明治三十八年(1905年)十二月十五日

 

●清国留学生会館 

 

昨朝駿河台の清国留学生会館の前を通つたから時節柄様子如何にと覗いて見ると、三四十人の留学生が門内に集まつて居る、別に会議をして居る様でもない、好奇心に駆られて構はず門内に這入つて見ると驚いた、館の入口の壁といふ壁、柱といふ柱、掲示板といふ掲示板には大小長短無数の張り紙がベタベタと貼付けてある、支那では此位の張紙はチットも珍しく無いが日本では稀有だ、丸で家が紙で出来て居る様だ、分つた、今集まつて居る連中は此掲示を見に来て居るのである、入口の右に高く貼出してある掲示を見ると今度の事件に関して総会といふものが出来、其の委員が誰々で此の会館が則ち本部であることが知れる、

(中略)

玄関から内の様子を覗いて見ると此処にも沢山の人が居る、這入つて見ると椅子に腰かけたもの立つて居るもの十余人、今となつては別に議論や話の種も無いと見えて極めて静だ、ソコで自分は委員とか幹事とか言ふ人が居るなら会って見たいと思つて傍の一留学生に尋ねた所が、傍に居た他の学生が「告訴他不暁得」といふ様な事をいふや否や直ぐ「知りません」と来た、引き下つて室を出て門口まで来ると玄関番兼受付らしい所で二三人の留学生が銭勘定をして居る、書物を買つて居るのだ、多分本国へのお土産だらう

 

 

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