はじめに

 

『民約訳解』は、「東洋のルソー」といわれる中江兆民が、ジャン・ジャック・ルソーの『社会契約論』を翻訳し解説を附したものである。原文は漢文。日本の自由民権運動の理論的支柱となったのみならず、清末の中国知識人たちにも少なからず読まれたと思われる。

 

数年前、夫と戯れに『民約訳解』と『社会契約論』との読みあわせをしたことがある。

 夫が『社会契約論』を、わたしは『民約訳解』を持って、お互いに一節ずつ朗読しあう。つまり、夫は目でジャン・ジャックを追いながら耳で兆民を聞き、わたしは兆民を見ながらジャン・ジャックを聞くのだ。

すると、たちまち大混乱になった。「ちょっと待って、どこ読んでるの?」「何、それ? そんなこと書いてないよ」というのが続出したのだ。

 

兆民は解説以外の訳文の部分にも、ジャン・ジャックが書いていないことをたくさん書き加えている。読者の理解を助けるためのものであろうが、そこに兆民自身のジャン・ジャック理解があぶり出されている。そしてそれは、ほとんど誤解に近いまでの、はなはだしい歪みをもっているように、わたしには思える。

 

兆民は畢竟儒者だといわれる。彼の歪みが儒者ゆえのものであるならば、やはり根っ子は儒者である清末知識青年たちも、同じような歪みをもってルソーを受容した可能性がある。そうでなくとも、兆民が留学生たちに読まれていたことには、確かな証拠がある。

 

ということで、『民約訳解』と『社会契約論』とを並べて比べてみることにした。と同時に、改めて『社会契約論』をきちんと読み直していければと思う。

 

 

★ 『社会契約論』は第四編まであるが、『民約訳解』は第二編の途中(全十二章中の第六章)までしかない。1882年から83年まで雑誌に連載され、第一編だけが82年に単行本として出版された。第二編の出版は兆民の死後になる。なお、『社会契約論』の翻訳としては、1877年に服部徳による『民約論』が出ている。

 

★ 『中江兆民集』(明治文学全集13、筑摩書房、1967年)をもとに、島田虔次氏による読み下し文および注解(桑原武夫編『中江兆民の研究』岩波書店、1966年所収)と河野健二氏による現代語訳(『中江兆民』日本の名著36、中央公論社、1984年)を参考にした。

『社会契約論』は、平岡・根岸訳の角川文庫版(1965年)を使用した。

 

★ 『民約訳解』と『社会契約論』とを対照し、中江が附した解説を【解】として記した。同様にして、わたし・ゆり子と夫・景介とが、それぞれ気づいたことを附記した。

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