明治三十八年(1905年)十二月八日

 

●三たび支那留学生問題に就て 青柳篤恒

余曩に見る所あり、本年七月十七日本紙紙上に於て一たび支那留学生問題に就て其の啻に清国の問題たるのみならず、又日本の問題なり、啻に教育界の問題たるのみにあらず、又日清両国の前途に横たはれる国際間至大の問題、東亜の大局に関聯せる政治的問題なる由を論究し、更に十一月十二十三両日本紙紙上に於て再び支那留学生問題に就て同国学生踵を接して東渡するの大勢を論じ、之に対する処置方針を確定樹立せざる可からざるの要、日に急なる所以を警告せり、果せる哉今や都下八千の支那留学生、文部省令清国留学生取締規則に反抗して其撤回を文部に向つて強請す、余不敏なりといへども、豈に三たび之に論及せずして止むべけむや。

彼等は曰く、該規則なるものは陵辱を彼等に与ふるものなりと、誤れり。知らずや、該規則制定の精神は留学生保護の誠意に出でたる者なることを(同規則の内容に就ては余別に異見あり、茲に賛せず)。彼等我邦に来遊して文部省保護の下に各学校の懇篤なる薫陶をこそ受け居れ、彼等の所謂「陵辱を受る」の実何処にか在る。教育を受くるの誼を思はず、却りて其の意義を曲解して陵辱を受くるものなりと声言す、ホザイたりと謂ふべし。我邦如何に寛仁大度なりといへども、此上彼等の勝手気儘なる言ひ草を聞きてまで尚且誠心之を世話するの余裕あるを必すべけんや。

彼等又曰く、該規則にして撤回せられざらむ乎都下八千の清国留学生相携へて帰国せむ、吾曹にして帰国せむ乎、思ふに日本財政の基礎是に於て危からむと、豈に抱腹絶倒、噴飯に堪へむや。知る可し彼等の我邦を見ること、大にしては文部省より小にしては支那学生を収容する学校に在る教員、事務員、給仕、小使に至るまで、苟くも支那人教育に関係するものは、悉く皆営利の為めにあらざるものなしとなすを。然りと雖も、彼等をして此誤解を懐かしめ、此詭弁を弄するに至らしめたる所以の責任は、実に我邦一部の支那人教育を業とする者の、其半を負はざる可らざるものあるを識らざるべからず。余は想ふて此に及ぶ毎に、満身の血立どころに沸き、我邦此種の似而非教育家の非違を声らし、鼓を鳴らして其の我邦教育界の体面を穢し、延いて日清両国間の交誼を傷くるの結果を持ち来たすべき此輩の不心得を攻めざらむと欲するも得ざるなり、噫。

支那留学生は吾人に逼る毎に、常に其議にして聴かれずむば「帰国すべし」てふ口実を以て最も鋭利なる武器と思惟す。然り此簡単なる示威的文句は我邦に於ける或る一部の支那教育家に対しては確かに有効なり。然りと雖も彼等の帰国退散我に於て何かあらむ。去らしむべし、退学せしむべし、袂を聯ねて帰国せしむべし。

昨今都下各学校に起れる支那学生のストライキは実に彼等を淘汰し彼等を約束すべき千載の好機なり若し能く此機会を利用して強硬に施す所あらば、学校に対する彼等の軽侮心一掃せらるべし、国家の体面威信は確実に維持せらるべし。反之、若し一歩を誤り彼等をして我が内兜を見透さるゝが如きあらん乎、学校は彼等の玩弄物となり、我国民の彼等に対する威信一たび地に墜ちて再び挽回する能はざらん。嗚呼、今日此際に於ける文部省の決心、各学校の態度方針は永遠に於て清国人に対する国威の興敗に関す、豈に思はざるべけんや。余茲に於て乎、三たび支那留学生問題に就て禿筆を呵すること爾り。(十二月初六日燈下稿)

 

 

 

 

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