おわりに

 

 中江兆民『民約訳解』巻之一、第一章から第九章まで、なんとか現代語訳をつけてみた。『民約訳解』は巻之二の第六章まであるが、わたしにはあまりに荷が勝ちすぎるので、後日に譲りたい。なお、ジャン・ジャック・ルソーの原著は第二篇(全十二章)のあと、第四篇まである。兆民が最後まで書いてくれなかったのは残念だと言いたいところだけれど、第一篇だけ漢文から日本語にうつしただけで(それも島田虔次氏の読み下し文に多くを負いながら)青色吐息の人間の言えたことではないだろう。

 

●ジャン・ジャック

 足りない頭ながらも極力ていねいに読み直してみて、改めてジャン・ジャックのすごさを思い知った。

 ここからは、いわゆる議会制民主主義も、全体主義も、アナキズムも、なんでも出てくるが、「社会契約論」が出された1762年はまだ絶対王政の時代であった。それがすごい。

 もちろんジャン・ジャックにしても、いきなり天から降ってきたわけではない。彼の頭にあり、その思想の礎となったのは、故郷ジュネーブの時計職人の世界と、古代ギリシア・ローマの世界とだろう。

 そこからどうやって彼が自らの思想を紡ぎ出したのかは、わたしの知るところではない。わたしとしては彼の叡智にただただ感服するばかりだ。

 

 「社会契約論」からは、個を尊重するアナキズムも、個を挽きつぶす全体主義も導き出せる。要は、いま現在のわたしたちが、いま現在のわたしたちにふさわしい社会契約を、改めて結び直すことだと思う。

 

 望ましい社会契約とは何か。それを考えるとき、第三章「強者の権利について」と第九章「土地所有権について」は、特に重要だと思われる。

 ジャン・ジャックは、「強者の権利」は全くの矛盾だという。強者は権利もへったくれもなく、なんでもし得る。それでは他の者は生きていけないから、それを抑えるために「権利」ということがいわれるのだ。

 「自然が人間の間に設けた肉体的不平等の代わりに、道徳上および法律上の平等をうち立てるもの」、「体力や天分においては不平等でありうるが、人間は契約と権利とによって、ことごとく平等になる」。

 だからこそ、自由、平等、博愛なのである。

 昨今、人権や平等を憎み、やったもん勝ち、うまく立ち回ったもん勝ちという風が幅をきかしているように見える。

 だからこそ、ジャン・ジャックをいま一度きっちりと読み直すべきだと思う。

 

 と書いていたら、〈人類の歴史も、生き物全般の歴史も、競争ではなく相互扶助の歴史だよ……〉という、クロポトキンの『相互扶助論』をも読み直したくなった。本人は何というかわからないが、間違いなく彼もジャン・ジャックの子どもだから。

そして、兆民の高弟である幸徳伝次郎がアナキズムに出会ったのは、偶然ではないということもわかった。

 

●兆民

 お見それしました。というのが正直な気持ちだ。兆民がルソーをこここまでしっかりと解っていたとは。戦後民主主義のただ中で生まれたわたしのほうが、幕末に足軽の子として生まれた兆民よりも、より解っているという自信はない。当たり前だと兆民先生は怒るかも知れないが。

 もちろん、経学的なことばや概念の使用、道徳への傾きその他、気になるところは少なくないが、全体としてみたとき、かなりきちんと把握できていると思う。

 

中国近代史マニアとして気になったのは、「シトワイヤン」の概念だ。清末の志士たちは、周代以来の「士」、「国人」などという概念を使って「シトワイヤン」を理解したのではないか。もしそうなら、自己を士として認識する彼らにとって、下層の人々はどういう意味づけをもつのだろう。

そんなことを考えさせられた。

 

 

 

 2005年12月3日

 

 

 

 

 

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