明治三十八年(1905年)十二月二十六日

 

 

●青柳篤恒氏の論説に対するの意見

支那留学生の一人 吼獅 投稿

吾人対文部省事件の起りたるの前後に当り本紙上に青柳氏の投書を見たること既に数次に亘る本月二十四日の貴報に於て又青柳氏の「四たび支那留学生の問題に就て」の論説を読み得ることあり(中略)吾人の日本に来遊する目的は学問殊に各個人に取る適当なる学問を求むるに在るが故に学問選択の自由は吾人の最も重要視する所のものなり。且つ吾人日本に在留して普通の刑罰法に服従し警察規則に服従し各学校の規則に遵従することは固より辞さゞる所と雖も此外の(吾人に対するの)特別規則は決して之を服従せざるべからざる義務なく従つて吾人は此次文部省令を服従せざるべからざるの理由及び該省令を発布するの必要を見出すこと能はず

縦令該省令は文部当局者の吾人を誘掖するの精神に出づるも吾人は一方に於て文部当局の好意を感謝すると雖も他方に於て省令発布の必要及び之を服従せざるべからざるの理由を見出すこと能はざるを以て寧ろ其好意を却けて受けざるなり

上述の理由に基き故に吾人該省令に対して些の誤解なし吾人の反対する所のものは該省令其者に在り其範囲意義の広狭如何に問はず数週間来吾人皆休校して帰国の準備を為し一方に糾察員を公挙して自治規則を詩sし他方に代表者を選挙して在野諸君子と相周旋す不意に青柳氏は斯の如き挙動を以て「不穏過般の手段に出でたる騒動」なるを目せらるゝことは言之太過、吾人決して之を承諾せず

吾人学校に入学したる以来。各校諸先生の熱心なる薫陶を受けたるは吾人の最も感激して忘れざるものなり(中略)吾人帰国の後、亦諸君子の苦心及び其厚意を感謝せざるにあらず。乃ち青柳氏は之を以て姑息手段なるを目し利を漁し顧客を招徠する云々を謂ひたるは是れ一時的感情に出でたる議論なるに過ぎず何等の価値なしと雖も吾人は各学校及び在野諸君子に代はりて大に其不平を鳴らざるを得ず

抑も吾儕は亦青柳氏に寄語せんとするを欲す青柳君「公私の分るゝ所」は吾儕君の言を待たずして既に知れたる所なり。然るに「其国家に忠なる所以にして又東亜の大局に資する者」云々吾儕君の議論を徴して大に躊躇する所有らざるを得ず

 十二月二十四日装に倚りて之を作る

 

 

 

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