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多摩丘陵から 〜日記のようなもの
2015年10月 10日 13日 31日
●10月10日(土)
武昌起義104年。
先生、あと2ヵ月、辛抱できなかったでしょうか。
先週の土曜、何年ぶりかで夫の郷里に舅姑を訪ねた。隣の市に住む義姉も来てくれて、楽しい時を過ごせた。
のは、よかったのだが。
何十年も前から、「明日にも東海地震が起きて世界は崩壊する」と言われている土地で、「向こうに見えるのが御前崎。浜岡があるんだよ」って、どういうこと? 地震によって来るのは、巨大津波だけではないということ?
だいたい、何故この火山と地震との島国に、こんなにたくさん原発があるんだ?
先生。この粟散辺土の島国の「民主政治」の有り様を思えば、あなたのお国の現状をとやかく言うことはできません。
●10月13日(火)
楊徳麟先生、没後102年。
1913年は、遯初君が3月22日、寧仙霞が9月25日、そして楊性恂が10月13日に命を奪われている。全部、一連の出来事なのだけれど、並べてみるとやり切れない。
●10月31日(土)
秩父事件勃発から131年。本格的には翌・11月1日の椋神社における決起集会からだけれど、31日に一部が金貸し業者を襲っている。
なんで、秩父事件にこんなにも惹かれるのか。血がそうさせるのか。秩父ではないけれど、同じ県内の養蚕農家として、他人事ではなかったはずだかから。
父の実家では、とっくの昔に養蚕はやめているけれど、小さいときに納屋のようなところに桑の葉が床一面にひろげられているのを、見た記憶があるし、桑畑の風景は今も懐かしい。
ところで、なぜ秩父夜祭は12月の初めに行われるのか。秋祭りにしては遅すぎる。そのわけを、以前泊まった旅館のおばさん(仲居さんという感じではない、もっと親しみやすい田舎のおばさん)が、話してくれた。その年の蚕が終わったところで、市が立つのだと。
なるほど。お米の収穫祭ではなく、繭の収穫祭なのか(なんでもいいけど、この場合の「しゅうかく」は「収穫」「収獲」のどちらなんだろう。植物ではないけれど獣でもない。でも、しゃりしゃりと葉を食む姿は動物には違いないから、「収獲」のほうがよいか?)。
やはり秩父は蚕の国なんだね。