明治三十八年(1905年)七月十七日

 

 

●支那留学生問題 青柳篤恒(寄書)

論者或は云はく、支那人教ゆるに足らず、支那青年に授くるに智的彫虫の末技を以てす則ち可、苟くも精神的教育を施し、之に企図するに実用的活学の修養を以てす則ち徒労のみと。余の此説を聞くや久し。而かも未だ必ずしも敢て賛同する能はざる者あり、又未だ必ずしも敢へて反駁する能はざる者あり。是耶将又非耶。惟ふに此の支那人教育の成否てふ問題は、苟くも吾人匹夫の軽率に論断すべき者に非らず、又論断なし得べき者に非らず。余を以て之を視る、畢生の心血を此問題の上に傾注するも、尚ほ且つ容易に解決する能はざるを恐る。惟だ渠等支那青年既に遠く海外万里の地に来り遊ぶ、我邦教育家を以て任ずるもの、其誠を尽して止まんのみ、焉んぞ敢へて之を拒むの理あらむや。

輓近支那学生の笈を我邦に負ふもの日に益々多く、消息通の伝ふる所に拠れば、将に万を以て算するに垂んとすと、何ぞ其れ盛なるや。随て渠等は既に都下に於て隠然一大勢力を形造くり、本郷神田界隈下宿屋中間の大得意となり、書籍商出版業社会の相場を狂はせ、延ひて学校屋仲間の相場をも狂はせんず勢ひを示せり。而かも是れ其勢力が波及する所の余蘖のみ、若夫其根本的勢力の影響に至りては更に愈々大なるものあり、渠等業成り帰国後の清国各地政治教育各方面の社会に於て実現せらる。之を善くしては、我日清両国和睦の鎖鑰となり、東亜保全の骨髄となり。之を害用しては、我日清両国兄弟の誼を以てして、而かも親善なる能はざるの動機となり、両国反目の種子となる。然り而して渠等多数学生の留学を善用すると害用するとの関鍵は、一に繋りて渠等を教育するの其法を得ると得ざるとに在り。苟も東方の志士を以て任ずるもの、豈に思はざるべけんや。頃者都下多数屈指の諸黌、支那学生を収容教育するの施設をなすもの鮮なからず、多くは皆著名教育家の設立に係り、渠等を誘導熱心に、渠等を迪訓する認真的切、満悦の至りなり。而かも渡来学生の数一たび多きを加ふるや、諸黌に与ふるに一種の刺激を以てし、有体に云へば近来少しく濫教育の嫌ひなきにしもあらず、余の緘黙言はざらむと欲するも能はざる所以の者、実に茲に在りて存す。

支那学生にして我邦に遊学する者、動もすれば速成を主とし、渠等の教育に与れる我邦先輩にして尚且速成の必要を説く者あり是れ余不敏断じて解す能はざる所のものなり。請ふ少しく気を下して清国の未来を推考せよ。夫れ清国は清国の清国なり。清国子弟の教育は早晩清国人自ら之を為さゞるべからず。惟だ其れ清国人躬親から其子弟を教育することを得、学問の独立是に於て乎在り、国民教育の大本是に於て乎存す。渠等清国留学生多くは皆速成を主とし、外に在りて蛍雪の功を積むこと僅に一年半歳、其得る所幾何もなく、芽出度業成り卒業証書を握りて揚々帰郷の途に就くとも、子弟の教育は独り親から之に当るべくもあらず、依然外国教師の力に是れ頼る、夫れ然り、所謂学問の独立なるもの那辺に在る、清国国民教育の大精神なるもの何れの日にか之を求めむ、是れ余不肖が区々の微衷、清国子弟の為めに、清国の前途の為めに、日清両国和親の為めに、将た東方の大局の為めに、一たび思を致す毎に、常に長大息して憂へざるを得ざる所也矣。

(略)苟くも日清両国廟堂の諸公、及び在野敢為の有志、清国の為め、日本の為め、東亜の大局の為め、百年不変の大策を画せんと欲せば、渠等我邦在留の清国留学生をして速成を主とするを止め、十年二十年気永に腰落付けて新学の研鑽是れ努め、完全有用の人材たるを期図せしむるに如くはなきなり。

清国の大憲、動もすれば我邦在学の年壮気鋭の清国青年にして不穏の言動あるを慨し寤寐尚ほ之を憂ふるものゝ如し。然りと雖も、顧みて仔細に其然る所以を推敲せば、渠等の愛唱する自由民権の奇説激論も、亦其の由て来る所、速成の弊にあらざるなきを知らむや。凡そ専門特科の学、殊に政法理財の如き、始めよりして学ばずんば益なく、又害なけん。学むで而して其理に精通す、益あるとも害ある筈なし。惟だ其れ害あり益なく、屁理屈のみを是れ併べ立て、箸にも棒にも掛からぬものは、夫の学むで而かも通ぜず、一知半解、小成自から安んぜざる速成者流なるかな。

要するに此の支那留学生問題なるものは、啻に清国の問題にあらず、又た日本の問題なり。啻に教育界の問題のみにあらず、又た日清両国の前途に関せる国際間至大の問題なり。余は一面清国京外当局の大憲に向つて教育の大本を確立せんことを慫慂せんと欲すると同時に、一面我国政府の諸公に向つて此問題を軽々看過せず、摯実に考究せられむことを哀鳴す。借問す、廟堂諸公畢竟此留学生問題を善用せんとする乎、将又害用せむとする乎。以上鄙見を披瀝せる所、其大綱に係る。支那留学生教授法及び管理法等の問題に就ては不敏尚ほ管見あり有志の士、幸に就て質せ。(七月十四日燈下)

 

 

★ゆり子蛇足★青柳は早稲田大学の教員。同大学清国留学生部では、浮田和民らが、中国には専制こそふさわしいというようなことを教えていた。しかし張継の回想によれば、留学生たちは図書館で勝手にルソーなどを読み、「自由民権の奇説激論」を「愛唱する」に至っていた。

 

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