
    ●12月9日(火)
    いつもと同じ朝。さいかち坂を上り、かえで通りの池坊お茶の水学院の前へ。103年前、この道は留学生たちで埋め尽くされた。「絶命書」が貼りだされ、読みあげる者、それを聞いて滂沱の涙を流す者、とにかくたいへんな騒ぎだったはずなのだが。
     目の前にあるのは、あまりに普通のいつもの風景。昨日も明日も同じだ。
     まさにここ、同じこの場所なんだよと思っても、池坊の仰々しい校舎から、留学生会館の二階屋を思い浮かべることは難しい。
     
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     三日ほど前から湯たんぽを使っている。これで二冬目。
     ずっと異常な暑がりだとばかり思い、冷え性とは無縁だと思い込んでいた。すぐにかーっと熱くなり、顔が赤黒く火照って見苦しくなり、いやな汗がじくじく出る。
     冬の外出には、寒さ対策よりも暑さの心配をしなくてはならない。上着を脱いで歩くと世間から浮く。といって我慢して着ているとコートに汗をつけてしまう……。
     こんなに暑いのに手足は冷たいということに気づいたのが、今年の一月。ものの本によると、火照るのも汗かきも冷え性の典型的な症状だそうな。
     そういえば、小学生のときは毎冬、足のしもやけに悩まされた。授業中、机の脚で踏んでいた。大人になってしもやけにならなくなったので、すっかり忘れていた。
     湯たんぽは幸せだ。足を温めるというのが、こんなに気持ちよいとは。
     これからは冷え性を自覚して暮らそうと思う。家の中でも靴下を履こう。
     問題は、やはり外出。やっぱり暑いものは暑いもの。特に朝の電車は地獄だ……。
     
     
     
    ●12月15日(月)
    何か知らぬが忙しくて、ちっとも書けない。
    昨日は雨。今日は朝からぴかぴか晴れで、富士がくっきり見えた。空の青さを映して、市谷のお濠がきれい。真っ青な水面に真っ白な建物が浮かんでいる。それを乱すのが、鴨さんたち。今年は多い気がする。種類も違うような。とっぷんとっぷん潜水性のキンクロ、ホシハジロだけでなく、水面をさらうハシビロが来ているみたい。走る電車から見ているので、定かではないが。
     
    先週の木曜。江戸城のお濠端を、エレカシを歌いながら歩いていた。その日は「偶成」。竹橋のたもとから九段方面へ行く道は、ランナーも歩行者もほとんどいないし、車が多くて騒音があるため、大声で歌いやすい。お濠の向こうには警視庁第一機動隊、宮内庁官舎等があるはずだが、歩きながらの声ではそこまで届くわけもない。誰も聞いていないはずと思っていたら、お濠の中から鵜に見上げられてしまった。あなた、聞いていたの? と見やると、鵜の頭上にある排水管のような物の上に、かわせみがいた!
    驚いてのぞき込もうとしたときには、飛び立ってお濠を渡って行ってしまったが、あの色、あの姿、見まがうわけがない。確かにかわせみだった。
    かわせみを見るのは、20年ぶりくらいだ。以前、善福寺川でたまに見かけたきり。こんなところで会えるとは!
    江戸城の奥地は深山幽谷の趣きありと噂には聞いている。お濠の水はあまりきれいではないが魚は多いし、いても不思議はないのかもしれない。
    でも驚いた。全く予期していなかった。
     
    翌日も今日も、同じくらいの時刻に、なんとなく探す目で歩いた。漁をする木は決まっていると聞くから、ひょっとしたらと。
    けれど、そう簡単にいるわけもない。
     
    今日は同じ場所に鵜が二羽いた。「あんだよう?」と見上げられ、「君に用はないのよ。もちろん君がそこにいてくれても全くかまわないのだけど、君には用はないの」と話しながら行きすぎたら、「遁生」をどこまで歌ったか分からなくなってしまった。
     
    これからも、あの道を歩くたびにきっと探してしまうだろう。
    また会いたいもの。
     
     
     
    ●12月16日(火)
    WHOによれば、自殺者の9割はなんらかの精神障害を病んでいるそうな。
    けれども、これには自殺観という文化的な偏見が含まれているような気がして、東洋人たるわたしは首肯できない。精神障害が含まれていることは否定しないが、9割というのは多すぎる。
    楊篤生が多年の病苦と心労とで尋常な状態でなかったのは確かで、良医に出会っていればあんな結果にはならなかっただろうと思う。
    けれども陳星台や姚剣生となると、どうだろう。あんな形で表現することになったのには、そういう志向をもつに至った経緯を、幼時にまで溯って調べねば分からないような事情(仕組み)があるのだとは思う。が、その志向(考え方や表現の傾向)を病気とまで言ってしまうことには、抵抗がある。
     
