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多摩丘陵から 〜日記のようなもの      

 

2017年11月 1日 10日 12日

 

●11月1日(水)

 楊篤生生誕145年。

 本当のところ、誕生日は分からない。「同治壬申十月」とだけ。これが西暦では1872年11月1日から30日に当たる。だから毎年、この月をお誕生月間としている。

 でも月暦ベースでいくと、今日はまだ九月十三日。ややこしい。

 

 なんでもいいや。わたしとしては、この希有な魂がこの世に生まれてきてくれたことを、ことほぐだけ。

 とりあえず、おめでとうございます。

 

 

 

 

 

●11月10日(金)

 昨日、「ヒ、ヒ、ヒ、ヒ」と聞き覚えのある声がして、目で探すと、団地の前庭の木立に、いた! 褐色に、ちょこっと白い紋をつけた、ジョウビタキのお嬢さん!!

 「ちゃんと来てくれた!」というのと、「もうそんな季節か」というのを同時に思った。 

 

渡り鳥も星も、ちゃんちゃんと季節を告げてくれる。よほど酷い空(光害・大気汚染)にならない限り、星座は大丈夫だろうけれど、鳥はいつまで来てくれるか。緑地がなくなれば無理だろうし。ひょっとして温暖化が進むと、渡る必要がなくなるってことはあるだろうか。となると、冬鳥は来なくなり、夏鳥は通年いる? ツバメも好きだけれど、ジョウビタキやツグミやカモが来なくなったら、寂しいな。

 そうなる頃には、人間も生きにくくなっているか。

 

 それにしても、公園ならともかく、こんな幹線通り沿いに、当たり前にいてくれる。良い所に住んでるなと、改めて思う。

 

 

 

 

●11月12日(日)

 昨日、『ぼのぼの』を視たから、もう1週間になるのか。

 4日の朝、例によって4時半に起きてしまったので、『ぼのぼの』を視ようと思ってTVを点け、そこで流れた『ミュージックフェア』のCMを見てエレカシが出るのを知った。ファンクラブのお知らせをずっと無視していたから、知らなかったのだ。

「今のエレカシじゃ、どうせ……」と思ったが、今の彼がどういうところにいるのか知りたくて、とりあえず録画した。

 ところが、新曲が良かったのだ。声は出なくて、これが同じ人かと思うほど痩せた声で、苦しそうに歌う姿を見るのは辛かったが、曲と詞とが良かった。わたしの知っている宮本だ。

 で、慌ててオフィシャルを見て新曲について調べると、初回版のおまけは今年の野音のCD。またも「どうせ……」と思ったけれど曲目を見ると、「こっちの曲」しかない(NHKみんなのうたのは止むを得ないだろうから)! そこで混乱する。ライブでは20曲強を演るはずだから、その中からこういう曲ばかり選ったのか? だとしたら、その意図は? で、セットリストを調べると、……そういう曲ばかりだった。あの嫌らしい、魂を売った、おばさんに媚びた楽曲群が一つもない。これは?!

 

 それでもまだこじれ切ったわたしの気持ちでは、発売日に買う気はせず、翌日。それもディスクユニオンで買うのは恥ずかしいので、わざわざ秋葉っ原のタワレコまで行って、買ってきた。

 

 結果、感想としては、少林サッカーの「帰ってきた」。

 困ったな。ライブに行きたくなってしまった。今の宮本を、応援したくなった。

 

 調べてみたら、あの悪夢の野音は2013年。あのときは、ステージの上も下も、わたしの知らない世界になっていて、よそのバンドのライブに紛れ込んでしまったようだった。「逃げ遅れた」と強く思った。ずっと支えてきたロック好きの人たちは、みな去った後だったのだ。

 

 でも、もう大丈夫かもしれない。たぶん大丈夫だ。声は、かつての豊かさを失ってしまったようだけれど、でも、気概があれば大丈夫。やっていける。

おばさんたちだって、うるうる眼(まなこ)でじっとりとした「お願い猫」ばかりじゃなくなっているかも。「声援するな、うるさい!」「こぶしあげるな、見えない!!」なんて理不尽なことを言わない、ロック好きになってきているかもしれない。だったら、仲間だ。共に楽しめる。

 

とはいえ、チケットはとれないのだろうな。ファンの実数はそんなに多くないと思うが、どんな手を使ってでも全公演行く!という「熱心な」おばさま方が多いだろうから。

 野音も1人1枚になってしまったようだから、夫もFCに入らねばならないだろうし。

 

行きたい気もするが、まだ当分は行かない。まだそこまで、気持ちが届かない。

 

 ともあれ、ありがとう、ぼのぼの。

 

 

 

 

 

 

 

 

   

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