明治三十八年(1905年)十二月三十一日

 

●五たび支那留学生問題に就て(欽すべき形勢の開展) 青柳篤恒(投)

吾人の所謂東亜の前途に就ての大問題たる支那留学生事件其後の経過は一転機せり。我邦文部の当局は省令制定の精神の在る所を解釈し、其規程の余りに窮屈に過ぎざるものは之を塩梅寛裕にして適法のものたらしめ、而して省令取消及実施期限延期等の請求は断固として之を拒絶したり、我邦の威信は遂に傷つけられず。多数支那留学生は我邦省令制定の精神を諒とし、此上は速かに学に就かむことを欲し、維持留学会同志会は着実穏健なる宗旨を以て組織せられたり。今や小康の姿にして吾人の期待せる所亦実現せられんとす。余は少なくも今日の状態を以て日清両国の為めに慶し、学界の為めに賀す。

惟だ望む支那留学生諸君、今より以後専心学事之れ努め、学校を学校とし、教員を教員、職員を職員とし、一面には清国の前途に横はれる責成の重且大なるを思ひ、一面には我邦扶持の誼を顧み、温良恭謙以て其心とし切磋琢磨の功を積まんことを。

又望む都下支那学生教育に関係せる各学校当局各位、支那学生を率ゆる懇篤剴切ならざるべからざるは吾人の呶々を須ひず、今より以後学校は何所迄も学校らしく、教職員は何所迄も教職員らしく、一挙手一投足も尚苟くもせず、規律之れ張り、成績之れ挙り、恩威併び行はれて東方の大局に貢献する所あらむことを。余は嘗て反覆せる如く従来の各学校の教育に関し事務に関する措置に就て慊焉たらざるもの鮮なからざるを以て重ねて之を云ふ。

而かも今回の問題は今尚ほ落着の半途に在り。余は我邦文部当局の今日迄の態度を改むることなく、友邦の留学生の過を再びせず、以て穏当なる此問題の結果大成を望むこと切なるものなり。(十二月二十九日燈下)

 

 

 

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