明治三十八年(1905年)十二月十一日

 

●清国留学生取締規則に反対の理由(続) 

   十二月七日午後草稿 程家檉

日本の一縉紳曾て曰く我の清国学生を遇する宜しく自国の学生同様なるべしと吾人の親受したる所吾人の目撃する所を見るに日本教育家の吾が留学生に対する実に此言の如きものあり彼等は自国の子弟を教育する心を以て吾が留学生を教育す之れ清国留学生の翕然信頼し来る所以にして又倍々その数を増加し来る所以なり日本文部省にして清国学生の倍々多く来らん事を欲し之を指導誘掖して其新智を開発し以て東亜の発展を実にせんと欲せば宜しく従来の如く簡易以て之に臨むべし決して特種の省令を加ふべからざるなり

(中略)

新聞紙曰く清国人の特有性なる放縦卑劣の意志より出たる団結も亦頗る薄弱云々と吾人は今日斯る不謹慎なる言議の寧ろ事を破るを恐る嗚呼放縦卑劣は清国人の特有なる乎仮りに千百歩を譲り吾が留学生は悉く是れ放縦卑劣の人とするも同盟休校と何の関係ありて茲に放縦卑劣を云々する若し夫れ団結の薄弱を説いて吾人を冷笑するが如きは之れ吾人を激して反抗の程度を高めしむるなり事件の落着に於て害毒ありと云ふべし或は曰く清国留学生中往々醜聞を流すものあり之れ取締の必要ある所以なりと吾人も亦た吾が学生中に醜漢あるを聞く然れども茲に良あれば茲に莠あり九千の学生中豈に多少の悪劣書生の側列するなからんや之れ蓋し日本に徴し欧米に徴して免れざる所未だ以て省令発布の理由となすに足らざるなり

之を要するに該省令たる有つて益なく無くて差支なき一個無用の長物となり徒らに事を多くして清国学生の悪情を惹くに過ぎず吾人は斯る省令の早く廃止されん事を文部当局に熱望すると同時に世上の識者が事実を講究して適当の解釈を下さんことを切望す即ち吾人の衷情や斯の如く切なり然れども吾人聊か辞儀を解す吾人は断じて疎暴の挙動を為さゞるべし吾人は士君子の態度を取つて本件を始終せん事を提言す

 附記余は日本に在る八年、去年農科大学を卒業して今は学生の仲間に非ず然れども今回の件たる事頗る重大なるものあり即ち留学生にかはり事実の真相を剖明して読者の一粲を博せんとする所以也(完)

 

 

 

★ゆり子蛇足

 程家檉(てい・かてい/1974〜1913)はこの投書にもあるように、早くからの留学生で、農大を卒業している。同盟会の成立に力があったともいわれる。その後、諸事情から清廷高官の幕下に入ったため、同志たちから裏切り者視もされたが、本人は悪びれた様子もなく、捕らえられた同志の救出に尽力するなどしていた。宋教仁と親しく、宋は程を擁護する文章を書いている。後、袁世凱の帝政に反対して殺害された。

 

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