明治三十九年(1906年)一月六日

 

●清国学生問題落着

▲両派の軋轢

旧臘二十四日清学生中の健全分子五百余名が薬王寺前に事務所を構へて復校を決議し同志の勧誘に努めしより復校派帰国派の二団体に分れて大に軋轢を生じ留学生会館には日々両派の学生数百名集合して争論を為し各壁上に檄文を貼り附けて自派に引入れんことを計り遂には一方の学生が其の檄文を貼れば一方の学生直に之を剥ぎ取りて焼き捨て擲り合を始めんとすること度々あり近来は夜間又は暁天に密かに忍び来りて反対派の檄文を剥ぎ去りて焼き捨て自派の檄文を貼り附け互に斯の如くして底止する処なく一昨朝の如きは六時頃復校派の学生一人密かに来りて其檄文を貼り附けんとするや帰国派は既に八九人来り居りて之を妨害し口論の末擲り合を始めんとせしが復校派は唯一人なりしも其勢ひ甚だ鋭く遂に目的を遂げ悠々として立去りたるが件の檄文は残り居たる反対派の為めに直に焼き捨てられたりと云ふ而して復校派は思想の健全は言ふに及ばず其の勇気も帰国派に比し甚だ優勢にして一以て十に当るの勢を有し居り着々多数の同志を加へつゝあり

▲帰国派の電報

帰国派は曩に清国政府が上海に於て帰国学生を逮捕すとの説伝へられてより大に気勢を殺がれ同志の態度甚だ軟弱に陥らんとせしを以て主謀者等は特派員を上海に遣り其の実否を探偵せしめたるが同人より電報あり事実全く虚偽なるを以って我同志諸君益一致団結して圧制政府の下に屈する勿れとの意を言ひ来れりとて之を会館の壁上に大書し同志の気勢を恢復せんと努めつゝありと云ふ

▲復校の決議

右の如く両派相軋轢しつゝありと雖も帰国派の勢ひ日に非にして旧臘三十一日は各学校に於ける留学生総代相会して新学期より復校を決議したるを以て現在に於ては帰国派は幹事派と称するもの五六十名に過ぎざる有様なりと云ふ

▲復校許可

清国留学生を収容せる各学校は何れも来十一日より開校する由なるが特に清国公使よりの依頼もあり旁今回の事件にて退学したるものに対しては特別の寛典を以て復校を許可することゝなれりとと云ふ

▲復校披露

右の如く一同復校することとなりしに付本日午後六時紅葉館に各新聞及び通信記者を招き今後の方針等につき意見を聞く由

 

 

 

 

もどる