明治三十八年(1905年)十二月十四日

 

時事小言

(支那学生問題)

○支那学生の混雑は相替はらずの容態、既に東京を引揚げたるものあるとか、或は横浜で便船待合せ中だとか、或は既に乗船したものもあるとかいふ話だ。随分困つた仲間といはねばならぬ。内容の如何は問はず日本の文部省の取締規則がいけぬといふは無理な言ひ草だ。

○支那の公館の保証が入用とならば、公館からそれをもらつたら良からう。公館がそれを呉れる呉れぬは日本の知つた事ではない。支那官民の争ひの末、日本の文部省に喰つてかゝるのは訳が分らぬ。日本の東京に支那国をこしらへ、それを支配せんとする支那公館と喧嘩して飽き足らず、遂に日本の役所と喧嘩する様では始末にいけぬ。帰国するといふ仲間はどしどし帰国す可しつまらぬ喧嘩に扱ひは入れぬぞ。こんな事に喧嘩をする生徒なら、日本でも教育し甲斐がないといふものだ。学校の方で譲歩したら吾輩は学校を攻撃する、保証人なしに生徒を入れる学校は日本にはない筈だ。

 

 

もどる