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多摩丘陵から 〜日記のようなもの
2017年5月 1日 3日
●5月1日(月)
サイトを引っ越した。ずっと利用してきたプロバイダのHP公開サービスが10月いっぱいで終了するということで止むを得ず、慣れ親しんだアドレスを手放した。
今どき、個人のHPなど流行らないのは知っている。みな、ブログか、ツイッターだのフェイスブックだのに移行していってしまっている。
ところがこちらは、未だにケータイもスマホも持っていない原始人だ。このサイトだって、何の知識もないまま、ワードだけで作っている。
マニアの方に、そっとお届けするだけでいい。そう思っている。こんなちんけなサイトでも、見て下さる方はいてくれるので。
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昼休み、久しぶりに不忍池へ。もう、カモもユリカモメも一羽もいない。当然なのだけれど、やはり寂しかった。
また、来年ね。
●5月3日(水)
昨日は清志郎の命日だったんだね。元ちゃんが追悼ライブに出たはず。
そして今日は、小尻知博記者が撃たれた日であり、和巳ちゃんの命日でもあるのだけれど、今ちょっと心が弱っているので、きつい話は措いておきたい。
かわりに、よい話を。
今日ははなまつり。釈尊の誕生日。って、誰が決めたか知らないけれど、そういうことになっている。インドの人はあれほど緻密な頭をもっていながら、なぜか年月日には無頓着で、釈尊の誕生日どころか生没年も記録されていない。孔子の生年も没した年月日も特定できる(若干の誤差あり?)中国人としては我慢ならず、好さそうな日を選んで釈尊の誕生日をでっち上げた……ということを昔どこかで読んだ。
まあ、そんなことはどうでもいい。釈尊の生誕をどこかでお祝いしたいよね、ということ。
釈尊の教えにふれたのは19のとき。嫌いな人と付き合うにはどうしたらいいか悩み、なぜかスッタニパータを手にとってしまった。
「好きと嫌いと身の毛のよだつのとは自身より生ずる」
この句に出会い、子どもの頭で単純に考え、自分の心を操作しようとした。
もちろん、そんなことができる訳はなかったのだけれど、これを皮切りに原始仏典を読みあさり、仏教思想をのぞいてまわった。わたしの頭では到底理解できる世界ではないのだけれど、未だに折に触れてのぞいてみている。
「かじる」どころか「なめる」のさえも困難な世界だけれど、なんか、惹かれるんだ。
それにしても、ヴァスバンドゥさんもナーガルジュナさんも、頭が良すぎる。もとより釈尊は異常な頭脳で、たぶん人類史上最も頭の良い人だけれど、この二人も異常だ。
わたしが頭わるすぎるのがいけないのだが、それにしてもね。
●5月11日(木)
今日は暑かった。
神田の町は、お祭りを待っている。のぼりや提灯やポスターや。
神幸祭の行列の後をついて歩いたこともあったな。もうずいぶん前だけれど。
わたしは田舎の子だが、人間界デビュー(七五三)は明神様だったから、縁が無い訳ではない。
でもやっぱり、神田祭は神田っ子のものだよね。神田と日本橋と、かな。実際には住民だけではなく、企業として氏子になっているのが多く、だから会社の動員で出ている人が多いのだろうけれどけれど、でも楽しいだろうな。
ちょっと羨ましい気がする。
神田川を渡ると、こっちは湯島の天神さまの領分。こちらのお祭りは、明神様の2週間後か。こちらは行ったことないけれど、やはり楽しいのだろうな。