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多摩丘陵から 〜日記のようなもの      

 

2018年10月 7日 10 13

 

●10月7日(日)

 「英国工党小史」を少しずつ少しずつ読んでいる。きちんと訳せないから、何となく読むだけ。意味が取れればいいや、と。

 時間も取れないし、何より頭悪いし、長時間やる根気はないしで、牛の歩みどころか蝸牛よりのろのろと、それでも何とか続けている。

 その中で、募っていくこの思い。「この人、変だ。オーパーツだ。11年2月でこれは、早すぎる」

 もちろんネタ本があって、それを訳しながら書いているのだろうが、それにしたって、一度自分の中に入れなければ、ことばなんか出て来ない。ましてや、「衝决網羅」などという彼にとって大切なキラキラ語は、対象に共感を覚えねば使うはずはない。

 

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 今朝、新聞を取りに行こうと玄関あけたら、目の前にスバルがいた。

 いつの間にか、冬のオールスターズが揃っている。狩人オリオンの足元には、可憐なウサギさんも。

 ずっと天気が悪かった気がするが、台風通過とともに秋霖は終了したそうだ。

 そろそろ欅の葉が茶色くなり始めている。

 良い季節になる。

今日はまだ、台風がひっぱりこんだ暖気とやらで、異常に暑いけれども。

 

 

 

 

●10月10日(水)

今日は双十節。武昌起義勃発から107年。

 

TVのニュースで湖南だ湖北だと聞くと、反射的にピキッとなってしまう。どこぞでデモが起こったりすると、今度はどこで起義が?と期待してしまう。

 

 状況はまだそんな段階ではないのは分かっている。国民的女優が失踪したり、ICPOの総裁が急にいなくなったり。中国はいつからこんな、戦後の中南米みたいな国になったのか。

 

 こんな独裁国家を作る為に大勢の人が血を流したのではないはずなのに。

 そもそも国家は、誰の為にあるのか。お題目としては「人民」だろう。では、その人民を虐げる権利は、誰が誰に付与したのか? 天帝がプーさんに委嘱したのか? あんたは袁世凱にでもなるつもりなのか? 袁世凱の末路はどうだった? あんたが隠れ蓑にしようとしている毛沢東の晩年は?

 楊篤生も宋遯初も陳星台も、現状を見てさぞ嘆いていることだろう。

 

 数年前に映画「少林寺」の続編が作られたと思うのだが、「1」とは違って、権力の凶刃に次々と倒れていくという、陰鬱なストーリーだった覚えがある。夫に付き合って横目で見ていただけなので、定かではないけれど。

 これは香港の映画界が、香港が絡め取られていく窒息感を表現しているのではないだろうか。映画界だけでなく香港全体が、事前の約束を反故にして、中国共産党に組み伏せられていく過程なのだろう。

 

 

 では翻って中国全土はどうなのだろう。湖南省の諸君は自由なのだろうか。官製バブルを捏造しているのは日本も同じなのだけれど、富を偏在させ、大多数の貧困層とごく一部の富裕層とを作りあげる事が、本当に社会の発展の原動力たり得るのだろうか。分厚い中層の涵養こそが、どの時代のどの地域に於いても「国富」の基本なのではないか。

少なくとも楊篤生も陳星台も宋遯初も、現状の経済政策を善しとはしないのではないだろうか。

 

 政治にも経済にも疎いけれど、中共政府は今、綱渡りをしているように思われる。時限爆弾を抱えたままの、椅子取りゲーム。誰の時に爆発するか。地雷を踏んだ奴は、後代の歴史家によって、間違いなく張高扱いされることだろう。うまく渡りきれば、英雄か? それとも皇帝? 帝政でも復活させるおつもりですか? その割には胆が小さい。

 

 まあ、この国のばか権力者も、カムロ紛いのネトウヨを走狗として、一切の批判を封じているようだけれども。

 北の大地も相当おかしいし。今は1930年代の亡霊が荒れ狂うときなのだろうか。

 

 ふとゴーリキーの海燕を思い出した。どんな嵐がやって来るのだろう。それとも「彼」のもくろみどおり、細い綱の上を渡りきってしまうのだろうか。

 いや、決してそんなことはあるまい。だって少なくとも湖南人には、楊篤生や陳星台や宋遯初と同じ血が流れているのだから。

 

 こちらですか? ポンニチ人は結構、絶望的ですね。奴隷根性強いから。

それでも憲法が改悪されそうになったなら、たとえ何の意味もなくとも、デモに参加するつもりですけれどね。

 中国は共産党。日本は自民党。全く違う存在であるべきなのに、「専制」という権力の暗黒面に於いては奇しくも同じ表情を見せているのは、不思議なことだ。

 

 日・中・韓・朝・比・印・越・蒙‥‥、本当はアメリカだってロシアだってヨーロッパだって、人民はみんな友だちで、肩を組んで「国家」という悪しき権力と戦っていかねばならないのに。

 

 共産党相手に「インターナショナル」なんて皮肉だ。わたしたちの若い頃とは、何もかも捩れてしまっている。いや、あの頃だって本当は矛盾だらけで、本当は未だかつて一度だって、人民の為の国が形成されたことなんてないんだ。

ロシア革命はすぐに盗まれたし、辛亥革命もまた然り。

この島国でも、第1回帝国議会は欺瞞だらけで、噴飯ものでしかなかった。ただの「議会ごっこ」、ただの諮問機関。憲法だって、兆民先生が一読して苦笑したような代物だ。篤生が痛罵していた預備立憲と変わらない。と言うか、清朝の憲法は明治憲法の真似っこなのだけど。

 

 我々は一体いつになったら、我々自身の為の社会を、我々の手で契約できるのだろう。祈っていれば神や仏が授けてくれるわけでもなく、遠い孔子の時代からの、長い長い戦いなのだ。

楊篤生が示したような「黄金世界」は、あと何百年待てば訪れるのだろうか。

 

「他力本願」的で、はなはだ恐縮ではあるけれど、湖南に新たに生まれる英雄たちが、世界を大きく動かしてくれるような気がして仕方ない。

 

星台先生、お忙しくなりそうですね。

 

 

 

 

●10月13日(土)

 楊徳鄰先生、没後105年。

 

 楊篤生の二哥、三兄弟の長兄。

 篤生とは、たぶん政治的な立場を異にしていたけれど、仲は良かったようだ。篤生は在英中、儷鴻夫人の病気を徳鄰から知らされている。

 

 第二革命は、あまりに悲しい。ずいぶんだと思う。

 第三革命になると、蔡松坡先生(♡)のような英雄も出てくるけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

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