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多摩丘陵から 〜日記のようなもの      

 

2021年12月    

 

12月1日(水)

 来年の手帳とカレンダーと天文年鑑とを購入。どれも毎年買っている。

 

手帳は学生の時から使っている物。小型の割に暦以外のページ数が多いので、重宝している。新聞の書評欄や広告を見て、読みたい本のリストを書いているのだが、ぜーんぜん読めないよね。そのまま翌年のに書き写す物が多い。

特にコロナの世界になってからは、図書館が使えないから虚しい限り。

 ああ、図書館に行きたい。母校の図書館なら、主な新書・文庫であれば、広告を見てから何ヶ月か待てば、きっと借りることができたのに。

 いつまで続くのだろう、こんな世界。

 

 カレンダーは和物のかわいらしいデザインで、居間に掛けている。旧暦も記されているので、ありがたい。

 

 そして天文年鑑。何冊目になるのだろう。81年版からだから……41冊?

 遠いところに来たなあ。実のところ、天文部に入るまで、星に興味なんて無かった。それこそ、空を見て分かるのは、オリオンだけだった。

 ほんのはずみで入ったんだよね。ほんとうは合唱部に入るはずだったんだ。中学がコーラス部だったから。

 なのに、校門を入った所で小さなチラシを渡され、「15センチが待ってるぞ!!」と書かれていても、その意味も分からず、でもなんとなく気になって階段をぐるぐる上がっていったら、薄暗いドーム内に部長が一人座っていた。人がいないんだと思い、かわいそうになって、入ると言ってしまった。

 後になって、誤解だったと分かった。2年生は女子は3人だが男子は何人もいたし、1年生にいたっては、「今年は豊作だ」との先輩の言のとおり、うじゃうじゃいます。

その多くは今も友人です。一人はプロになっちゃった。彼は今も月を見てる……。

 

 

 

 

●12月7日(火)

『東京朝日新聞』明治三十八年(1905年)十二月七日

 

「清国人同盟休校   

東京市内各学校に在学する清国留学生八千六百余名の同盟休校は大学教授連盟辞職に次ぐ教育界刻下の大問題なり右は去月二日発布の文部省令清国留学生に対する規程に不満の念を懐きたるものにして該省令は広狭何れにも解釈し得るより清国学生は該省令を余り狭義に解釈したる結果の不満と清国人の特有性なる放縦卑劣の意志より出で団結も亦頗る薄弱のものなる由なるが清国公使は事態甚容易ならずとし兎に角留学生一同の請ひを容れて之を我文部省に交渉するに至りしが有力なる某子爵は両者の中間に於て大に斡旋中にして右の結果両三日中には本問題も無事落着すべしといふ」

(文中の強調は、ゆり子による)

 

 

 

 

●12月8日(水)

 陳星台先生、没後116年。

 残念ながら、旧・西小川町の星台先生んちには行けなかった。神田は遠くなりました。

 

 

 116年経った今、日本人の中国人観はどうなっているのだろうか。

 さすがに朝日のような大新聞様が、こんなひどいことを書く事はないはずだけれども。

 TVなんかでコロナウィルス関係の話を見ていると、ちょっと心配になる。

 

 

 

 

12月31日(金)

 劉道一君、没後115年。享年二十三。かわいそうに。

 

 

 

 

 

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