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多摩丘陵から 〜日記のようなもの
2024年3月
2023年7月 12月
●2024年3月11日(月)
昨日は夫とともに上野へ。夫の外祖父母と伯叔父、4人の命日。
1945年3月10日の東京大空襲。
寛永寺さんに遺族会の方々が建てた慰霊碑があるので、毎年お参りしている。
一人だけ皆より一日早く疎開していた姑(当時5歳)が、どんな思いで生きてきたのか、わたしには分からない。軽々に想像することはできない。
今も世界のあちこちで戦争していて、人が殺されている。
人類って、なんでこんなにもばかなのか。
●2023年12月8日(金)
陳星台先生没後、118年。
ということで、久しぶりに神田へ行ってきた。
すっかり変わってしまった御茶ノ水駅は、これが初めてではないのだけれど、まだまだ慣れない。なんとなく戸惑ってしまう。
それでもどうにか外へ出て、スクランブル交叉点を渡り、昔の勤め先の前を通って、留学生会館の前へ。もちろん碑も何もあるわけではなく、史料にある住所からわたしが特定しただけ。
星台先生の訃報が伝わり、この道を留学生たちが埋め尽くした。その光景を幻視する。
さいかち坂を下り、水道橋駅前を南下して、西神田公園へ。この一角に星台先生の寓があった。「大地沈淪……」の詩句を、もごもごと唱える。
そこから神保町へ下りて、書店をいくつかのぞいて、帰ってきた。
駿河台も神保町も、もうわたしの町ではないんだな。
そう思っていたのだけれど、行ってみたらそうでもない。もちろん変わっているのだろうけれど、あんまりそうは感じない。昨日も来たし、明日もまた。そんなの嘘なのに、そう思ってしまった。
実際には、この多摩の大地からは、そうそう出られないのだけどねえ。
東方書店で買うつもりだった月暦カレンダーは、まだ入荷していなかったので、入ったら連絡くれるよう頼んできた。
つまり、また近いうちに行くということ。
楽しみだ、って言ってしまっていいのかな?
●2023年7月8日(土)
昨日は7月7日。戦争が始まった日。
父の長兄は、満洲で戦死している。村の戦死者第一号で、そのときの模様を村の青年団が劇にして演じたというから、一大イベントにされてしまったのか。
出征時に妻は身重だったので、次男と再婚させられた。兄より年上の兄嫁との結婚を次男は嫌がったそうだが、「家」の論理には勝てなかった。そりゃまあ、家としては、寡婦と遺児と結納金と、三つ「解決」したことになる訳だから。
最悪の意味での「日本の農村」だ。
ところで、わたしの父は末っ子の五男だ。長男の戦死で次男が家を継ぎ、三男は小学校を出ると親戚の商家へ奉公に。それで口が減り余裕ができたということか、下の二人は中学校へ行けたらしい。
そして父は東京へ出て、役所に勤めながら自力で大学の夜間部をおえている。