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    おわりに

 

  陳天華は種族を重視し、種族対種族という考えかたをしている。これは進化論の影響によるところが大きいかもしれない。ともかく彼は反帝国主義も反清朝も種族対種族で考える。そしてこのとき彼が自分の種族として考えるのは漢族である。すなわち、反帝国主義は洋人対漢人、反清朝は満洲族対漢族として把える。主要な敵を列強として「洋人の朝廷」たる清朝を倒すことを旨としながら、或いは専制政体としての清朝を問題としながら、結局めざすところは漢人の国家の建立であった。国内異民族は意識の外にあり、ともに国家をつくろうという考えは希薄である。復仇は否定するが、存在を認めるという程度で、あまり積極的なものではない。要するに、頭にないのである。

 そしてこれは陳天華に限らず、当時の漢人革命家が共有した限界である。むしろ陳天華は復仇をはっきりと否定しただけ良いほうだった。逆にいえば、天華でさえこのレベルだったのである。革命家たちが国内異民族のことをしっかりと認識していなかったことは、排満のみがスローガンとしてひろまっていったことと無縁ではないと、私は考える。漢人中心であったために、復仇反対もいまひとつはっきりとせず、それが倒清だけでよしとすることにもつながったのではないだろうか。無論、同盟会内外の様々な考えかた、立場、対立等、革命失敗の原因は複雑なものなのだが、このような民族観の問題もその一つとできるのではないだろうか。

 以上、五族共和の唐突さを確かめるために当時の漢人革命家の民族観のありかたをみてきた。私の関心はモンゴル独立の件から発しているが、その独立そのものを云々するつもりはない。五族共和を掲げてとめに入る前に彼らのことを考えたことがあったのか否かを確かめようとしたのである。その結果、それは皆無とはいわぬが、主流としては比較的穏当な部分でも復仇反対、同化論までであり、各族平等の五族共和とはまだ距離があることがわかった。本来なら、そういった思想に対する漢族以外の人々の考えもみるべきなのだろう。

 帝国主義列強に抑圧されていた中国だが、その中国の内部にも民族矛盾があり、そうした複雑さが辛亥革命の複雑さ、困難さにつながっているのである。

 

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