    デュルケムの『自殺論』をずっと読みたいと思っていて、この秋やっと読み始めたのだけれど、なかなか読めない。電車でなら読めるのに、家で本を読むのは至難の業だ。なんやかやと邪魔が入り、まだほんの冒頭で止まっている。
    言うまでもなくデュルケムは社会学の巨人で、『自殺論』は社会学の古典だ。社会学入門的な本をいくら読んでもよく分からないので、実地にあたることで社会学の考え方を学びたいと思っている。だからこの際、データが古いとか、ヨーロッパに限られているなどということは、どうでもよい。知りたいのはデータの読み方だから。どういうデータからどういう事実を読み取り、そこからどんな意味を汲み取るか。それが知りたい。
     
    『自殺論』の場合は、自殺を社会学的に扱う。哲学でもなければ精神医学でもなく、社会学的に。それがどういうことなのか。
    今のところは数字を並べて、対人口の自殺率に、地域や民族、宗教、性別、年齢等々によって有意な差があるかどうかを調べているところだ。なかなか細かい。例えばドイツといっても一つではなく、新教の地方、旧教の地方、入り交じっているところではどちらが多数か、など。新教・旧教にかかわらず少数派が自殺率が低い、などという数字も出てきたりしておもしろい。問題はその先(だから何? それは何故?)にあるのだけれど。
    早く進みたいのだけれど、時間はないし根気もないし頭が弱くて理解が悪いし。遅々として進まない。
    いつになるか分からないけれど、いつか簡単なレポートでも書ければと思っている。
     
     
    ・・・・・・全ての自殺は他殺だと言う人がいる。そうかもしれない。
    借金苦などというのは分かりやすいが、たいていはもっと隠微な形で行われる。
    おまえは要らない人間だ、生きている価値のない奴だ、おまえの存在は有害無益だ、などなどと、陰に陽に植えつけられ、その結果が自殺という形をとるとしたら、それは立派な殺人だ。だから「自死」ではなく「自殺」なのだ。
    そして本当は、それは人違いだ。殺すべきは自分ではなく、その人を責めたり攻めたりして追い詰めた相手だ。その相手を殺すことができないから、――殺そうとしてもできなかったり、あるいは(大半の場合がそうなのだが)相手に対して殺意を持てない、殺意を自覚できない仕組みがあるから、代わりに自分を殺すのだ。
    それは相手に対する復讐・当てつけである場合もある。もちろん本人は意識していないが、自分の死が相手に打撃を与えることを知っているのだ。
    ちなみに、世間で言う「誰でもいい」無差別殺人も、同じく人違いによるものだ。本当に殺すべき(殺したい)相手に殺意を向けられないから、なにより殺したい人を殺せないから、殺意を自覚することすら禁じられているから、だから、「誰でもよく」なってしまうだけだ。
     
    ばかなことをしてる。こんなこと、もうやめなくちゃ。
     
     
     
    ●12月25日(木)
    日替わり特価の鶏もも肉を照り焼きにして、「どこぞの大工の息子さんとは関係なしに、鶏を焼いてみました」と夕食に出すと、夫は「その大工の息子の話はするな」と。
    確かに、その大工の息子に連なる人たちが、彼の屍の象徴物を掲げて、世界を荒らし回ってきた歴史がある。
    それは措くとしても、夫は殷の遺民の血を引く巫祝の子に私淑しているし、わたしは釈迦族の王子に帰依していて、大工の息子さんとは縁もゆかりもない。
     
     夫は日本仏教は原始儒教だと言う。あの先祖祭祀は儒教じゃないかと。
     なるほど、本来仏教は葬式とは関係ない。釈尊は、葬儀に関しては習俗にまかせ、仏徒としては関わるなとおっしゃった。日本で初めて葬儀に関わった仏教者は行基様だそうだが、それはその辺に放置されている野垂れ死にの屍を憐れんで供養したものらしい。となると、それは先祖祭祀とはちょっと違うのではないか。
     けれども今の日本仏教は確かにそういうものになっている。原始仏教とはだいぶ違う。それがわたしを戸惑わせる。
     だって、諸法無我だよ。死んで因縁が解けたら、なんにもなくなるよ。死後の霊魂なんてあるわけないよ。
     その辺りの問題で、仏教系大学で学ぶ「学問仏教」と、実際にお寺に集まる善男善女の信心とが乖離して、真面目な若いお坊さんを悩ませているそうだが。
     
