明治三十九年(1906年)一月七日

 

●日華学生会の組織

日清両国学生の親睦を図り相互の智徳を開進する目的を以て日華学生会なるもの組織せられたること既報の如し重なる学校に委員を置きて会の目的を幇助せしむる筈にて事務所は神田の錦輝館なり設立の趣意及び発起人の氏名左の如し

 

(趣意は漢文だが、印刷が悪く判読不能。両国は古来、遣唐使留学生の交流を続けてきたもので、今後も将来の文明の進歩のために心を一つにしていきましょう、といったところか。以下の発起者名も印刷不鮮明のため、判読不能の文字は■で表す)

 

日華学生会発起者

日 本

東京高等商業 井上筆次郎

外国語学校 本田辰三郎

早稲田大学 川勝 賀太(?)

慶応義塾 竹内 恒吉

東京高等工業 中尾■太郎

東京帝国大学 工藤十三雄

東京帝国大学 八並 武治(?)

東京高等師範 有吉 半祐(?)

早稲田大学 三■ 熊太

 

清 国

成城学校 ■   ■

東京高等商業 趙 保 ■

  明治大学 張   継

広島高等師範 李 祖 ■

  弘文学院 夏 ■ ■

  路鉱学堂 ■ 汝 ■

岩倉鉄道学校 曽 ■ ■

  成城学校 呉 ■ ■

  大成学校 胡 承 ■

  成城学校 ■   ■

 

 

★ゆり子蛇足★

 

清国側発起者にある明治大学の張継は、同盟会員で『民報』発行人の張継かどうか未確認。彼は早稲田大学にいたのは確かだが、明治大に転じたことがあるのかどうか。

 

取締規則事件と直接の関係はないが、こういう動きもあったということで、参考までに掲げた。

 

  

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