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多摩丘陵から 〜日記のようなもの      

 

2017年12月 5日   

 

●12月5日(火)

 一昨日、急に思い立って川越にお詣りに行った。

 その帰りのモノレール。幸運にも「特等席」に座れた。最後尾、ワンマンだから無人の運転室に向かう、二人席だ。小さい子が来たら譲らなきゃ。

 

 西の空。夕陽に浮かぶ赤い富士。先月、数年ぶりに訪れた夫の故郷で観たのとは比べるべくもない大きさだけれど、富士はどこから見ても美しいし嬉しい。赤富士となれば、また格別。

 それからややあって、夫が小さく、妙な声をあげた。

「あれなに? なんか恐い」

 上ったばかりの月だ。この日は月暦十月十六日で、みごとなまんまる。しかも巨大。まだカニさん模様も見えず、ただのまる。とにかく大きい。上りたては周囲の景色との比で大きく見えるものだけれど、それにしても大きい。後で知ったが、この日の月は今年最大の大きさの、いわゆるスーパームーンだった。

 

 上るにつれて、周囲も暗くなり、カニさんもはっきり見えてきて月らしくなったけれど、確かにはじめは異様で、ちょっと恐いくらいだった。

 

 むかし、高校の15センチで月で遊んだことを思い出した。毎日やっていた太陽の黒点観測の要領で、投影法で紙に映し、その紙をぐにゃぐにゃ揺らして、「ハムみたい!!」とはしゃいでいた。

 夫にその話をすると、笑われてしまった。

 

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 来年の天文年鑑を購入した。もう、そんな時期だ。これから暮れ仕事が始まる。

 

 

 

 

 

●12月7日(木)

『東京朝日新聞』明治三十八年(1905年)十二月七日

 

「清国人同盟休校   

東京市内各学校に在学する清国留学生八千六百余名の同盟休校は大学教授連盟辞職に次ぐ教育界刻下の大問題なり右は去月二日発布の文部省令清国留学生に対する規程に不満の念を懐きたるものにして該省令は広狭何れにも解釈し得るより清国学生は該省令を余り狭義に解釈したる結果の不満と清国人の特有性なる放縦卑劣の意志より出で団結も亦頗る薄弱のものなる由なるが清国公使は事態甚容易ならずとし兎に角留学生一同の請ひを容れて之を我文部省に交渉するに至りしが有力なる某子爵は両者の中間に於て大に斡旋中にして右の結果両三日中には本問題も無事落着すべしといふ」

(文中の強調は、ゆり子による)

 

 

 

 

●12月8日(金)

 陳星台先生、没後112年。

 今日は寒い。夕刻からは雨も。

 先生も、さぞ寒かっただろう。冷たかっただろう。遠浅の海に進んで行く姿を思うと、胸苦しくなる。

 先生の信じた「自由・平等・博愛」。これは人類の普遍的な価値だと思うのだけれど、世界は未だにぐちゃぐちゃのままです。なかなか進歩できず、もどかしいです。

 

 

 所用で行けないので、東新訳社があった西神田公園には、昨日足を運んだ。公園の真ん中で男の子が三人、サッカーをして遊んでいて、危なくてかなわない。サッカー等は迷惑なので禁止すると、巨大な貼り紙があるのだが、ボクたちには読めないようだ。大学生か専門学校生か分からないけれど、無邪気なことで。

 隅っこに佇み目を閉じて、もごもごと一人きりの追悼式を行う。「大地沈淪幾百秋……」

 気配に気づいて目を開けると、すぐ近くのベンチで女性が食事している。もちろん、さっきまではいなかった。公園なのだから構わないけれど、妙なおばさんが合掌してぶつぶつ呟いているのだから、不気味に思わなかっただろうか。

 

 この公園もだが、公園で食事をとる人は多い。コンビニやお弁当屋さんやパン屋さんのほうが飲食店より安上がりだけれど、イートインがない場合は、場所に困る。会社にいたくなければ、公園しかないわけだ。

 

 

 

 

 

●12月20日(水)

 ここ最近、自転車による歩行者の死亡事故の報道が、2件続けてあった。2件目の報道がされた日の朝、わたしも危ない目に遭っていた。

 家のすぐ近くの交叉点をもちろん青信号で渡っていたところ、信号待ちの車列のかげから猛スピードの自転車が飛び出して、わたしの鼻先をかすめて走り去ったのだ。

 驚き立ち止まって見送ったけれど、相手は振り向きもしなかった。

 丁字路は危険だ。連中、自分は車に轢かれる危険性がないものだから、平気で信号無視する。以前にも同様のことがあったので気をつけていたのだが、この日は信号待ちの先頭がバスだったので、見えなかったのだ。

 

 「以前」というのは、もう数年前になる。文京区の外堀通り、後楽橋の交叉点を、神田川の方から黄色いビルに向かって渡っていた。中央分離帯を過ぎて、もう左折車もないからと気を抜いたところ、やはり信号待ちの車列のかげから突っ込んできた。

 どうやって避けられたのか分からない。異常な反射神経で、ぐるっと回った。むかし鷲羽山が高見山戦で、一旦土俵の外へ出てから「宇宙遊泳」して戻ってきて結局勝ったことがあったが、そんな感じだったと思う。交通整理のおじいさんが「信号無視だぞー!!」と怒鳴ってくれたが、相手はちょっと振り返っただけで行ってしまった。

 わたしのこのはしっこさがなかったら、ぶつかっていたか、一人で転んだか。ぶつかれば大怪我だが、一人で転んでも捻挫か骨折か、ともかくただじゃすまなかったと思う。

 あとで思ったが、ぶつかれば重傷だけれど相手も転んで怪我するだろう。少なくとも、周りの人が捕まえてくれる。けれども一人で転んだら、相手は何事もなく逃げ去ってしまったのではないか。逃げなかったとしても、罪とか責任とか、問えるのだろうか。「勝手に転んだ」と言われてしまわないか?

だったら、ぶつかったほうがいいのか? 

 

 ともかく、丁字路は恐い。車道を走る以上は車の信号を守るべきなのに、連中は何も考えていない。

 おかげで、通りを渡る時は、曲がってくる車に気をつけるだけでなく、停まっている車の方も見る習慣がついた。それでもまだ、恐い思いをしてしまった。

 夫に話したら、あの交叉点は危ないから渡るなと言われてしまった。彼はそこで、ユーターンの車に轢かれかけたことがあるそうだ。

わたしも、その先の十字路で渡ることのほうが多いのだが、たまたま青になっていると、渡りたくなる。

 でもやめよう。そんなことで怪我しては、つまらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

   

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