     先週のこと。駿河台から江戸城を指して歩き、錦町を抜けた辺りで、前方に不思議なものが見えた。上空に鳥が集まっている。どう見ても、鷹柱だ。鷹柱なんてTVでしか見たことないが、でもあれは鷹柱そっくりに見える。しかしこんなところに鷹柱ができるわけはない。何の鳥だろう。
     ずんずん行って濠端に出ると、それはユリカモメだと分かった。たくさんのユリカモメが、円柱型に集まってぐるぐる回り、ばらけたと思うと、少し移動したところでまた集まって柱状になる。
     ユリカモメにこういう性質があるのかどうか、わたしは知らない。ユリカモメも渡り鳥だから? 鷹柱というのは、サシバなどが渡るときに、集まって高く上がり、気流に乗るためのものだと聞いている。でもユリカモメは渡って来たところで、これから行くところではない。
     なんなの?
     という話を夫にしたら、「それは濠の内に住む人たちから見て鬼門じゃないのか」と。地図で調べると、なるほど、気象庁前の交差点から丸紅の前にかけてというと、そういう方角に当たるようだ。「鬼門で異常現象が起きるというのは、その人たちにとってどういうことか。言挙げするのはやめておこう」
     などと言いながら、夫は続けて言う。
     「でも、こういうことを言うと、子産に叱られる」
     子産は孔子が尊敬する鄭の名宰相だ。鄭で二匹の竜がけんかしたとき、お祓いをせねばという人たちを子産は止めた。竜のけんかは竜の問題で、人間とは関係ないと。自然現象と人事とは分けて考えるべきだと。
     『左伝』の原文を引こうかと思ったけど、面倒だから岩波文庫版の訳文を。用字は一部改めた。
    「われらが闘っても、竜はこちらを見向きもしないのだから、竜の闘いをわれらだけが見に行く必要はない。たとえお祓いをしても、あそこは竜たちのすみ家。わたしは竜に求めることがないから、竜もこちらに何も求めてはおらぬ」(昭公19年)
    こういう姿勢はおもしろい。孔子も「敬鬼神而遠之」で、鬼神の存在を認めつつ、関わらないでおこうと。
     
    こういうわたしたちでは、あの大工の息子さんとおつきあいするのは難しい。
     
      
     
    ●12月26日(金)
     強烈な北風。「突き刺す真冬の風この東京で」と、「未来の生命体」を歌うにはよい天気だが、ここまで強いと歩きにくい。
     九段から飯田橋へ向けて目白通りを北上したのだけれど、風に阻まれてなかなか進まず難儀した。前に自転車の女の子がいて、向かい風に立ちこぎで挑んでいたが、ひらひらの超ミニスカートなので、赤い下着がちらちら見える。見えても大丈夫なものなのだろうけど、気になった。ほどなくして彼女は自転車を諦め、降りて押していったが。
     
     
     今日の朝日新聞に、裁判員制度に反対する旨の投書が載った。今まで賛成の投書しか載せてこなかったのに。わたしの送った「ご意見」(八割が反対もしくは尻込みしているのに賛成意見しか載らないのはおかしい)が効いたのか? と思ったが、見れば社説でも慎重な言い回しになっている。風が変わってきたと思うのは早計だろうけれど、反対運動が進み実ることを望んでいる。
     「司法に市民感覚を」と言うのなら、それは立法段階でするべきだ。運用でするよりも妥当だろう。飲酒運転の厳罰化など、それは実際に行われている。法自体をいじらずに、運用だけ「市民感覚を」といっても無理だろう。「法がこうなっているから」とプロの裁判官に言われてしまえば、善良な市民裁判員は従うしかない。
     となればこれは、市民に司法の常識(司法のプロの考え方)を教えてくださるという制度なのではないか? 司法に市民感覚を持ち込むのではなく、市民の側に司法プロの感覚を押しつけて、「市民の裁判員が決めたのだから」と、文句を言えなくするのが目的では? というのは邪推だろうか。
     
    (補足:先日のNHKの討論番組で模擬裁判をやっていたけれど、例えば「殺意」という語ひとつでも、わたしたちが普通に考える「殺意」と、裁判での「殺意」とでは、意味が違うそうだ。そうプロの裁判官に説明されると、素人の裁判員たちは戸惑いつつもそれに従ってしまう。これが市民の教育でなくてなんだろう)
     
     
     
    ●12月31日(水)
     朝7時半に家を出、「視察」と称して住みたい町を探しに行った。今回は稲城市。
     
     行ってみて分かったが、多摩ニュータウンはみな似たようだ。駅周辺には屋敷林に囲まれた昔ながらの家が点在し、かと思うと、さほど広くない土地に小さな建て売りの戸建てをぎっしり建てた一画がある。これは代替わりでもあって相続税対策でこうなったのだろうか。
     それを抜けると稲城名産の梨園があり、さらに行くといよいよ多摩ニュータウン。
     
    なだらかな丘陵地に、団地が続く。ややこしいカタカナ名まえの団地が、いくつもいくつもある。それぞれの団地が、五階建てくらいのから十階かそれ以上ありそうなのまで幾棟もある。そういう巨大団地がいくつもあるのだから、いったい何棟あって、どれだけの人が住んでいるのか、見当もつかない。ゆるやかな坂を上ったり下りたり、延々と続く団地群。ここに住むなら自転車は電動アシストつきでないと無理だろう。
    新開地なのでみな帰省したのか、これだけ圧倒的な戸数なのに、人の気配がおよそない。時折通るバスも、ほとんど空っぽ。運転手さんひとりで、空しく走っている。車は走っているけれど、歩く人は犬連ればかりだから、団地の住人ではないのだろうか。
    不思議な気分で歩きながら、ここに住めるかどうか考えていた。約二時間。横道に逸れたのを除けば六キロほどの行程だった(地図で計ってのことで、実際には高低があるから、もっとある)。
     
    帰りの電車から真っ白な富士が見えた。
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
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