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多摩丘陵から 〜日記のようなもの
2016年9月 3日 10日 19日 26日
●9月3日(土)
ここ数週間、昼の散歩はやめにして、図書館につめている。
工党の語釈。
夏休みなのに、いつもそこそこ学生がいる。今の学生さんは、わたしたちの頃よりも、よく勉強しているように見える。
学べるときに、学んでおくといいよ。そのうち、本が読めなくなるから。とにかく、目が見えなくなるから。
中年になって学ぶのは少年の10倍の精力が要る。本当にそう思う。
今晩、月・木・金のスリーショットが見られるそうだ。予報じゃ夕方から雨だったが、17時現在、まだらに晴れている。薄曇りといったところか。
見たいな、ヴィーナスちゃんとジュピターさんと、お月さん。
今日、カワセミを見た。お腹の柿色がぼやけている。若鳥だろうか。
カワセミは渡るわけではないと思うが、この辺では夏より冬の方がよく見かける。
いつの間にか、ハギが咲き、ムラサキシキブが色づきはじめ、ススキも穂を出している。朝方は冷えるようになった。もともと熱帯夜にはあまりならない土地だけれど、それにしてもここのところは寒い。朝5時過ぎに散歩に出たら、上着がほしかった。
●9月10日(土)
ちょっと前にNHKで放送した『クローズアップ現代』、録画したものの恐くてなかなか見られなかったのだが、そうしていても仕方ないので、思い切って見た。
こんな番組をつくってくれたNHKはえらいと思う。カメラの前できちんと語ってくれた藤井裕久と元水俣市議氏にも感謝する。
けど……。
驚いた……というか、やっぱり……というか、そこまで?というか。
チッソは絶対に潰しては困る、水俣はチッソで生きている……と言う「市の幹部」。
国が私企業を援助することは制度的にできないので、県を通して援助することに。
チッソ救済に税金を使うことに納税者を納得させるために、「地元を騒がせろ」、チッソ救済を訴える運動を、水俣で盛り上げさせる。
同じ年、患者の認定基準が変えられる。補償金の歯止めを設けないと「ザルに水を注ぐ」ことになると。
これによって、申請者が認定される率は、それ以前の51%から4.9%に激減。
…………。
水俣病60年というけれど、田中実子さんがそれと公式に確認されたのが1956年ということだ。実際にはもっとずっと以前から(戦前から!)囁かれてはいたと聞いていたが、改めて相思社のサイトにある年表を見て、めまいがした。本当だったんだ。
地元を騒がせろって、なんだよ。それじゃ、チッソを脅かす患者さんがいけないということになるじゃないか。チッソが患者さんたちの人生を奪ったのに。
この国って、何なんだろう。誰のための「国」なんだろう。
最近、この国で起こる様々なことを見ていると、自分がだんだん黒くなっていく。
楊篤生だって、「愚也」とか言いながら、その実、かなり黒い。
なんてことを、わたしの頭で考えてもどうにもならない。
とりあえずできることとして、相思社のりんごジュースを注文しようか。
●9月19日(月)
近所の公園の彼岸花が、だいぶ咲きそろってきた。朝はかなり寒い。昨日はまだがんばっていたツクツクホウシも、雨の今日は聞こえない。
9月は鬱陶しい月。1日に震災から虐殺。千歳村でも4人殺されたと、蘆花さんが憤っていたっけ。亀戸事件が4日かな。16日には甘粕事件。そして8年後、18日に柳条湖……。
あ、16日は蘆花さんの命日だった。今年も墓前祭はあったのだろうか。
千歳村には苦しい思い出も多いのだけれど、「蘆花さんち」は大好きだったな。
●9月26日(月)
記録的な天候不順ということで、野菜が高くてかなわない。不作による高騰は、誰も得しない。四時の乱れは為政者に徳がないから……。
帰途、近所の道で、除草をしているらしく土のにおいとドクダミのにおいがした。それにまじってキンモクセイの香が。もうそんな季節かと驚いたが、調べてみたら昨年は9月14日に気づいている。毎年記録しているわけではないので、去年が早いのか今年が遅いのか、ちょっと分からないけれど。
ツクツクホウシは、まだ鳴いている。