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多摩丘陵から 〜日記のようなもの      

 

2016年3月 1日 5日 6日 8日 10日 11日 20日 22

 

●3月1日(火)

 3月。星台先生の誕生日はともかく、10日、11日、20日、22日と、辛い日の多い月だ。と言っている今日は、三・一運動記念日だし、ビキニ・デーだし。

 

 いつの間にか、柳が芽吹いている。

 寒風又変為春柳 條條看即煙濛濛 (李長吉「野歌」)

 

 

 

 

 

●3月5日(土)

 買い物帰りにいつもの公園を抜けていくと、ジョウビタキのお兄さんが木にとまっていた。柿色のお腹に白い頭。愛らしいおじょうさんが好きだけれど、派手なお兄さんもいいなと思いながら、足を止めて見ていると、飛び立った。こちらの進行方向だからついていくと、すぐに大きな木にとまる。その木の別の枝にもう一羽、雄のジョウビタキがいた。二羽を同時に見るのは初めてで、この辺にはたくさん来ているのだろうかとうれしく思ったていたら、後から来たのがもう一羽に飛びかかった。そのまま二羽でもつれ合いながら、飛び去っていった。

ケンカするのか。雄は荒いんだな。まだ繁殖期ではなかろうに。

やっぱりおじょうさんがいいな。

 

 

 

 

 

●3月6日(日)

 陳星台先生、生誕141年。

 さすがに今日は旧・西小川町には行けない。明日、行こう。

 

 先生が「獅子吼」で描いた近未来の中国は、堂々たる軍事大国だった。現在テレビで垣間見る、あの軍事行進そのものだ。でも、星台先生が描いたそれは、「共和国」でもあった。自由・平等・博愛と、万国平和とを謳っている、自由の国だ。

 そうそう、今の中国の正式名称は「中華人民共和国」だった(ついでに言えば、「朝鮮民主主義人民共和国」なんて不可思議な国もある。「国家社会主義労働者党」とどこが違うのだろう)。人民の共和国? 確かに天子はいないようだが、どこが共和国なのか。

 もっとも、どこかの国にも「自由民主党」などと名乗るくせに、「自由」も「民主」も「人権」も大嫌いな政党もある。大体「人権派弁護士」って、なんだ? 弁護士はそもそも、人権を護るべき存在だろうに。

「自由民主党」を内実に即して改名するとしたら、何が相応しいだろうか。

自由じゃなくて、専制。民主じゃなくて君主だろう。ということは、「専制君主党」だろうか。笑いごとじゃない。古今東西を問わず、無為な君主の下で百官が好き勝手にするというのが、連中の理想の政治形態なんだ。

 

 星台先生の信じた自由・平等・博愛の美しい中国は、百余年経った今も、まだ実現してはいないようです。でも、次代への芽は、きっとどこかで生まれている。星台先生は今も、その人たちを無言で励まし続けて止まない気がする。

 

あの方が無言で佇まれて、滂沱の涙を流されてたら、ちょっと恐いかな。

 

 

 

 

 

●3月8日(火

 昨日は小雨の中、約束どおり星台先生んちへ。

 区立西神田公園は、雨なのに人がたくさんいた。

 雨の中で傘をさして煙草を吸う人たち。同じく傘をさしてお昼を食べる人たち。

 みんな、会社にいたくないのかな。

 かく言うわたしも、職場にいたくないから、どんな荒天でも歩きに出るのだ。雪が降ろうが、ゲリラ雷雨に見舞われようが、かまわずに。

 ♪ずぶ濡れになりに出かけよう〜(ザ・カスタネッツ「二人」)

 

 

 

 

 

●3月10日(木)

 三月十日。

 朝、自宅でうぐいすを聞いた。今年初。

 

 10万人の七十二回忌。

 

 

 

 

 

●3月11日(金)

 震災から5年ということで、わたしなどでも色々と思うところはある。

 世の中、理不尽なことだらけだ。

 

 それでも、いつの間にか日向水木が咲き始め、沈丁花や雪柳もほころんでいる。

 昨日もジョウビタキのお兄さんを見た。彼らや、今はまだムクさんたちと交じって地べたをひょこひょこしているツグミさんたちも、いずれいなくなる。その頃には、ツバメが飛び交うようになるんだ。

 以前は星や植物で季節を見ていたが、ここに越して来てから鳥も加わった。こちらに来てよかった。

 

 

 

 

 

●3月20日(日)

 宋教仁事件発生から103年。

 

 遯初君が信じた未来と、今の中国とは、ずいぶん違ってしまっている。

 けれども、彼が史上の偉人であることは、間違いないと思う。

 

 いつも書くけれど、ヒトのこと言えないんだな、この国は。

 国賦人権だと強固に信じている連中が権力を握っている国だから。

 

 

 

  

 

●3月22日(火)

 宋遯初君、没後103年。享年三十二(満30歳)。若すぎるし、得意の絶頂だったし、あまりに酷い。

 

 遯初君の日記は卒論のために読んだのが最初だ。だから当時わたしは23か。1905年時の彼は満23歳だから、同じ歳だったわけか。えらく内実に差のある同年だが。

 まだ松本先生の邦訳が出ていなかったから、自力で読んだわけだけれど、たいへんだった。出てくる人名も、みな字だから、誰だか分からなかったり。

 それでも何かおもしろくて、一所懸命読んだ。

 特に、1906年1月4日の記事、星台先生のために泣いてくれたのがうれしくて、悲しくて。

 あの頃わたしは頭がおかしくて(今もか)、毎晩寝るまえに星台先生の写真を見ていた。でも、遯初君の日記はあまりにおもしろく、星台先生の次は遯初君を見ようかと思い、海風書店で伝記を見つけて買った。けれども、結局、読んでいない。

 そして、今は篤生でいっぱいだ。

ごめんね、遯初君。

 

 

 

 

 

 

 

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