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多摩丘陵から 〜日記のようなもの      

 

2017年7月 1日 7日

 

●7月1日(土)

 今日は閏五月の八日。先週24日に月暦カレンダーをめくるとき、五月雨は梅雨のことなのに、もう五月は終わるのかと、不思議に思った。

 なんのことはない、閏月があったのね。

 この閏月が曲者で、楊篤生の命日の混乱も、このせいだと思われる。西暦1911年8月5日のはずなのに、一部に7月説がある。楊昌済先生によれば、その日は閏六月十一日。これは8月5日にあたるが、閏ではない6月11日だと西暦7月6日になる。

 

 月暦の厄介な点として、よく挙げられる閏月だけれど、太陽暦だって閏はあるじゃん!

 そもそも人間の都合で割り切ろうなんていうのが間違いだよ。

 ……と、言ってみる

 

 

 

 

 

●7月7日(金)

 盧溝橋事件から80年。

 アメリカに負けたと言いたい人が多いようだけれど、中国に勝てずに泥沼になっていたからだ。なんで中国に勝てないのにアメリカと始めた? 正気の沙汰とは思えない。

 

 わたしの伯父は4人出征しているが、4人とも中国へ送られている。父の兄3人は満洲へ。長兄が戦死し、次兄はシベリア抑留を生き延びた。

 母の兄は上海の近くで敗戦の日を迎えた。

 夫のほうは、伯父が戦死したのはフィリピンだが、祖母と叔父たちが満洲からの引き揚げで大変な思いをしたという。

どこの家にも多かれ少なかれ、対中戦争は影を落としている。

 

 ああ、だけど、80周年のこの日、この国では管見の限りでは一つの報道も無かった。

 九州が豪雨で大変なことになっている。それに時間を割くのは分かるが、それだけではないでしょ。芸能人の離婚問題を扱う時間はあるのだから。

 恐ろしい欠落を感じるのだけれど、そういうわたしの方がおかしいのか?

 

 

 

 

 

 

  

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